中森明菜「BABYLON」 先鋭的なサウンドと刹那的な歌詞の魅力
1/21(日)にBS12で放送された「ザ・カセットテープ・ミュージック(シーズン2.1)」の「80年代中森明菜アナザーストーリー」を、遅ればせながらTVerで視聴した。
放送では「アナザーストーリー」というタイトル通り、スージー鈴木氏ならではの視点で、明菜さんの楽曲のレアな魅力が語られていた。特に「スローモーション」と「セカンド・ラブ」のコード進行の類似(いわゆる枯葉進行)が興味深かった。
そのなかで「マリオネット」という曲が掛かった時、明菜さんの曲をよく聴いていた当時の記憶が蘇ってきた。
この曲、というか曲が収録されたアルバム『不思議』は、全曲のボーカルがBGMと同化してよく聞き取れないという前代未聞の作品なのだが、アーティスト志向を強めた1985年以降の明菜さんには、こうした前衛的でエキセントリックな作品が散見される。そして、それらの曲を軽々と歌いこなす明菜さんを見聞きして、アイドルを超越した歌姫の貫禄と、大人の女性の妖しい魅力を感じたものだった。
ということで、そんな明菜さんのエキセントリック要素が強い作品を選び、当時の記憶をたどりながら一曲ずつ書き留めたい。
まずは、1985年4月発売のアルバム『BITTER AND SWEET』に収録された「BABYLON」から。
先鋭的で不穏なサウンド
今から39年前に初めてこの曲を聞いたとき、学生だった当時の私は驚愕した。何て先鋭的で、プログレッシブで、不穏な曲なのかと(当時はここまで言語化できてない)。そして明菜さんは一体どうしてしまったのかと。先鋭的なサウンド、刹那的で退廃的な歌詞、そして明菜さんの鬼気迫る歌唱に驚いたのである。
「BABYLON」は、1985年4月発売のアルバム『BITTER & SWEET』の収録曲である。1985年は、明菜さんが脱アイドルへと本格的に踏み出した年だと言われている。その転機となったシングルが「飾りじゃないのよ涙は」、アルバムが『BITTER & SWEET』というのが定評。私もそう思う。
このアルバムは、曲ごとに作家と演奏チームを変えるという贅沢な作りが特徴だ。ただ角松敏生氏がアドバイザーとして入ったことにより、全体的にシティ・ポップ風の洗練されたサウンドに仕上がっている。そのA面5曲目に収録された「BABYLON」の作家は、フュージョン系のバンドグループ、サンディ&サンセッツのSANDII(作詞)と久保田麻琴(作曲)。サンディ&サンセッツは、無国籍エスニック・ファンク~テクノ・ポップ・バンドといった評価もあるくらい先鋭的な音楽を作っていたバンドである。よくぞ明菜さんの曲作りに起用したものだ。
その「BABYLON」は、当時流行っていたフュージョンにテクノとヒップホップをミックスしたようなファンキーなサウンド。アイドルポップスばかり聴いていた当時の私には初めて聴くタイプの音楽だった。イントロに挿入された「North,West,South&East! Looking For Love In Babylon」というラップも斬新だった。
刹那的で退廃的な歌詞
しかし、この先鋭的なサウンドが歌詞にマッチするのである。
曲のタイトル「BABYLON(バビロン)」とは、紀元前の古代メソポタミアで繁栄した都市の名前である。当時は世界最大の人口を誇る大都市だった(20万人ほどいたらしい)。聖書に出てくる「バベルの塔」や古代世界の七不思議の一つ「バビロンの空中庭園」があったという言い伝えでも知られている。
当時の私はこの曲を聴き、古代都市バビロンの宮廷で愛欲にまみえながら日々を過ごす女性(娼婦)を想像した。
「悪魔と天使シャンペンあける ここは宴のBABYLON」「今夜だけの愛でも本気でおぼれさせて」「恐いけどおりられない」といった歌詞からは、紀元前の遥か昔、日々の快楽に身を委ねて生きる女性の刹那的で退廃的な心情が伝わってきて、歴史のロマンを感じた。もちろん「BABYLON」の意味は、バブル前夜の現世享楽的な都市生活の例えという解釈が妥当だと思うが、私は古代メソポタミアを想像し、バビロンの宮廷生活に思いを馳せた。歌詞に出てくるハイウェイ、メリーゴーランド、シャンペンなども、似たものが当時も存在したのだと勝手に想像した。
印象深いのが、2番終了後の大サビの歌詞である。
私には昨日(過去)がない。明日(未来)も気にしない。人間にはスケジュールや目標(タスクやノルマ)や成果が付きまとうが、こんな生き方もアリなんだと思った。ただ明日がわからない人生は、とても恐い。「BABYLON」にも「甘過ぎて 恐いけど 止められない」との一節があるが、恐さを打ち消すほどの快楽と、世の中を達観したような潔さに憧れた。
奇しくも、同年に発売された松任谷由実のアルバム『DA・DI・DA』には、全く同名の「BABYLON」という曲が収録されている。こちらの歌詞も散文的だが、現代の都市を「バビロン」に例えているようだ。「毎日がまるで夢のようです」という一節からは中森明菜との類似性が感じられ、興味深い。
「世界へ飛び立つ明菜」のB面
こうした歴史のロマンを想像できるのは、歌詞の主人公に憑依するような明菜さんの歌唱の力が大きい。個人的な聴きどころは、Bメロで「ア~~~~」と伸ばす部分と、ラストの「不思議なパワー」の部分。Bメロからは、官能的で享楽的な想像が働いてゾクゾクし、ラストからは、翌年の「DESIRE」にも通じる恐いようなビブラートが聴ける。
この「BABYLON」は、同年5月に発売された12インチシングル「赤い鳥逃げた」のB面にも、リミックスバージョンが収録されている。こちらは作曲した久保田氏が編曲に参加し、ファンク度を増した独特の音楽世界が聴ける。
実は私が「BABYLON」を聴いたのは、アルバムよりもこの12インチシングルのほうが先だった。「ミ・アモーレ」の歌詞が異なる別バージョンが12インチで発売されると知り購入したが、A面よりB面にハマった。その勢いで、アルバム『BITTER & SWEET』も買ったのだ。
この「赤い鳥逃げた」は、もともとシングルとして発売予定だったが、ディレクターの島田雄三氏の判断で歌詞が書き直され、「ミ・アモーレ」が生まれたのは有名な話。書き直された理由は、「赤い鳥逃げた」の詞が内省的すぎて、前年から続く明菜のシングルのコンセプト「世界へ飛び立つ明菜」から外れるというもの。しかしおかげで「赤い鳥逃げた」は12インチシングルで発売され、B面に「BABYLON」が抜擢された。
1985年の明菜さんのシングルは、南米のリオからサハラ砂漠へと世界の旅を続けるが、この12インチで明菜さんは時空を超え、古代メソポタミアにも飛んでいた。こうした時空を超えた旅は、翌年の「ジプシー・クイーン」に継承されるが、世界へ旅立つ男性との前夜を歌った「赤い鳥逃げた」とのカップリングに「BABYLON」を採用したのは、「世界へ飛び立つ明菜」のB面として相応しかったのだなと、今になって思った。
以前に別コラムにも書いたが、1984年以降の明菜さんは、制作陣を次々と変えながら自分の可能性に挑み続ける “流浪する歌姫” への道であったと私は思う。もしかしたら明菜さんは「BABYLON」のレコーディングで、先が見えない不安を打ち払うように「I Have No Yesterday, I Don't Care About My Tomorrow~」と歌ったのかもしれない。そう思えば、歌詞の主人公に憑依するような歌い方にも、妙に納得できるのである。(以上)
※以前に音楽メディアサイト「リマインダー」に投稿したコラムです。ご参考まで。