自分は霊的スピリチュアル的考えを持っている、と自覚がある人ほど「表面的現実社会の社会設定・ビジネス社会」の上で踊らされていることに自覚できず生きている

少し長いのだが、とあるかたの言葉を引用させていただきたい。

ー人間と虚空(霊性)はひとつの世界。 この世とあの世はひとつの世。 現状は「この世で生きてる人」と「人間だけの社会設定で生きてる人」に分かれている。
江戸時代までは前者の世界。現状の割合は前者はほんの極一部。
今後はこの割合が反対になり変化してゆくけど、昔に戻るだけ。

『今後世の中はどうなってゆくのか』の話はよく出回っているが。
「今のこの世」は片側の「人間だけの世界」をこの世の設定としているけど、それが「本来のこの世」に戻る。
世界線が変わるとか、宇宙から…ではなく、「本来のこの世」へ向かうという。
予言とかそんなものでなく自然のひとつ。ー


そう。結局、スピリチュアル的考え方、というのは、自然を自然として受け入れられなくなった人が、魂世界どころか寧ろ現代日本社会の大流行り「枠付け、振り分け」思考にもはや凝り固まって乗っ取られた状態で行っている、社会ビジネスなのだよな。

寧ろセラピストのほうが、断然しょっちゅう―敢えてこの言い方でいえば「この世・あの世」や魂などという―根源哲学的な話を当たり前にする。

これを
「この世・あの世」
「霊が、幽体が」
「目に見えない世界・物理世界」
「~界が」
「〇〇(霊か何かの名前)」
などという言葉が多かったり、頭の中で(無自覚の可能性もあるが)仕切りがある人は、
それがあるうち、(実は一生懸命その概念を手放さないようにしている)持っているうちは、本質にはたどり着くことができない。

私自身の記事にもいくつも書いているが、これも勿論、「スピリチュアル」を否定しているわけでも批判しているわけでもない。

ただ、本当のスピリチュアルとは日本語で言えば神性だとか魂的とかいう意味。ただただもはや当たり前の現象過ぎて、呼吸以上に日常のベース、前提というだけのもので、言語化にものぼらない。
それが日本で「すぴりちゅある」という、これ自体すでに本来の意味を失ったカタカナ語、文字の羅列、現代社会大流行りのパッケージ、更に言うならば現代人を本当の魂性から引き離そうとするシステムの動きに利用され寧ろそのための勢力の一端となってしまっているということ。

そしてそれすら自覚を持たず、どんどんいつの間にか引き込まれその箱の中しかいつの間にか見えなくなってしまっている人が物凄く多いということ。

批判をしているどころか、それをやっている人達自身が自分をどんどんそういう勢力の鎖でぐるぐる巻きにしてしまっている、そしてそういう人ほど、自分で適切な療法に向くことができないほどに深く複雑な問題を抱えている(だからそれを勢力に利用されとりこまれる)、その人たちの身体の奥に痛み苦しみがある、ということ。

勿論、スピリチュアルという言葉を使う人すべてが「スピリチュアル」の意味を失っているとは言っていない、上記すべてを実はわかっている人もいるが(日本では本気で少ないが)、そういう人は、はっきり言って「その前」に余程、自分に徹底的に向き合う期間を経ている。

それに私はカードです、とか私はレイキです、とか私は占いです、とかではなく、例え心理療法の専門手法を目の当たりにしたとしても「本質的原理的に何をやっているか」全て視える。
セラピストなら逆が起こる、スピリチュアル手法のどれを見ても原理的に何をやっているかわかるのではっきり言ってできる。
更にいえば催眠…という言い方もできるが潜在意識、つまり心と身体のメカニズム、原理原則をわかっている人は、他の社会的には別領域である各種心理療法や身体的療法も、原理的に何をやっているかわかるのではっきり言ってできるし深い部分で組み合わせた複合手法も可能となる。

動物や植物との交流だってそもそもそんな言い方名前すらつける以前に当たり前の日常全ての瞬間起こっているし、自分は何ができる何ができないとか決めているアイデンティティすら既に越えてただ自然の一部なのだよな。

だから、ただの「自然」 自然と共に「ある」だけ。
自然そのもの。


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