催眠の歴史を学ぶことの重要性について

催眠療法講座を受けながら、歴史を学ぶことは重要だとは感じていたが、私自身がテキストを作っていて、本当に深く、催眠療法家、もしくは心理療法を使う対人支援に就かれる方は、催眠の歴史は学ぶことは重要であると、つくづく感じている。

私は催眠療法講座を開くにあたり、催眠の歴史は基礎講座において取り入れることになるが、歴史を学ぶにあたっては少し別枠として、まとまった時間をとって行う。テキストとしては15頁ほど、恐らく、どこのヒプノセラピースクールよりも濃密なものとなるかもしれない。

ただ、これは、私はあくまでこれを、「催眠の歴史」の講義をするだけの意図ではないからである。

理由はいくつかある。(ここに挙げるよりも多くある)

・まず、催眠というのは、心理療法・心理学・哲学・医療(医学)などの一番古い形であり、「ヒトの心」と密接に、いやヒトの心そのものを扱う学問、そしてヒトの心と身体を扱う最古の医療・対人支援であるため、催眠の歴史を学ぶだけで、これらの学問と縦横無尽にどこまでも結びつき広がっていく。その上で、催眠の歴史を学ぶこと自体、催眠療法や心理学・医療や、それらの具体的メカニズムの変遷を知り学ぶことになる。

→これは、これだけでも、セラピストの器、臨床の幅、柔軟性などに直結して影響する。知ると知らないとでは、面白いことに日々のセラピー自体に違いが出る。

・催眠の歴史を学ぶということは、対人支援に関わってきた人たちや歴史上の心身疾患者たちなどの「人となり」を学ぶ、ということである。ただただ年号や大事な部分だけを覚えるのは歴史の授業ではない。歴史というのは、「ヒト」そのものを「見る」、ヒトの人生を「共有する」ということである。
催眠療法士であるなら、前世療法や年齢退行の経験を積めば積むほど(つまりクライアントの人生を共有すればするほど)、セラピスト自身の人生や見解などなどが強烈に深まり幅を広げていくことを実感しているものであるが、まさにこれと同じ現象が、「歴史の授業」で、知らず知らずのうちに自分の内側に起こる。
エリクソン催眠流に言うなら、「歴史を学ぶ授業」自体が、人生のメタファーの宝庫、学習者がメタファーによるセラピーを受けることにもなるのである。
そして、だからこそ私は、その効果が受講者ひとりひとりの内側に植えつけられやすいような形で、講座を行うつもりである。

・更に言えば、「人となり」を学ぶ、という時点で、これは直結して「ヒトへの興味」である。催眠療法士や対人支援を目指すならば、まずこれは必須の素地である。既に人への興味がある人はそもそもこれを面白く取り入れることができる授業となるであろうし、その素養をこの授業だけでも更に伸ばすことができる。自分の中の「ヒトへの興味」「ホスピタリティ」「対人支援的な技術や理論への関心」などを感じることができていない人であれば、この授業で本当に、やはり自分は対人支援を目指したいという動機・土台を培うことになるか、それとも方向性が別であったか、自分自身の心や方向性に気づかせてもらえる重要な基礎講座の段階ともなる。
(それにより、中級以上をもし学び始めてからも、自分の動機や方向性が見えやすくなっているので、挫折や迷いも少なくなる=金銭的時間的な回り道も減るだろう)
当たり前だがこれらは自分の内側も自分にとっての世界を広げる体験、テキストに向かいながらにして広い何重にも意味を持った人生経験にも繋がる。
当然ながら私はそれをも意図した授業構成とするつもりであるから。

・「歴史を学ぶ」ということは、今、実態のないもの(もしくはもともと実態のないもの)を、全て言葉にして(狭義の概念・角度に集約させて)、見聞きするということである。
これは、これ自体、自分の中の色眼鏡…つまり自分自身が世界や人をどのように見えているか、に気づいたり、世界がどのように物事を表現するかや、世界の物の見え方・見方(どうやって見ていったらいいか)を知ることができる。そして、自分の今の見え方感じ方を再認識することにもなる。これは、催眠療法士として、対人支援者として、まずワークとしてやっていく必須のものでもある。ほとんどの人は、いつの間にか自分の物の見え方や感じ方が隣の人も同じように感じているだろうと潜在的に思ってしまっていたり、いつの間にかある人の物の見方や解釈をそういうものだと自分自身の中の潜在認識として刷り込んでしまったりしているものである。
これら自体、自己暗示の技法そのものでもある(人生は全てが自己暗示でできているから)。
これを自覚したり認識したり、しっかり深め自己をコントロールできるようになっていかなければ、セラピー技術だけを学んだところで、そのセラピーがひどくステレオタイプに偏った危険なものとなってしまう。
対人支援を学ぶ段になり、技術的にも深めるようになってきてから、当然ながら自分をディソシエイトしてみたりアソシエイトしてみたりして、主観的・客観的に自己を見つめまず自分をコントロールできるようになっていくためのワークはどんどんやっていくことにはなるが、しかしまずはこの時点で、その入り口を体験し(その入り口に入っている基礎講座であるのだから)、歴史の授業をやっていると同時に、一石二鳥三鳥四鳥で必要なことを身につけていくことができるのである。

・そして、ここまで来れば当然ながら、基礎講座で同時に学んでいることや、その後の中級講座以降で学ぶ際にも、受け皿の在り方が断然違うものとなる。広く深い受け皿で、何もしておらず表面だけなぞっている状態で同じ講座の工程を受けるより、私が同じことを話して同じワークを用いても、受講生それぞれの受け取るもの、受け取る量が、圧倒的に多く深くなる。
受講生としたって同じ値段で同じものを受けるなら、ほんの少しの工程の工夫で自分の受け皿を広く深くして倍量受け取ることができた方が、断然有意義だろう。
なぜなら、基礎講座にせよ講座体験にせよ、「学ぶため」に来ていることは変わらないのだから。


ヒトの人生は全て自己暗示である。
そして、学習におけるものは、意図的に覚えよう覚えようと学習したものよりも、「いつの間にか」「気付いたら」入っていた、身に付いていた、ものの方が、深く、しっかりと身に付くものである。

そのような意味において、メタファー(物語)を話すことによって顕在意識にはわからない内に催眠に入れたり暗示メッセージを深く入れることによって「いつの間にか」クライアントに大きな変化を起こさせていたエリクソンも、セラピーとカウンセリングとセミナー(講座やスーパーバイズなど教えること)の境界線があいまいであった、また、初、この境界を曖昧にした精神科医であったようだが、以前どこかに記事にも書いたことがあるが、私も、カウンセリングとセラピーとセミナーの内容的な境界線がほとんどない。そのことに罪悪感と葛藤があり苦しんでいたほどに。

なぜならカウンセリングの中では当然ながらセラピーが行われたり認知再構成がある種のセミナーのような形で行われたりもするし、セラピー(心理療法)の中にもカウンセリングやリフレーミング・新しい学びがたくさんあるし、セミナーなどは一番「セラピー」要素をふんだんに盛り込みやすい。なぜなら先程書いたように、受講生たちは「学び」に来ている。顕在意識が歴史の授業を受けるつもりで来ているだけに、潜在意識に認知の再構成やら生きやすくなるためのメタファーのメッセージ、心身や人生が解放されていくメッセージ、つまりそれ自体がセラピーとなるような受講生たちの内的変容促進の種を、こんなに撒きやすい場面はない。
逆に、私は「授業」の時に「授業」だけをして何の意味があるのかとすら思ってしまう。いや、寧ろそんなことはできないだろうとも。
逆に見事に「顕在意識にテキストの内容だけを教える」ということができたならば、受講生たちは何一つ覚えず身に付かずに帰るだろう。覚えたとしても、数日で日常の生活にまみれる中で完全に忘れていくだろう。
そうしたら授業自体の意味がない。
受講生たちの潜在意識とラポールを築き、テキストの文字面を通してその奥に本当に学ぶべき必要なものに繋ぎ、それを潜在意識に植えることができる種として渡す、これが授業・講座というものの在り方であると私は思っている。


来年より、催眠療法士(初級・上級ヒプノセラピスト)資格取得可能な養成講座を始動していきます。
現段階でも既に、そのための受け皿を広げ深めておくことのできる、ヒトの心や身体の法則の講座や催眠療法では必須となってくる心理理論の講座も行っております。
講座開設準備のため、Websiteは改造中で現在の活動が反映されていない部分もありますが、個々に合わせ無料事前個別相談という形であなたにぴったりな学び方やセラピーの受け方など、紹介しております。

催眠の歴史に関しては、基礎講座(プラクティショナー資格取得可)の中に組みこんでおりますが、歴史のみの受講も可能な形としております。
ご興味のある方は、ぜひ、お問い合わせフォームよりお気軽にお声がけくださいませ。


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