体細胞療法・描画療法
…と、題をつけてはみたが、ただの日常記録である。
ただ、催眠療法の中でも少し認知度の低い、簡単に言えば少し珍しい手法、また、催眠療法における身体的アプローチ、催眠療法による整体、と言ってもいいかもしれない、そんな手法にご興味のある方には、面白く読んでいただけるかもしれない。
そして、催眠療法自体の効果だけでなく、潜在意識と顕在意識の意図的な行き来が頻繁になると、どのようなことが起こるのか、興味のある方には、私の日常記録の部分も面白く感じられるかもしれない。
更には、描画療法と催眠療法の親和性などにご興味をお持ちの方にも、面白く思って頂けるかもしれないと思い、記事としてみようと思う。
催眠下にどっぷり浸かる一週間となった
何とも私自身の顕在意識で意図していたわけではないのだが(恐らく潜在意識では緻密に計算済みだったようだが)、まあ深い催眠に浸かりっぱなしの1週間を過ごしている!
まだその週間も終わっていないわけだが、
まず月曜日にソマティック・ヒーリングのセッション
(実は顕在意識にとってはここから既に予定外であった。この日急遽施術をすることとなった)
そこから火曜日、描画療法
(これも予定外。この日、まるで別の顕在意識でのいわば授業をするはずが、急遽こちらをすべきとの判断で内容を変更)
水曜日、催眠療法トレーナー養成講座の受講
(これは予定通りだが、昨日の記事となったエリクソン催眠)
木曜(本日)、同じく講座の受講
ちなみに金曜も催眠療法を使う勉強会を予定しているため、セッション自体は少ない週のくせに週5で催眠浸けである。
ちなみに土曜日もセッションが入るところだったのだが、日曜から泊まりがけで出掛ける予定があるため、流石に器がもたないと判断し、しかも受講している講座の最終日の課題となるプレゼンテーション準備ができなくなってしまうため、更にこの2週間ばかりまるで楽器を触ることもできていないので、予定を入れずにおいた。
現在思わぬ消耗が立て続いており、本能的に(潜在意識が)行ったこの判断は、本当にありがたかったと思っている。
ソマティック・ヒーリング(体細胞療法)ー心と身体の関係
さて。
月曜日、実は急遽であったのだが、ソマティック・ヒーリングという手法でのセッションを、しかもオンラインではなく珍しく対面で行った。
ソマティック・ヒーリングとは、日本語では体細胞療法と訳される。
非常に短く説明してみると、心と身体は繋がっている、心と身体はイコールであるという考え方において、催眠療法(催眠自体も心にアプローチするために身体の反応を利用するものなのだが)の技法をベースとして使って、しかし催眠下でメタファーカウンセリングをするのではなく(前世だとかハイヤーセルフなどを介すのではなく)、直接クライアントさんの身体に聞く、直接クライアントさんの身体に応えてもらう、クライアントさん自身の身体にクライアントさん自身の身体や心の問題を調整・解消していってもらうという技法である。
ちなみに説明を加えておくと、心の問題と身体の問題は常にイコールであると考える。心に問題がある場合は、身体(骨格・筋肉・内臓など)にも必ず対応する部位に歪みがある。非常に腕の良い整体師などは、この仕組みを非常に良く知っており(もしかしたら本能的体感的なものなのかもしれないが)、「ああ、この精神疾患は身体のここが~で~なってるから…」などと言って、精神的な疾患も整体で治してしまったりする。
同時に身体に歪みがある人は、自覚しておらずとも、心に問題を抱えている。
どちらかが健康なのに、どちらかだけ不調がある、ということは、決してあり得ない(問題が深すぎて歪みが大きすぎて、本人に自覚がない場合はあるが)。
そのため、ソマティック・ヒーリングは、もちろん心の問題が主訴のクライアントさんにも施術できるが、
・なんだかよくわからない(言語化しにくい)身体の不調
・明らかに身体の不調なのだが、身体の医者に行ってもストレスだとか精神的問題だなどと言われるもの
・医学的に原因不明であったり、難病指定されており身体的治療の困難なもの
などを扱うことを可能とする。
まさに、ホリスティックなアプローチ手法である。
今回のクライアントさんも、心の問題があるのだが(寧ろありすぎるのだが)、なかなかうまく直面できない、言語化して向き合うことができないクライアントさんであった。
このクライアントさんはソマティック・ヒーリング自体は初めてではなく、更にいろいろと諸事情が重なり、クライアントさん本人のたっての希望で、急遽その日に行うこととなった。
ソマティック・ヒーリングの中にも種々の手法があるのだが、今回は、その中でもソマティック・ヒーリングらしい、だからこれをソマティック・ヒーリング(体細胞療法)と呼ぶのだ、と納得の行くような代表的な手法を用いた。
そしてこれはなんと、催眠療法では珍しい、グループセッションの方が効果が強力に倍増する。
このクライアントがこの日にたっての希望をしてきたのはこの理由もあったのだが、この日は、アシスタントとして協力してくれることのできる人たちがいた。
私は普段基本ひとりで催眠療法セッションをしているので、この手法においてもマンツーマンで行っていた。アシスタントを入れたセッションは(無論アシスタントへのレクチャーも)初めてであったため、私にとっても大変貴重な体験であった。
さて、そして、再認識を深めたことが、この記事で具体的なことを説明する気はないのだが、やはりグループでクライアントを囲むようにして行う方が、断然効果が何倍にも膨れ上がるということ。非常に深く、濃密なセッションが可能になるということ。
そして、催眠療法というものは当然ながらクライアントだけではなくセラピストも一緒に深い催眠状態に入るので、アシスタントたちの奥深くでも大きく動きを齎し、好転反応まで出るような手法である。
私も思わず、週の初めから一気に深い催眠状態を体験した。
描画療法
実は、これは私の得意な手法ではない。とは言わざるを得ない。
というのは、理由としては専門として深く研究したことのある手法ではないということと、私自身に視覚認識の問題があるため、クライアントさんの絵を私自身が見ただけでは理解できない、認識できない、寧ろ大半のケースでは色や絵自体も見えていないことすらあるので、通常の描画療法の教科書的なやり方で行うことは私は不可能と言わざるを得ないのだ。
そのため、かなりの独自の工夫を加えて行っている。
いやしかし…、実はあまり得意ではない、という自覚はないのだが。ある意味、寧ろ好んでいる手法のひとつであると言っても良い。
というのは、描画療法やコラージュ療法は、催眠療法と非常に親和性があるからだ(私は顕在意識的な方面からこの療法は専門として深く研究しているわけではないので、これから書く説明は、催眠療法的角度からの考察・説明となっているかもしれない)。
昨日の記事(エリクソン催眠)と読み合わせていただけばわかりやすいかもしれないが、これは、クライアントには、一体何をやっているのか、これが本当にセラピーなのか、まるでわからない。セラピーでただ単に楽しく子供心を全開に解放してお絵かきをして、色を塗って、なんだかわからないが楽しかった、あれ、セラピーはこれで終わり?何かセラピーをしてもらえたのかこれは?!と、狐か狸に化かされたような状態になるのである。
しかし、まずこれ自体がセラピーになる。交流分析でいうところのFC(簡単に言えば子供心、無邪気、潜在意識の扉を開けることができる部分ともいえる)をごく自然に自分から解放する。いつもいつも自分の「~せねばならない、しなければならない」に自分自身を固め縛っているクライアントさんが、自然な本人の状態を、いつの間にかさらりと出すことができるのである。
催眠療法で言えば、これは催眠誘導の段階であると言っても良いかもしれない。しかし”真面目な”催眠誘導ではできない方法でもあるのだ。
そして更にはこれ(この行為)自体がクライアントへの深い暗示となる。「この解放された状態でいても良いのだ」という暗示が言外に入り、リラックスして楽しい状態でいることをそれだけで日常でも受け入れることができるようになってくる。
※もちろん、絵を描くこと自体が嫌いなクライアントさんにはこの手法は適切ではない。が、私のクライアントさんは、なかなか絵を描くことを好む人の割合が多いのである。コラージュでも同じなのだが、面白いことに私のクライアントさんはコラージュはあまり好まない傾向があるので、現在までほとんど取り入れない。
そして、クライアントさんの描き出す絵は、潜在意識がそのまま具現化する。
…まあ、私は潜在意識を「眼に見える」形で具現化するより、潜在意識が伝えてくるものをこちらの潜在意識と顕在意識の双方で直接受け取る方が得意である(寧ろ「眼に見える」形にされると情報量が少なすぎて&私の視覚が利かないので見えない)ため、ここにはかなりの工夫を取り入れているのだが。
しかしその分、やはりいつもと少し違う角度から、言語化可能な気付きがたくさん生まれ、解析・分析しやすくなる(同時に副作用としては、言語化やパターン化を無自覚にもしてしまいやすくなるため、読み取り間違いを考慮する必要がある)。
そして、クライアントさんが描いて来る小石たったひとつとっても、そこから、このクライアントさんの現在の状況、過去、未来にどうなるか、更には心境や人間関係や外側の状態や今後のセラピー方針、セラピストへの指針やメッセージまでも同じものを使って40も50も意味を伝えて来てくれる(これをどうしても顕在意識で受け取るため、40、50と意味を受け取っても相手の潜在意識の伝えてくれている量の100分の1にも満たないかもしれないが)。
そして、絵を描いている過程でも、潜在意識がクライアントさんに影響するため、これ自体がクライアントのセラピーとなり、変化が促されている。
更にもっと恩恵がある。
雑談的に対話がありながら作品を作っていくので、ある意味私の真骨頂(昨日の記事参照)、クライアントさんの顕在意識(潜在意識の門番)に「絵を描く」という玩具・気をそらし道具を渡しているようなものなのである。
作品を作りながら、その中の雑談の裏で潜在意識にどんどん大量に暗示を入れる(催眠療法を行う)ことができる。更には絵を描きながらであるがゆえに出てくる情報があるので、これを利用して深い暗示に繋げることもできる。
どこまでも底なしの可能性のある手法なのである。
…ただこの手法のひとつ、私の残念な点は、自分自身で自分自身を実験台に施術して研究することができない点だ。
なぜなら、描画療法はロールシャッハテストなどと同じで、自分自身ではその作品を分析・解析することが不可能だからである。もしそれができる(つまり潜在意識からのメッセージをダイレクトに受け取ることができる)ならば、描画療法をする必要自体ないわけであるから。
研究仲間が欲しいところである…。
そして、当然ながら、私は描画療法を潜在意識の手法として行っているため、私自身もなかなかに深い催眠下において行う。その上に前日、非常に深いセッションを行ったばかりであるので、なかなかどっぷりと濃密な気付きの多い描画療法となった。
さて、そんなして、連日で深い催眠状態にどっぷり浸かっていると、また顕在意識と潜在意識を意図的に頻繁に行き来していると、潜在意識と当たり前のように繋がりやすくなってくる。つまり、自分自身と重なり自己一致してくるわけだ。
そうすると、とんでもなく深い領域で信じられないほどに気付きが加速する。
実は先週からもこれは繋がっているのだが(というより今までの自己分析が全て繋がって弾き出されたものではあるが)、その中で昨日、必然において弾き出された、まるで今までの人生が事ここに来て全て繋がったかのような、激しい雷の直撃を受けたかのような経験が、昨日の記事である。
その上で今日、明日、明後日と、私は今度はどのような世界へ運ばれることであろうか。
しかも、これまた恐らく潜在意識の予め仕組んだ必然であろう、日曜日からは、表面的には私の仕事の活動とはまるで関係がないのだが、恐らく人生では滅多に経験することのできない体験をしてくる。
潜在意識は、常にこのようにして計り知れない飛躍を準備してくれている。
これは実は誰でもそうだ。
これを、この人生の跳躍飛躍の準備として受け容れ、そこに抵抗して(力を入れて)溺れたり沈むことなく、波の上に乗っていこうと思う。