現代のすべての教育・人生に繋がる生きる土台が…―点字図書の会こころのめの理念のひとつ

現代の、子供向けとされている音楽(歌)やお話などにしても、表面的、一瞥には子どもに向けたような言葉遣いや教訓やオノマトペのようなものを入れているように見えはするが、まるで違う。

イメージだけ喚起しやすくすればよいものではない。 そこで子供にその子の人生の種や栄養となる暗示がまるでおかしくなっている。
しかもそれだけでなく、暗示とは、その場限りのものでは何の意味もない。その子が今後とも透き通った風、真の根源のエネルギーを求めて行く、今後とも全てを自分の糧とし自分の中の種をしっかりと育てて行く…そのような永続的に働く暗示である必要がある。

また、現代の子供が、いかに本当の国語・道徳の教育を受けず(少なくとも受け取らずに)育ってきてしまっているか。これはもう人間の土台となるこの2つの力。
そしてこの2つの力を育てるにも、学校教育以前に、読み聞かせや日常に本当は溢れていたはずの童謡が本当に深く深く関係している。そして、国語・道徳にしても、その授業その瞬間のノリやその瞬間のテンプレート的教えを貼り付けるように身につけるだけではなく、学校教育や家での国語・道徳教育というものは、そもそもその子の魂(根源)からその子に実は常に与えられている国語や道徳の授業をちゃんとその子が受け取り続けることができる力、つまり自分自身で自分自身の中の種を大きな国語(言語や世界を見聞きし感じて知る力)や道徳(倫理であったり人生の信念・推進力などなど)として大きく大きくどんどん育てて行くための力こそを育てるためのものであるはずである。
しかしそして、学校や家でのそういう教育をそういう教育として子ども側が「受け取ることができる」状態を作るのも、そもそもの日常、現代の核家族でなく何世代も何世代も一緒に生活していた大家族(核家族でも…なのだが)の日常の中で自然に満ち溢れている読み聞かせや童謡などが仕込まれるからなのだ。

児童文学、文学研究などにしたって、そもそもわざわざ「そういうことをしなければ」言語化以前の深いところに繋がれる「ための」道の糸口(まだまだ言語)のこと(内容・情報)すら受け取ることができないほどに、土台となっているはずの本当は当たり前についているはずの「知識」がないからだろう。わざわざそういうことをしなければ、ただの表面的な「文字の羅列」としかいつの間にか現代人は受け取れなくなってしまっているからだ。
季節を感じとる、視点を感じとる、それらすべてを通して奥底にある膨大な言語化(圧縮)などできようのない情報やメッセージを受け取る力…


現代の子どもは、本来ならばそこに入れるべき神髄(国語・道徳と表現しても良いが…)や、それを自身で育て続ける力を入れるはずの場所に、どんどんどんどん自分から透き通っていない濁ったものをまるで正義か透き通ったものと本気で信じているかのごとく入れては詰めまくっている。


私とて、現代に生まれ現代の教育を受けてきたし、私こそといっていいほどに数年前までは心も身体も魂も全てがバラバラだった。交代人格120人越えの精神障害と身体障碍の宝庫のような状態であったのだから。
しかし、なぜ今、こういうことを感じているか。
私は奥深いところからこの器を見てきたが、私は何やら、とても言語化できない感覚なのだが、何か魂状態がそういう国語道徳を受けてきたような気がする。
どこかで受け取っていたものが、何も繋がっていなかったが、私自身の徹底した深い深い自己セラピー、幼い頃や成長段階で体験した要素要素の欠片を、まるで折り紙の最終形態のようにがばっと一気にひとつに繋げてきたのだ。

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