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離れて見えるのに近づいている?近づいているとしか感じないのに離れている?―宇宙も日常も全て錯覚でできている

写真は、実家で撮られたもの。
もともと天体には興味があったが、特にここ2年程だろうか、世間でも、今夜は〇星と△星が接近する、今夜は◇星と☆星と△星が接近して一直線に並ぶ、彗星が…など、情報が多い。

実は私個人はというと、もう夜空を観察することは(そもそも”視よう”とすること自体)かなりの負担であるしそもそも認識できない、写真になってもうまく認識できないのでよくわからないのだが、しかしながら、良く入ってくる、「今夜はこんな天体現象があります」というような情報を得るのは、好きである。

ところで、こういう「天体ショー」の情報では、
「〇星と△星が接近します!隣り合わせに並びます!」などという表記をされることが多いが、当たり前ながら、これは実際に「距離が近くなって」いるわけではない。

〇星と△星のそれぞれの軌道上の位置関係として、”地球上の人間の目から見る角度”からは、まるで近づいているように見える、というだけの話だ。
場合によってはまあ実際距離が近づいてもいるという場合はあるかもしれないが、その場合であっても、「近づいて隣り合わせに」来ているわけではなく、それこそその星とその星の間には地球が何百個何千個並んでも届かないような距離の隔たりがあるわけだ。もしその星たちに意思があったら、お互いの存在すら知るものではないだろう。星たちはそれぞれ、自分でただ自分をあるがまま生きているというものだ。
我々の目線角度から、勝手に、〇星と△星が近づき合っている!と決めつけて見えているだけなのだ。

更には、我々には〇星と△星が隣り合ったかのように見えるかもしれないが、実際はその間の何万光年という距離の間に、それこそ無数の大小の星が存在する。

地球上からの角度からは見えない星もたくさんあるだろうし、光の反射具合やここからの距離によって、実は小さく薄く光って見える星もあれば、人間の肉眼などではまるで見えないような星もある。
しかし、その星たちですら、”地球との距離”で見えかたが変わっているだけであって、実は〇星や△星よりも地球よりも断然大きな星かもしれない。薄いから遠いと思いながら実は一番近くに寄り添って見守っている星かもしれない。また、本当は非常に大きく光り輝いて見えて然るべきはずの星であっても、地上の街中のネオンの明るさが邪魔をして、人間の目には見つけることができないような場合もたくさんある。
本当に当たり前の言い方ではあるのだが、東京都心などでは星が出ていない・星がない、などというわけではなく、ただただ、私(あなた)の目に見えていないよというだけなのだ。
あんな薄い小さな星、気付かないよ、見えないよ、ちょっと視点を変えて別のところを見てからもう一度見ようとしたらもう見つかりっこないよというようなこともあるだろう。
しかし、そういう星こそ、実は我々が立っている地球よりも何倍、何十倍も大きな星かもしれないのだ。
逆もある。あなたの目にはとてつもなく光り輝いてあれは絶対巨大な星だと思っていても(まあ我々から見ればどれも巨大には変わりないのだが)、実は天体的に言えば非常に小さい星だったりもする。
そして……”見えない星”は、それこそ本当に、もしも見えたらばあなたの目からは全天空を埋め尽くしても埋め尽くし足りないほど、ある。

人間の目(目だけではない、五感での認識)も、実はそういうものである。
ヒトは、自分から”見える角度”のみで、いつの間にかつい「現実がこうだ、事実がこうなのだ」と、絶対値として決めつけ思い込んでしまう。
これは、実は、例えどんなことに対してもそうである。この文章を読みながら、「確かにそういうことは多いかもしれないけれど、物によるでしょう。こればかりはやはりこうだし、これについてはみんなもそう思っている(見えている)はず」などと思いたいものもあるかもしれない。
しかし、実はあなたの五感が感じているもの、すべて、あなたが今自分で気付いていない程 日常 当たり前過ぎるレベルで感じていることまでも、すべて、この天体の見え方と同じなのだ。

人間関係というものもそうだ。
ヒトというものもすべて。あなた自身も。

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