自分自身の生き方と尺度(ものさし)

正義の尺度は声の多数ではない。―シラー

ひとには、それぞれの生き方、生まれた時代や文化、基準、背負った背景があります。
また、ひとにはそれぞれ、今世の人生で成そうと持ってきたもの、という言い方をすると運命論的な言い方にも聞こえかねないかもしれませんが、要するにそれぞれの使命、義というようなものがあります。
(ただ、それでいながら共通点もあって、その共通点というのはその魂―個人的無意識それぞれが決めてきた今世の人生における必要な気付きであったり、幸福、心地良さ、感謝、愛などの言葉で表すことのできる根源のエネルギーであること、これは変わらないとは思うのですが…これもまた明日あたり記事にしようと思っています。)

そして、それらの「生き方」によって、世界や自分自身に対する見え方の角度は異なります。
わざわざ今、その角度を選んでいるのです。また、その角度を選ぶから「生きやすい」逆に「生きやすい」角度を選んでいる。
別の言い方をすれば、「この見方が生きやすい角度なのだ」と思い込んで不適正ななぜか生きづらさを感じる角度からしか世界や自分のことが見えない色眼鏡をかけてしまっている人や、その上でも「これが自分の救いなんだ、これが生きやすいんだ」と信じ込んでいる人もいます。
私たちセラピストは、そういう人たちの不適正な(その人の人生には何かズレている角度、生きづらい)色眼鏡ー歪んだ認知構造を、カウンセリングやセラピーによっていつの間にか生きやすい角度の眼鏡(世界や自分の見え方感じ方)に修正したり再構成していく、ということをしているわけですが。

そして、そもそもですが、ひとの五感というものは、それぞれに見え方・聞こえ方・感じ方も、あなたがたが思っているよりも実はまるで違って感じているものなのです。
ただ、あなたは隣の人にも目の前の人にも「成り替わる」ことはできないので、その人の五感での世界の捉え方はわかりようがありませんし比べようがありません。
大抵、自分の見えているものは他人にも同じように見えているだろうとひとは思いがちですし、言葉では似たような表現に聞こえる(この”聞こえ方”も、実は自分の主観で自分に近づけて受け取っているわけですが…)かもしれないし文化的な言い方で似通うようになってはいますが、実はあなたが思っているより、まるで違うものなのです。
私たちの文化は、感覚の在り方の種類があからさまに異なる(というようにわかりやすく区分けた)人たちのことを「障碍者」と分けます。が、例えば同じ弱視者たちの中でも人によって見え方は本当にさまざま。こういう例えをすればわかりやすい人もいると思います。
が、この弱視者たちの中でも、本当にひとりひとり様々な見え方は、数値化することができないのです。
これと全く同じように、あなたも隣の人も目の前の人もみんな、数値化できないような複雑さにおいて、実はみんな”著しく”五感による世界の受け取り方は様々なのです。
…この辺りは、もしご興味のある方がおられましたら、私はセミナーにおいて理論を伴いわかりやすく詳細に解説しています。

さて、そんなそもそもが一人一人全く違う、世の中や自分自身への見え方感じ方をしている人たちが、更には全く別々の言語体系・時代・文化・社会的背景・更には目的使命のもとに生まれ、それぞれの生き方を形作っているのです。

同じものさしは、どこを探したって絶対にありっこありません。

あなたの尺度は、あなたのもの。
そして、他人の尺度はあなたの尺度とは違うし、あなたの尺度を他人に押し付けることも、決して噛み合うことはありません。

正義、などと言うものは尚更ですね。


ただし…それでも、現代の世の中、なぜだかどうしてもついつい、または自分ですら気付かないうちに、
自分の尺度(見え方)が他人も同じだと思って押し付けてしまったり、
押し付けられていると感じたり、
”押し付けられていると感じる尺度(見え方)”を育てて自分に植え込んで苦しんでしまっていたり、
”尺度が違うこと”、実は自明の事態になぜだか戸惑い苦しんでしまっていたり、
尺度が同じでないと気が済まなかったり、
いつの間にか何でもかんでも他人の尺度と比べたり、
いつの間にか何でもかんでも自分の尺度がこれでいいのか合っているのか間違っているのか人生の時間すべて潰しながら探し回っていたり(それが当たり前になり過ぎて自分が人生の時間の全てをそうやって過ごすことに浪費していることすら気付いていなかったり)、
いつでも誰かの尺度を求めていたり、

そんな人が、増えに増えています。

この記事が気になって読んでいるあなたも、何かご自身の生き方にひっかかりがあるのかもしれません。


こういう方々は、実は、他人の尺度や世界の基準が気になったり必要なのではなく、
「自分の尺度」がまだわかっていない人がほとんどです。

少しだけ話が変わりますが、「自分のペース」という言葉を頻繁に口にする人たちがいます。
「自分のペースでできない」「ここは自分のペースでいられないから嫌だ」「この人といるとペースを乱されるんだ」「自分のペースでいられる場所がない」「誰とも、どこでも、ペースが合わない」などなど。
これも…実は、他者のペースや環境のペースが問題なのではなく、そもそも「自分が」「自分のペースを」まだ知らない、わかっていない場合がほとんどだったりするのです。

自分のペース、なども含めて、自分の尺度、というものは、自分の個人的無意識(潜在意識)の中にあります。
なぜなら、個人的無意識が今世のために持ってきたあなた自身の使命、生き方のために、それがあるからです。

自分で自分と対話できておらず、自分の見え方の角度が、ご自分の生き方や生きている段階に対しては実はもう少し見えていたいというところで、まだ自分のごくごく一部分しか見えておらず、自分の尺度が自分の中に埋もれてしまっており、自分の尺度が見えていない、自分の尺度がないも同然の状態でいて、その上で更にそのこと自体にも気付いていないから、他人や環境の尺度ばかりが「見えて」しまうのですね。

自分の尺度をちゃんと自分で感じることができるようになっていれば(これは頭ではなく体感の問題で、いつの間にかそうなっている、という話なのですが)、実は合うも合わないも、他人の尺度も環境の尺度もほとんど感じなくなります。
そして、相手に合わせるでもないし乱されるでもないし、ただただ自分の心地良さを保ったまま、自分自身の心地良さの中に在ったまま、社会の中や世界の中でも生きることができている状態に、いつの間にかなっています。


自分の尺度というのは、そもそもが他人や環境と合う・合わないとかいう次元ではなく、本当に自分自身を生きている時、いつの間にかただ「歯車」がぴったり機能している状態なのです。
ぴったりはまり込んで最大効率を発揮している歯車というものは、自分とあいつは違う形だ、あそこが違うここが違う何故違う、ああここは同じだなどということなどまるで気にもならず、ただただフィット感心地良さ・安心感を感じて「自然体でそこに在って発揮されている」ものです。


もし、今違和感を感じておられる方、
または興味があって学びたい方など、
いつでもお気軽にメッセージをください。

潜在意識へのアプローチをベースとしたホリスティックで多岐に亘るカウンセリング・セラピーや、
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あらゆる角度から多数展開しています。

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