あなたの人生の成功体験は、あなただけのもの―独りで転んでしまわないための方法

馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。
だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。-ゲーテ

以前にも記事で取り上げたことのある、ゲーテの言葉です。

これは、結局人生は孤独だ、という意味では、決してない。

と、セラピストをやっていて、最近また殊につくづく思います。

人生の目標(もちろん最後の目標だけではなくて、通過点である途中途中の小さなゴールも全て含めて)というのは、あなただけのものです。ひとそれぞれ、みんな違う人生のゴール(通過地点の目標、小さな目標、大きな目標など)を無数に持っています。

方向性を同じくするひとや、道をゆくことをサポートしてくれるひとと一緒に進むことはできる。
しかし、それは同じ道を共にしているかもしれないけれども、その道の中で見ている景色や、あなたが一歩一歩目的としていた通過点や目標地点に到達した時のすばらしい成功体験は、あなただけのものなのです。

そして、その成功体験をあますことなく”その身”で得るために、
得るためにも、得るためにこそ、
それまでの道のりを、馬や、車や、二人、三人で行くことを選んだ方が、良いかもしれないのです。
それまでの道のりを、馬や車や二人三人、あらゆる方法がありますが、そういう方法を選ぶからこそ、最後の一歩を自分で、自信がついてすがすがしい状態で、堂々と、最後の一歩を踏んで、ご自身だけの成功体験を味わい尽くすことができるのです。

同じ最後の一歩を踏み出すのでも、例えばですが、その地点に関して詳しい人や自分では見えきれないあらゆる可能性を見渡すことのできる人が隣でそれまでの道行きを一時であれ共にしてもらえれば、あなたのその一回一回の成功体験自体、何倍何十倍も大きな物にすることができます。
そうすると、その次の達成目標への自信や効率、速さ、達成率、その成功体験自体の大きさも、爆発的にあがります。

しかし、今の時代、現代の日本社会では、核家族化や孤立化、縦割り社会が進み、その体験を知らずに、最初から最後まで自分独りだけの力で登り切ろうとする意固地になってしまう人が増えています。
また、その自分の目標までにどうやったら到達できるか、視野が狭くなり、それまでのペース配分や体力配分や方法の工夫などもできずに、客観も俯瞰もできず、俯瞰した位置から見たらほんのちょっとの工夫で簡単に到達できるのに、ただただもがく人が増えてしまっています。

私は、クライアントさん達に良く非常にわかりやすいと言われるので、意識領域(顕在意識)を目の見えない人、白杖使用者と例えることがあります。
ひと(意識)は、自分の人生の道をあゆんでいますが、”人生の道”は、見えていません。見えない道を進んでいるのです。
しかも、人生の道は、登山です。階段です。

私は物質社会の方で実際に白杖を持って階段を歩いているとき、まだ白杖の使い方が下手なのでしょうかね、案外よくあるのですが…
もし、白杖を持って、階段をのぼっていて、ある時つんのめりそうになったり、踏み外しかけたり、少しいびつな階段で次の段の境がよくわからなかったりしたら……どうしますか?
…いったん、まず、止まりませんか?
止まって、改めて、周りの状況だとか、今いる地面だとか、一歩先の路面だとか、今向いている方向(僅かな身体の方向のズレで私たちは階段を目測を誤って踏み外します)だとか、じっくりしっかりと確認をしますよね。
そして、それでもよくわからなかったり自分が焦燥感や動悸、驚き、パニックなどを感じていたら、そしてそこに手引き者がいたら、ですが、聞きますよね。
私も白杖を使い始めた時はまるでできませんでしたが、最近になって、ちょっと幅の広い道を歩く時、横断歩道を渡る時…ちらりと、「今、これで方向合っていますか?」と道行く人に確かめさせていただくだけでも、どれほど大きな安心感かと、知るようになっています。

しかし、目が見えているつもりで”人生の道”が見えていない顕在意識たちは、ついつい、見えていない階段を”見えていない”ということ自体が自覚できていない(気付いていない)ために、見えていない人生の階段をふと踏み外しそうになったりぶつかったりつんのめったり、杖の先が次の段に当たらず「あれ?!?!」と混乱してしまったときに、なぜだかついつい、立ち止まるどころか逆に(寧ろ反射的に)突如だだだだだだっっ!!!と、4,5段一気に駆け上がろうとしたり飛び越そうとするような反応を起こす人が、現代人に非常に非常に増えています。
そして、今ある状況や条件を勝手に決めつけ、自分の可能性が見えていないだけで在ることにも気付けず、これはだめだだめだいけない!!!と、頭ごなしに自分を貶めたり。

…人生の道が”自分には見えていないのだ”ということに気付いていないのはそもそもなのですが、人生の道と同時に、あなたは、道行く通行人たちのことも、見えていないのです。
実は、あなたの階段をのぼる様子を見守っている人たち、実は周りに案外、いるのですよ。

私も、白杖歩行を必死に始めたとき、周りの通行人がどこにいるか、いや、いるかどうかすらも、当然ながら目では見えないわけですが、「自分が見えていないだけで実はいるんだ」ということにすら、気付いていませんでした。
そして、そういう時は、私は自分独りでやたら周りをせわしなく杖で探って探って、周りの人からは声をかけるような隙すらなかった雰囲気だったのかもしれません。
ここ数か月になって、不思議なほどに、私は、道端で、いろいろな人に声をかけていただいたり、ほんの一瞬(電車の乗り降りの瞬間だとか道路を渡るだとか)を気軽にお手伝いしていただけるようになりました。
また、私からも、だんだん少しずつですが、人の気配の方向に声をかけて、手伝ってくださいとSOSを出すことができるようにもなってきました。

そして、セラピストをやっていると、本当に、クライアントさん達はこれと同じなのだとひたすら痛感するのです。

目の見えない道で、でも「見えていなければいけないんだ」というような潜在的な認識がどこかにあって、見栄のようなものやら虚栄心やら重なったりして、あとはある種の自棄のようなものが発動したりして、ばたばたばたばたっっと駆け上がったり飛び上がったりしようとすれば、転ぶだけです。しかも、ひどく痛い転び方をします。下手をすれば今まで上ってきた段もすべて転がり落ちかねません。
しかも、近くで見ている手引き者たちも、支える隙も手助けする隙もありません。

ふと違和感を感じたら、まず、とまりませんか。
そして、自分の足場を、ゆっくりと確かめて良いのです。杖や、足の裏や、全身を使っても。

すると、なんとなく、自分のいる位置が、僅かばかりわかってきますよ。
これは、不思議なことですが、実際の白杖使用者と同じです。目に見えない人生の道の方でも、僅かばかり不思議なことに、落ち着いて、何かが少しわかってくるのです。


…白杖使用者は、移動が一番困難です(と、私は感じています)。
例え歩くことには然程支障はなくとも、体力もあっても、白杖で道を歩くことは、全身のアンテナをフルに使います。少しの距離でも、大冒険のように疲れます。
しかも初めての駅に行ったりどこに止まってどこに降ろされるかよくわからないような電車での移動は、私は大抵、駅員介助をお願いするようになりました。ひとりで行ったら、5分で行けるところを1時間迷ったりします。
疲弊しきってしまうのです。
駅員介助をお願いして手引きしていただく安心感、それによって削減される疲弊感、どれほどのものか。それでいながら、目的地に到着するのは、最後の一歩を歩くのは私ひとりです。
しかし、駅構内や電車のことがよくわかっている駅員さんの手助けがなければ、私は駅というダンジョンを抜けることができません。抜けられたとしてもとてつもなく非効率なやり方で、晴眼の方から見れば僅かな方向の違いで1分でつける、おしい、というところを、その僅か方向がズレていたがために全ての壁を手探りで開拓せねばならず1時間かかって駅から脱出するまでには疲弊しきっていたりします。
白杖使用者の歩行における疲労や疲弊感などは、晴眼の方にはなかなか想像もできないのではないかと感じます。


…目に見えない人生の道も、同じなのです。
あなた自身には今見えていなくても、あなたの道の目の前の大石や壁や、あなたの身体の方向のズレが見えている人たち、あなたの今いる人生の岐路や領域に詳しいひとたち、案外いるものです。見ているものです。

対人支援に携わる者は、心理職は、殊に、その専門家です。
カウンセラーや心理療法家は、心の病気を治すものだというイメージをもたれがちですが(特に日本ではそのハードルが高い)、本来は、「あなたには見ることができていないあなたの人生の道において、あなたに本当に今必要なこと、やりたいこと、行きたいところ」にあなたが気付き、そのために適切な方法を一緒に見つけ出す、手引き者なのです。
そして実際アメリカなどでは、催眠療法家やカウンセラーはそのような気楽(?)な使われ方をしています。
(まあ……そんな背景があるだけに、日本では確かに何かの技法の技量ばかり高くてこういう基礎的な土台部分ができる対人支援家がもしかしたら逆に少ないかもわかりませんが……)

そして、あなた自身には見えていないから「ない」と思ってしまっているかもしれないあなたのまさに目の前に転がっている人生の可能性、人生の道…人生脚本を見る”眼”を訓練してきたセラピストには、実はたくさん、視えていたりするのですよ。

止まりたいけれども止まれない、止まるわけにいかない、こけそうになったらもはや大惨事になろうが階段をつっぱしり飛び上がろうとするしかない、
いや、もはや自分が止まっているのか動いているのかすらもわからない、
私のやりたいこと、行きたいところは一体なんなのだろう
人生が苦しい、しかし何をどう克服すればいいのか、できるものなのかもわからない

…私に、声をかけに来て下さい。
どの道遠回りで効率がわからなくなっているなら、少し寄り道して、お話、聞かせて下さい。それこそ、それは寄り道ではなく、今まで踏み外したまますっ飛ばそうとしていたあなたに必要な大事な一段かもしれません。
あなたに必要なものは、人生の現段階での優先順位。今、あなたがしたいこと、やりたいこと、今のあなたに必要なこと。あなたがやりたいこと、行きたい道に効率的にそして余力を残したまま効率良く到達できるために、今何をすればいいか、どうすればいいか。
専門家には、それを探るための、培ってきた知識と知略、戦略を捻りだす手品師のような技術があります。
心理専門職、対人支援職というのは、「心の病気を扱う」前に、ひとりひとりの「人生」のための、軍師なのです。

あなたの人生に、軍師が必要だな、いたらきっと良いな、という方は、ぜひこちらから、初回は特別枠としてカウンセリングを設けております。
2024年から少々システムを変更してしまいますので、この記事を読んで僅かにでも何か気になった方は、ぜひ今のうちに、お問い合わせください。
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また、対人支援の技術、人生の軍師としての活動にご興味をお持ちの方、また、まずは自分自身を自分自身で癒す方法を学んでみたい方などは、こちらから、ぜひ無料事前個別相談にいらしてみてください。

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