「Hello, my friend」とセナ ~ ユーミンのMVの深層を探る
アイルトン・セナの名がF1の歴史に刻まれてから30年が経ちました。1984年にデビューし、41回の優勝と3度のワールドチャンピオンに輝いた彼は、世界中のファンから愛されました。しかし、1994年5月1日、イタリアのイモラサーキットでの悲劇的な事故により、34歳という若さでその生涯を閉じました。
セナの死を悼んでユーミンが作曲したのが、「Good-bye, friend」です。この曲を歌詞とメロディラインに変更を加えて、ミリオンセラーとなった「Hello, my friend」が生まれました。私はこの歌をカラオケでよく歌いますが、ミュージック・ビデオの戦争シーンが気になっていたので、今回はそれについて語ってみたいと思います。
戦争のシーン
このMVには、欧州の浜辺をバックに老夫婦と幼い姉弟が出てきます。これはどこの国なのでしょうか。
爆撃機による攻撃
爆撃機が爆弾を投下したり、隊列を組んで飛行する場面があります。これは、ドイツの戦闘機 ハインケル He111Pです。エンブレムは「バルケンクロイツ」というドイツ軍の国章で、第一次世界大戦から第二次世界大戦まで使われました。
海岸を走るジープ
海岸線を走るジープは、1940年代の初代Willys MBではないかと思われます。第二次世界大戦中、米軍と連合国軍用に量産され、アイゼンハワー大統領は「アメリカが持っていた決定的な武器のひとつ」にあげた、象徴的な乗り物でした。日本では進駐軍の車として記憶されたのではないでしょうか。
ちなみに、トランプ暗殺未遂事件のあったペンシルバニア州バトラーは、第二次世界大戦中に軍用車のジープ(JEEP Willys MB)が開発された町です。
爆撃機を撃ち落とす戦車
解像度が悪いですが、おそらく米軍のM4 シャーマンという戦車ではないかと思われます。第二次世界大戦でアメリカが連合国軍に大量供給し、最も使用された中型戦車でした。シャーマンという命名は、南北戦争のウィリアム・シャーマン将軍に由来します。
余談ですが、映画「風と共に去りぬ」でアトランタを馬車で脱出する有名なシーンがあります。これは北軍のシャーマン将軍が「焦土作戦 Sherman's March」で攻め込んで、南部のインフラを徹底的に破壊し、戦争終結を早めました。
彼の戦術は、戦争の目標が単に敵を撃破することから、敵の経済力や社会基盤を破壊することにまで拡大することを示しました。これは、20世紀の世界大戦における総力戦の概念につながりました。シャーマン将軍の民間の犠牲を伴う戦術は、戦争の倫理について議論を巻き起こしました。
ノルマンディ上陸作戦 50周年
「Hello, my friend」がリリースされた1994年は、ノルマンディー上陸作戦 から50周年の年でした。ミュージック・ビデオに挿入されている戦争シーンは、ノルマンディー上陸作戦なのだろうと思われます。
ノルマンディー上陸作戦は、第二次世界大戦史上最も重要な作戦の一つであり、オマハビーチはその中でも特に激戦地として知られています。 映画「プライベート・ライアン」の冒頭シーンでも描かれているように、連合軍は必死の攻防戦を展開し、最終的に上陸地点を確保することに成功しました。
考察まとめ
アイルトン・セナはホンダ・マクラーレンの強さとともに、日本人に愛されたF1ドライバーでした。『ホンダの技術者たちは僕のために懸命に努力を続けている。僕も自分の役割を果たさなければならない。ホンダにすべてを捧げる』というセナの言葉や、本田宗一郎氏から「君のために、これからもナンバーワンのエンジンを作るよ」と告げられると、セナは涙を流したというエピソードには胸を打たれました。
1994年のセナの悲劇的な死と戦争の悲劇を重ね合わせることで、命の儚さや人間の脆さをミュージックビデオで表現しています。しかし、テーマが重くなりすぎることなく、「胸の奥の友達でいさせて」という甘い感傷と軽やかな旋律が心に残り、ユーミンファンに深い感動を与え続けています。
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