幕末最大の陰謀論 ~天皇と将軍殺しの真犯人を秘めた童謡の暗号
この記事は、「幕末最大の陰謀 ~孝明天皇呪殺を日月神示から読み解く」の続きの記事です。アメリカ大統領選を巡る世界情勢の激動に注目しているうちに、前回の記事から2ヶ月以上も間が空いてしまいました。お待たせしました!😎
古典的な童謡(わらべ唄)は、どこで作られ、全国へ広まっていったのでしょうか。そのルーツを考えると、京都の島原や江戸の吉原のような遊郭が起点であった可能性が浮かび上がります。遊郭では「禿(かむろ)」と呼ばれる少女たちが働いており、彼女たちが歌いついだものが原型となったのではないかと私は推測しています。
童謡には、まるで芸能の神が仕掛けたパズルのような謎が隠されています。気になる表現を調べていくと、まるで推理小説のように点と線がつながる瞬間があります。今回は、5つのわらべ唄に隠された謎を紐解き、歴史の闇に葬られた「怨念」の正体と徳川将軍と孝明天皇の暗殺者を大胆に推測してみたいと思います。
わらべ唄のミステリー
次の5つのわらべ唄には、深い社会の矛盾や歴史的背景が隠されています。それでは、ひとつずつ解き明かしていきましょう。
1 ずいずいずっころばしの謎
この童謡の前半には、千利休が淀君と石田三成の策謀によって追い落とされたこと、「俵のネズミ」は石田三成が行なった太閤検地、最後の部分には、北野天満宮で行われた「北野大茶湯」(1587年10月1日)にまつわる逸話が込められています。茶会の席で、豊臣秀吉の名器「井戸茶碗」を小姓がうっかり落として割るという事件が起きました。この不祥事を救ったのは、戦国大名・細川幽斎の機転でした。
細川幽斎は、「古今伝授」を継承した和歌の達人です。当時の茶碗の名器は、一城に値するほど高価でしたから、秀吉の殺気がいかほどか想像してください。和歌に言霊の呪力を持たせる秘伝が「古今伝授」で、幽斎の即興歌に秀吉も怒りをおさめたほどの効果が現れ、小姓を許したと伝わります。
1600年の関ヶ原の戦いで細川家は石田三成の攻撃にあい、息子 忠興の妻である細川ガラシャは自害して亡くなりました。籠城した幽斎は「古今伝授」を断絶させてはならないという理由で天皇が勅命を出し、救われました。
ちなみに、明治天皇は「古今伝授」を継承することを断ったといいます。言霊を軽んじる帝は前代未聞。天皇すり替え説を裏付けるようなエピソードです。
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