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子連れ海外移住を3年やってみた

こんにちは! じゃっかんあるつです。

海外に住んでみたい!

小学生の頃からの夢を諦めきれず
ただそれだけで、海外移住を決めた私。

当時小学校6年生を終えたばかりの娘ももれなく巻き込まれたよね。

私が外国に住んでみたかったから
教育移住でもないし、永住を見据えたヨーロッパ移住でもなし。

いやいや、もう40代にもなって小学生の時から今まで何してたん?
とは言わないでー。

人生紆余曲折、真っ直ぐ目的地に着くことなんてないじゃーん。

もちろんずっと夢見がちな少女でいた訳ではなく
スタンダードな
カナダやオーストラリア、ハワイなんかも調べたし
妄想してみたよ。


オアフ島にて

なんならニュージーランドやハワイは下見を兼ねて
娘と訪ねてみたり。
(これは娘が年中さんだったから結構長い道のりなのです)


ニュージーランドのシュタイナー学校

オーストラリア、ニュージーランドは
現地の学校に通う子どもの親に与えられる「ガーディアン・ビザ」ってのがあるから現実的ではあったけど

授業料や家賃なんかが全然現実的じゃない‥

ハワイは私がコミュニティ・カレッジに通いながら
娘は現地の学校へっていうスタイルも妄想できたけれど

さらにここから年月が経って
ハードルが低そうなポルトガルも下見に行ってみて
ポルトガルの地方の都市いいね!
ってなったところで

最終私たちが移住することに決めた国は

ジョージア🇬🇪

ん??
それどこやねん?

と思われたあなた、正解です。

日本人の99%が行かないと言われていた国、ジョージア。

あ〜アメリカの!

いや、それはジョージア州ね。


ジョージアの国名は、2015年4月22日以降「グルジア」から「ジョージア」に変更されました。

ジョージアの国名の変更は、ジョージア政府の要請や国際社会における呼称などを総合的に考慮した結果です。ジョージアはロシア語で「グルジア」と呼ばれていましたが、英語表記は「ジョージア」です。


ロシアの南、トルコの北に位置する
コーカサス三国の一つ「ジョージア」。

なぜジョージアだったのか


ポルトガルへ下見旅行へ行った頃から
何故か
「ジョージア」
っていう単語が何度となく降って湧いてきて

調べれば調べるほど面白いじゃん!ジョージア🇬🇪

それでも、よし!ジョージアにしよう!って突然住み始めたわけじゃなく
無鉄砲な私でも一応旅行で訪れてみましたよ。

2019年12月、コロナなんて名前をまだ誰も知らない頃
ジョージアに降り立った私たち。

あまり情報がない中だったってのも相まって
そりゃあいろんなことが新鮮、斬新だったなー。

量り売りのワイン、そこいら中にいる可愛い野良ワンコ
あたたかく優しい人々、美味しいジョージア料理

ちなみにこの記事から4年経った今も
ワンコにとって平和な国ですよ、ジョージア。

そして思った以上に治安がいい
なんなら日本と同じかそれ以上!

ジョージアを相当氣に入った私たち
紆余曲折はあったもののコロナ禍に無事ジョージア移住を叶えました。
(いやー本当に大変な時期だった‥)


娘の学校はどうした?


子連れ移住でぶち当たる壁のツートップが
ビザと学校

ジョージアはビザがなくても1年滞在できちゃう珍しい国だから
その壁はジョージアにはないんだよね

日本でシュタイナー教育を実施している学校に通っていた娘。
シュタイナー学校は全世界にあって
同じようなカリキュラムで教育がなされているの。

だから娘は海外に住むことになっても
そのシュタイナー教育を実施している学校に通えるとベストだなあ
とは思っていて

偶然にもジョージアの首都トビリシには
そのシュタイナー教育の学校「Waldrf School」がある!
それもジョージアを後押しした理由の1つ。


ゴールデンエイジって言われてるけど‥


同じ教育とはいえ、その学校の授業はすべてジョージア語。
日本人はおろか、アジア人もゼロという
周りは全員ジョージア人という環境で
(ちょっとあとに同じクラスに日本人が1人増えたよ)

移住当初はジョージア語が1つもわからなかった私たち。
娘はその状態で学校へw
(いや笑い事じゃないw)

娘は相当苦労したよなー。

ジョージア語はどの言語にも似ていない
ジョージアでしか使われていない言語で
世界の中でも難しい言語の1つと言われています。

娘の手作りエポックノート

可愛い文字なのよ、ジョージア語って。

でも発音も文法もめっぽう難しくって
(ジョージア人でさえ文法間違えるんだって)

主語によって動詞は変わるし
単語は長いし
全然脳内に留まらないから
笑っちゃうほど復唱もできないw

優しきジョージア人はちょっとでもジョージア語を発すると
すっごい喜んでくれて、話せるじゃないか!
って褒めてくれるもんだから
それをモチベーションにしようにもどうにも続かず。

大人は日常会話すらままならないよーと笑ってればいいんだけど
学校に通っている子どもはそうもいかず

ジョージア移住当初12歳だった娘。

12,13歳は言語分野でゴールデンエイジと言われていて
母国語もしっかり根付いてきた頃で、ちょっとやそっとじゃ忘れない
&
新しい言語もグングン吸収する
って年齢らしいけど

それは個人差あるし、性格だいぶ出るよねえ

言語のコミュニケーションが複雑になってくる年代だからこそ
特に女のコは顕著にそれが影響するなあと

ジョージア人おしゃべりだしねww

そんな娘の苦労を書きました。

よかったら読んでね。

戦争が始まった


ジョージアに移住して1年経たない頃
2022年2月に戦争が始まりました。

それによって家賃も高騰したし
おしゃれカフェもたくさんできたし
なによりたくさんのロシア人やウクライナ人がジョージアにやってきました。

私は生まれて初めてロシア人にもウクライナ人にも出会ってたくさんの友達ができた!

発酵友


発酵モノが大好きなロシア人の友達とは
お味噌を一緒につくったり
ロシア版ザワークラウトや発酵ドリンクを教えてもらったり

「氣持ちがいい!」
という日本語が一番の褒め言葉で
(多分いい氣分!みたいなことが言いたい)

よく、氣持ちがいい!と最高の笑顔で言ってくれたな〜


英語の先生のロシア人の友達とは
1週間に1回、ラングエッジエクスチェンジで
お互いに英語と日本語を教え合ってゲラゲラ笑ったり

チャレンジが楽しい


移住して2年半くらい経った頃
娘の学校の下見でフィリピンに行った時があって

懐かしのフィリピンのジプニー


英語をずーーーーーとペラペラに話せるようになりたいと思っていた私も便乗して1ヶ月の語学学校を体験することに。
(何でもやってみたい病)

英語に口が慣れてきて
これをもっと上達させたいなー!
ってトビリシに帰ってきてからいろいろ妄想していて

そうだ!
日本の文化を紹介する機会をつくって
それを英語で説明したらいいじゃん!


いつもいきなり無謀なことになってしまうのを
今回も止められず
友達のパン屋さんが営業していない週末に、場を借りて開催することに。


友達のパン屋でドリンクを担当していたよ

やってみたい!と思ったらすぐに行動に移したい私にとって
ここジョージアは絶好の場で
場所さえあればすぐにできちゃう♡

そう、決めるだけ。


みんな大好き巻き寿司

抹茶やおにぎり、巻き寿司のクラスも開催してみて
その手応えからおにぎりや巻き寿司を限定で販売してみたりも。

Cookingクラスでおにぎりをつくったよ


それと並行して、ラングエッジ・エクスチェンジをしていた
ロシア人の友達から
日本語のクラスをやってよ!と声がかかり

ラングエッジ・エクスチェンジの時間は
めちゃめちゃ楽しくて
日本語を教えるって難しいけど楽しいなーって感じていた矢先の提案。

それじゃあ日本語クラスも開催してみよう!
と同じくパン屋さんの定休日にスペースを借りることに。

日本語を教えるのは初めてだったから
やりながら試行錯誤をしていって
来てくれる生徒さんたちと作り上げていく感じがよかったなー

ジョージア人、ロシア人、ウクライナ人、カザフスタン人、カナダ人、南アフリカ人、スペイン人と国際色豊かな生徒さんたち

日本に興味のある外国人たちとのコミュニケーションは
本当に楽しくて

いろいろチャレンジしみて
これが私は楽しいんだ、これは意外と大変だなとか
試すことができていい経験を重ねることができました。

駆け抜けた感のある日本語クラスや日本の文化を紹介するクラス

ジョージア人やロシア人だけじゃなくて
本当にいろいろな国の人が日本語や日本文化を楽しんでくれたし
友達もたくさんできたな。


日本語クラスラストday


国籍・年齢・性別関係なく
仲良くなれるあの場は
私にとってサイコーの時間と空間でした◎

3年半経って変わったこと


この3年半で1番変わったことといえば
家族全員ジョージアから別の国に移ったってこと。

そう、現在はジョージアに滞在していないのです。

ジョージアが大好きだった娘
友達もたくさんいたし、学校も楽しんでいたけれど

もっと英語を勉強したい!っていう目標ができて、

一番手始めに見学に行ったフィリピンが氣に入って
この夏からはジョージアを離れてフィリピンの学校で単身学んでいます。

そう思えたのもジョージアの学校生活のおかげさま。


私はワンコを連れて、彼が待ってくれていた日本へ一旦帰国。

このワンコ連れの帰国もチャレンジだったなー


ジョージア移住結局どうだった?

12歳でジョージアに渡った娘は16歳に。

ジョージア人はみんな
「思っていることは口に出す(いいことも悪いことも)」
相手には口に出して伝えてナンボの精神を
ジョージア人の友達から学んだ娘。

かわいいね!よく似合ってる!
すごくいいよ!大好き!

そういう言葉をよく人からかけてもらってたし
娘も本当によく言うようになってたな。

あと、積極的になって人前に出ることが何でもなくなったなーと。

幼稚園のころから目立つことがそんなに好きではなくて
なるべく見てくれるなと声も小さめだったけれど

積極的でしかないジョージアのクラスメイトたちに囲まれて
娘もそういうことが自然に。

日本に一時帰国した時に
以前通っていた学校に1週間通わせてもらったのだけど
娘の変わりっぷりに担任だった先生が驚いてたっけ。

お料理のスキルもジョージアでだいぶ上達したな。
部活や習い事のない娘は時間がたくさんあって

暇さえあればギターを弾き、絵を描いて
そして自分の食べたいお料理やお菓子をつくる
っていう日々。

素材の選択肢が多くない中でお料理をつくるっていうスキルは財産だわな。

あと、日本の常識から離れて
ジョージア人のおおらかさ、いい加減さなんかにどっぷり浸かって

これをせねば、こうあらねば
みたいなものがすっかりなくなったみたい。

ユーモアのセンスも自然と身についた!

そしてジョージア語にもどっぷり浸かった3年半。
他の言語を学ぶ自信にも繋がったみたいだよ。

素晴らしい先生と愛情溢れまくりの友達に恵まれて
存分に学校生活をエンジョイしたのでした。


何事もやってみなきゃ氣が済まない私は
ハードな時期だったけど諦めないでジョージアに移住して本当によかった。

日本と比べると全然便利じゃないし、物は少ないし
停電も断水も時々あるし、修理の人は全然来ないし

そういう不便な環境だったからこそ
ないものは当然つくるし、ない中でどう楽しむか
みたいな能力が鍛えられた氣がする。

差別や怖いこと感じたことは1度もなかった!

消費しない日常が心地よかったです。

懐深いジョージアの暮らしを満喫した今、次はあの国で暮らしてみたいな!
と妄想を暴走させています。

スペイン語圏でスペイン語を話しながら暮らしたい

これ予言です。

ハードルが高いと思い込んでいた海外移住。

そんなハードルを感じなくなったジョージア生活。

人生何が起こるかわからない
だから楽しいよね!


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