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トレンサップ湖で住んでいる人たちの日常
前回は、
土地が買えないほど貧しく、水上生活を余儀なくされている人たち。
喪失感を抱いているような表情を浮かべている子たちばかりを実際見、胸が痛くなったと同時に、言葉では言い表せないなにかを感じた。
という話でした。👇
【彼らの日常】
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こんな光景、日本で見るだろうか?
これらが当時の彼らの日常で、この生活が「当たり前」と思い、日々暮らしているのだ。
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友達に、「普通の(人)」と「変わってる(人)」の違いってなに?
と聞かれたことがある。
私はその時、「その場所と文化によって変わる」と思うと答えた。
(彼女はそこまで奥の深い答えを求めていたか分からないが^^;)
このような場所で、このような環境下で長い間生活している人たちにとって、このような生活スタイルは「普通」で「当たり前」。
ただ、このような環境下で生活していない人の目からすると、「普通」だとも「当たり前」だとも思えないだろう。
逆に、トレンサップ湖で見たような、かやぶきかトタンの家を自ら作り、日本のどこかの湖で生活している人を実際目にしたら、私たちはなにを思うだろうか?
大半の人はきっと、「変わってるな~」と思うだろう。
つまりは、
「同じものを見ていても、物事を見る視点や、今までしてきた経験の違いによって、"変わってる" と捉える人もいれば、"普通" だと捉える人もいるだろう」
ということ。
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今回はここで終わりです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました(*ᴗˬᴗ)⁾⁾ꕤ