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間違いだらけの「人物評価」。なぜ誤解されてしまうのか?
みなさんこんにちは! こしあんです。
みなさんは職場の同僚や家族に「自分の事を全然わかってくれない!」と感じたことはありますか?
人間は自分の事を解ってくれなくても腹を立てるし、「あなたの考えていることは全部わかる」と言われても不信感を募らせます。
面白くもあり、めんどくさい生き物ですね(笑)
しかし、なぜ私たちは他人を誤解したままだったり、自分の事を解ってもらえないと感じるのでしょうか?
今回は、私たちが他人を判断するとき、なぜ正しい情報を得ることができないのか?
というお話です。
【なぜ正しく評価されないのか?】
自分の事を正しく評価してもらえないと感じる人は、やきもきしたり、鬱憤が溜まっていたり、「誰も分かってくれない」と悲痛な思いもをしているかもしれません。
しかし、冷静に考えてみると自分も他人のことをそんなに理解していないことに気づきます(笑)
不思議ですよね。
社会心理学者のハイディ・グラント・ハルバ―ソンによれば、人は無意識のうちに2つの間違った思い込みによって行動しているため、このようなことが起こるそうです。
1つは、他人は自分を客観的に見てくれているという思い込み。
もう一つは、自分が自分自身を見るのと同じように、他人も自分を見てくれているという思い込みです。
しかも、これらの思い込みは大体間違っていたりします。
しかし、なぜこのような思い込みをしてしまうのか?
ハルバ―ソンは、「そもそも人は謎に包まれていて、とてもわかりにくい存在であること」と、「人は他人を自分が見たいように見るためだ」と言っています。
私にも経験があるのですが、子供の頃、親に怒られたときに「あなたの考えていることはわかっている!」みたいなことを言われたことがありますが、まったく見当違いなことを言われることもあり、「この人は私のことを何もわかってないんだな~」と子供ながらに思ったことがあります。
こうした経験って結構ありますよね(笑)
しかし、私たち自身もきちんとわかってもらうための「努力」というものを思ったほどしていなかったりします。
以前、表情で感情がわかるというのは幻想だという話をしたことがありますが、自分は驚いている表情をしているつもりでも、他人からすれば怒っているように見えたりすることもあります。
それなのに「自分の気持ちを相手にきちんと伝えた」とか「あの人は私の考えを解ってくれているはずだ」と考えたりするため誤解が生まれます。
このように、自分の考えや感情を相手が理解していると思い込む傾向を透明性の錯覚と呼んでいます。
日常生活でもよくあることですし、どんな人にも起こる現象です。
また、相手に伝わる情報が少ない程、勝手な人物像を作り上げられてしまう可能性があります。
基本的に人間というのは、情報の空白を埋めようとする傾向があるので、相手が持っているステレオタイプやバイアスによって、あなたのプロフィールを完成させようとします。
つまり、足りない部分は相手の想像によってつくらるわけです。(笑)
厄介な能力のような気がしますが、素早く判断しなければならない時に役立つこともあり、必要なものだとも言えます。
また、人間の脳は基本的にエネルギー消費を抑えようとします。
そのため、足りない情報を得ようとするよりも、自分が持っている知識を総動員してイメージする方がエネルギー消費を抑えられるのでこのようなことが起こります。
つまり、相手から情報を引き出すよりも、勝手に想像する方が楽ちんなんです(笑)
では、誤解されないために何でもかんでも情報を与えればいいのか?
と言われればそうではありません。
インスタグラムなどでもよくあるのですが、顔を直接出すよりも後ろ姿や、体の一部分だけのアイコンや写真の方がフォロワー数が伸びたりします。
場合によっては少ない情報が逆にミステリアスに感じ、魅力的に見えたりすることもあるようです。
「女は秘密を着飾って美しくなる」なんて言葉もありますからね。
【アンナ・カレーニナ】
トルストイの『アンナ・カレーニナ』に「幸福の家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸である」という一文があります。
この言葉は”他者に対する見方”にも当てはまるのではないでしょうか。
ある研究で、200人以上のドイツ人を対象に調査したものがあります。
ドイツでよく知られる15人の著名人のパーソナリティについて意見を尋ねたもので、参加者たちは30個の形容詞(親切、怒りっぽいなど)のリストの中からそれぞれの著名人に相応しいと思うものを選ぶように指示されます。
調査の結果、その著名人に対して元から好意を持っていた人たちの間では、お互いの意見がかなり近いことがわかりました。
しかし、その著名人を嫌いだった人たちの意見の相関係数は低く、0.33という数値で、これは意見に大きな相違があったと言えます。
(ちなみに、1.0に近づくほど関係があるということです)
たとえば、Aという俳優のファンの人は「その俳優のどこが好きなのか?」
といった理由が似通っていて、「イケメンだから」とか、「ファッションセンスがいい」といった意見を多くの人が選んでいるということです。
しかし、その俳優が嫌いな人たちからすると意見はバラバラで、「態度がデカい」とか「背が低い」、「声が嫌い」といった様々な理由があったりします。
つまり、人に好かれるときは同様の理由で好かれ、嫌われるときは様々な理由で嫌われるということです。
なので、人に嫌われないようする「努力」はしない方がいいと思います。
人それぞれ好き嫌いが違うのに、それに合わせることは不可能に近いのではないでしょうか。
しかもかなり疲れます(笑)
ある程度は、「合わない人もいる」と割り切る必要もあるのではないでしょうか。
【第一印象を覆すのは難しい?】
私たちは相手からもらった情報を色メガネを通して見ています。
足りない情報は、自分が持っているステレオタイプやバイアスの影響を受けながら想像し、勝手にその人のプロフィールを作成します。
相手にとって、たまったものではありませんね(笑)
そもそも、ステレオタイプやバイアスというものは、効率的に物事を判断するときに役立ったりもするので、決して悪いことだけではありません。
しかし、その判断が間違っていることがあるので注意が必要です。
みなさんにも経験があるかもしれませんが、昔から知っている人の印象ってあんまり変わりませんよね。
性格もそうですが、子供の頃に知り合った親戚など、何十年経ってもその感覚が抜けず、大きくなっても子ども扱いされたりします。
このように、第一印象がなかなか変わらない原因の一つに初頭効果というものがあります。
初頭効果は最初に得た情報が、その後の情報を解釈したり記憶したりする時に影響を及ぼします。
たとえば第一印象が最悪だった場合、その人がたとえ良いことをしても「何か裏があるんじゃないか?」と考えたりするわけです。
そして、何の根拠もないのに一番最初に目にした情報を信じてしまったりするのもこの効果です。
ネットのニュースなどでよく見られますが、憶測で流れた情報があたかも本当のように語られていたりします。
最初の情報を信じてしまい、後で”本当はそうじゃなかった”なんて話はよく聞きます。
また、初頭効果についてはこんな話もあります。
田中君と佐藤君という二人の子供がいます。
この二人に30問の数学のテストを受けたもらいました。
田中君は前半、15問中14問正解しています。
佐藤君は前半6問正解でした。
後半では成績は逆転し、佐藤君は15問中14問正解して、田中君は6問正解しました。
さて、テストを見ていた大人たちは、この二人にどのような評価を下すでしょうか。
普通に考えれば二人の成績は同じなので、二人とも数学の能力は同じだと結論づけるはずです。
しかし、結果はそうはなりませんでした。
何回調査を行なっても田中君の方が能力が高いと判定されたんです。
しかも、数学の教師のような専門家ですらそう判定したそうです。
つまり、「前半の成績」という情報が、後半の成績を判断するときに影響を及ぼしていると言えます。
能力的な差は、田中君と佐藤君の間には無いはずです。
しかし、佐藤君は最初の問題を解けなかったことで能力を低く見られてしまいました。
はたして、佐藤君は最初の印象を覆すことができるのか!?
結論から言えば、残念ながらかなり困難だと言えます。
これは、佐藤君の数学への理解が深まらないために、成績が上がらず評価も変わらないということではありません。
多少、成績が良くなったとしても、変わりにくいということです。
たとえば、佐藤君が「数学の能力は高くない」というバイアスを持っている教師が担当になった場合、佐藤君は評価を上げることに苦労します。
それは、佐藤君を知っている人、とりわけよく知っている人は、これまで見てきたのと同じようにこれからも佐藤君を見ようとするためです。
たとえ良い点数をとっても「テストが簡単すぎた」とか「たまたまだ」といったところに考えが落ち着いてしまうのです。
人の印象は変えることが困難なため、第一印象ががとても大切だと言われますが、佐藤君のようなケースの場合、本人の責任はほとんどないような気がします。
だって、最初の問題が解けなったというだけなんです。
(しかも、後半は挽回しています、、、。)
理不尽だと感じますが、学校でも会社でもこのような判断は起こります。
もし、他人の自分に対する評価を変えたいと思うなら、評価が覆るほどの結果を出し続けるか、いっそのこと自分に対する評価は気にせず、物事に取り組んでいくかを自分で決めなければなりません。
なぜかと言えば、放っておいても他人の評価が変わることはないからです。
何もしていないのに、突然「自分の評価が上がった!」とか「誤解が解けた!」といった事はほぼ起こりません。
なぜなら、人は自分の見たいようにしか他人を見ませんから。
また、勘違いや誤解を加速させるものに偽の合意効果というものがあります。
ちょっと”痛い人”によく見られるような気がしますが、これは「他人も自分と同じように感じているはずだと思い込む傾向」のことを言います。
ネット上で一部の人たちが過激な発言をしたりしますが、その意見がまるで他の人を代表して発信しているような言い方をする人たちがいますよね。
自分の意見は万人に支持されるはずだと信じて疑わないのです。
しかし、「みんなもこう感じているはずだ」という思いは誰もが陥ってしまうことかもしれません。
偽の合意効果には他にも”自分と同じ悪習を持つ人間の数を誇張する傾向”があります。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、例えば一時停止違反をした人に注意をすると「こんなところで一時停止する人なんて誰もいないわ!」といった答えが返ってきたりします。
そんなことありませんよね。(笑)
最後に、
私たちはステレオタイプやバイアスを使って他人を理解しようとすることは分かっていただけたでしょうか。
もし、相手に良く思われたいのであれば、第一印象とある程度の情報提供は必要なことだと言えます。
そうしないと、相手にあなたのプロフィールを勝手に作られてしまいます。
他人は”あなたが自分の事を思っているようには考えていない”と知っておくことで少しは気が楽になるのではないでしょうか。
もし、自分の事を解ってほしい考えるのであれば、アプローチの方法などを変えていく必要があります。
機会があればそのことについても書きたいと思います。
今回はここまで
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それではまた次回お会いしましょう。
※この記事は主に私のアウトプットを目的に書いているものです。
参考にした資料(主に読んだ本)をもとに考察したもので、私の主観が多分に含まれています。
そのため、参考にした論文とは結論が異なる場合があります。
あくまで、一つの意見として見るようにお願い致します。
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