視野を狭める危険な○○とは?
みなさんこんにちは! こしあんです。
突然ですが、みなさんに質問です。
いま、この瞬間あなたはどんな気分を味わっていますか?
質問が漠然としているため戸惑う人も多いかもしれません。(笑)
「突然そんなことを言われても、、、。」
といった気持ちの方が強く感じられるのではないでしょうか。
そもそも、今感じている気分を「私はいま憂うつな気分だ」とか「素晴らしい気分だ」と意識しながら活動している人は少ないと思います。
しかし、私たちは生活する上でこの「気分」を感じながら生きています。
あまり意識しないこの「気分」ですが、時に私たちの判断を狂わせます。
今回は、無意識のうちに影響を受けているこの「気分」についてのお話です。
【あなたが感じている気分】
みなさんは朝起きたとき、スッキリして目を覚ましましたか?
それとも、不機嫌だったでしょうか。
また、この文章を読んでいるときでも、どんな内容なのか興味を持って読んでいる場合もあるだろうし、すでに退屈に感じている場合もあります。
私たちはこれらの感覚を一般的に気分と呼んでいるわけです。
ちなみに辞書には、快・不快などある期間持続する、やや漠然とした心身の状態とあります。
この気分ですが、2つの特徴を持つ、ごく単純な感情を意味しているとも言われます。
1つ目の特徴は、それがどれくらい快もしくは不快に感じられるか。
(科学者はこの特徴を「感情価」と呼んでいます。)
2つ目の特徴は、どれくらい穏やかに、あるいは興奮して感じられるか。
(これを科学者は「覚醒」と呼んでいます。)
例えば、好きなものを食べておいしいと感じたり、飲み過ぎや食べ過ぎで不快な思いをしているとき「感情価=快」、「感情価=不快」と表します。
また、何かを期待しているときの活力があふれる感覚や、睡眠不足に起因する倦怠感などは、覚醒の度合いの高さ、低さを表しています。
そして、直感や本能的な感覚も気分の例として見なせるそうです。
この気分というものは、生涯を通じ、じっとしているときでも眠っているときでも、恒常的な流れとして存在します。
つまり、オンになったりオフになったりしないということです。
【気分が及ぼす影響力】
気分というものが私たちに与える影響がどれくらいあるのか?
あまり考えることはありません。
しかし、それを研究している人たちもいます。
2011年にイスラエルの科学者たちが行なった実験があります。
いま、あなたは囚人の仮釈放を認めるか否かを裁定する判事だとします。
あなたは、ある囚人の刑務所内での行動に関する報告を受け、彼に悪い印象を持ちました。
仮釈放を認めれば、この男は誰かに危害を加えるかもしれないから”釈放すべきではない”と直感したあなたは仮釈放を認めないことにします。
このとき、あなたの感じた悪い印象、つまり不快な気分は自分の判断が正しいことを示す証拠のように思えます。
しかし、この判事の裁定に関する研究では面白いことがわかりました。
それは、昼食前に審問があると、判事が仮釈放を認める可能性が低くなるという結果でした。
判事は自分が感じている空腹などのイライラを「空腹感」からくるものだとは考えず、「不快な感じがしたのはこの囚人が悪いせいだ」と考え、それを判断材料にしたわけです。
そんなことが本当にあるのか!?
と思ってしまいますが、昼食を済ませた後では、判事は通常の頻度で仮釈放を認めるようになることもわかっています。
この気分というものは原因がわからないまま経験すると、自己の経験そのものではなく周囲の世界に関する情報として扱われることがあります。
例えば、雨が降った日には傘を持ち歩かなければならず、電車やバスも混雑していて、なかなか思うように動けません。
しかも、激しく降る雨には傘も役に立たず、靴の中はびょしょびしょになり、かなり不機嫌な状態です。
そんな気分のままあなたは今日、新しいアルバイトを雇うために面接をしなければいけません。
一見、天気と面接には何の関係もないように思いますが、研究によると、雨天時には面接担当官が応募者を否定的に評価しがちになることがわかっています。
天候などが人に与える影響は大きく、雨に日には内省的になり、思慮深くなるともいわれ、それに伴い記憶力も上昇するそうです。
株式市場では、晴れの日には株価が上がる傾向がり、気温の低い雨の日には一時的に取引が不活発になり株価が下がる傾向があったりします。
私たちはこのように、知らないうちに「気分」の影響を受けていることが多々あります。
このような現象は、私たちが経験している現実が一部は感情によって形成される、世界に関する想定であるという意味で「感情的現実主義」と呼ばれています。
心理学者のリサ・フェルドマン・バレットは、感情的現実主義は感覚によって世界の客観的で正確な表現が得られるとみなす単純なリアリズムの、ありきたりながら強力な一形態であると言っています。
とっても難しい言い回しなので頭がこんがらがりそうですね(笑)
気分というものは、先ほどの面接官のように周囲の人々や物体が本質的に否定的なものであったり、肯定的なものであったりすると私たちに思い込ませます。
別の言い方をすれば、他の所で感じた不快感を面接に来た人のせいだと思い込んでしまうということです。
感情的現実主義のもとでは、私たちは自己の経験としてではなく、外界のモノや出来事の性質として気分を経験します。
極端な話、「僕は気分が悪い。君が何か悪い事をしたんだろう。君は悪い人間だ」と判断するわけです。
そんな人いる?(笑)
と思いますが、私たちは不快感をこうやって別のことに置き換えることがあります。
人間は、日常生活を送るにあたって自らの気分を情報として用い、感情的現実主義を築いていきます。
しかし、この気分の悪さは何かが間違っていることを示唆しているわけではありません。
先ほどの面接官のように、雨が降ったことで精神的・身体的に負荷がかかっていたというだけのことなんです。
【視野を狭くする感情的現実主義】
私たちは、他人の微笑みや震え声が特定の心の状態によって引き起こされたと推測することで心的推論を行なっています。
みなさんも他人の表情を見て「この人機嫌よさそうだな」とか「怒っているのかな?」といった事を予想するのではないでしょうか。
このように、私たちの脳が予測して「他者の行動」に意味を付与するわけです。(ちなみにその判断が正しいかどうかはわかりません。)
この心的推論は、少なくとも欧米文化のもとでは当然のことのように実行されているため、それを行なっていることに気づいていないと言われています。
そのため、表情や態度から他者の行動を解読して、その人の意図を感じ取ることができると信じ込んでいます。
以前、古典的情動理論の所でも書きましたが、表情や態度からわかることには限界があります。
もちろん、他人の表情を読めるから人間関係が円滑に動いていると考えることもできますが、実はこの時にも感情的現実主義の影響を受けています。
つまり、私たちは他者に関する自分の知覚(口角が上がっている、眉間にしわがよっているなど)を、その人の行動と自分の脳が持つ概念の組み合わせとしてではなく、自分が感じている快・不快な気分を相手に投影しているのです。
例えば、何か嬉しいことがあってニヤニヤしている同僚がいたとします。
どうやら彼女は久々に彼氏とデートができるとあって、ちょっと浮かれているようです。
このとき、同僚を見たあなたは「週末、彼氏とデートって言ってたな~」とその人の行動と自分の脳が持つ概念(彼氏とのデートは嬉しい)を組み合わせて考えます。
しかし、感情的現実主義の影響を受けている場合、もしあなたが別の理由で不快な気分を感じていたり、自分が持っている概念(この同僚はよく仕事をさぼるなど)に基づいて感じた気分を相手に投影します。
つまり、「仕事中ににやけるのは不謹慎だ」とか「集中してない、給料泥棒だ」といった感情につながるというわけです。
他にはこんな例もあります。
あなたが陪審員だったとします。
殺人事件の裁判で身の毛もよだつ証拠写真を見せられた場合、それによって生じた不快な気分を被告に投影します。
「気分が悪い。だからあなたが悪いことをしたに違いない。あなたは悪人だ。」と感じてしまいます。
ちなみにこのやり方は被害者影響陳述と呼ばれているそうです。
また、過去にこのような事件もありました。
2009年7月16日の午後、突然戸外からドアを叩く大きな音が聞こえてきました。
窓の外から覗くと、一人のアフリカ系アメリカ人の男が近所の家のドアを無理やりこじ開けようとしていました。
これに気づいた住民は警察に通報し、この男は逮捕されました。
この逮捕された男性、ハーバード大学教授ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアは旅行先から帰宅して家に入ろうとしましたが、ドアが何かにつかえて開かなくなっていたので、無理やりこじ開けようとしていただけだったそうです。
このような状況の時も感情的現実主義が作用していると言われています。
ゲイツの行動を目撃したこの住人は、おそらく犯罪や肌の色に関する自分の概念に基づいて生じた気分のせいで、戸外の男が犯罪に走る意図をもっているという心的推論を行なったと考えられます。
他には、2004年フロリダ州で起こった事件があります。
フロリダ州に住む高齢の夫婦がトレーラーハウスで寝ていたところ、誰かが侵入しようとしました。
それに気づいた夫のジェイムズ・ワークマンは銃を取って、この男を射殺しています。
実は、ワークマンのトレーラーはハリケーンの被害を受けた地域に止められており、彼が射殺したロドニー・コックスは連邦緊急事態管理庁(FEMA)の職員だったそうです。
被害者のロドニー・コックスはアフリカ系アメリカ人でワークマンは白人でした。
バレット教授は、おそらくワークマンは感情的現実主義の影響下で、コックスが自分に危害を加えようとしていると考え、無実の男性に向かって発砲したのだろうと言っています。
【働きかける方向】
残念ながらこのような事件はたくさんあります。
2014年にもマイケル・ブラウン射殺事件というものがありました。
これは、マイケル・ブラウンという武器を所持していない18歳の黒人の少年が白人警察官ダレン・ウィルソンによって射殺されるという事件です。
被害者となったブラウンが無防備であったこともあり、激しい抗議運動も起こったそうです。
現在でもアメリカにおける警察と黒人社会の関係はあまり良いものだとは言えません。
2014年12月のギャラップ社の調査では、警察を「大いに」あるいは「かなり」信用していると答えた黒人はわずか34%(白人は61%)で、都市部に住む黒人では、26%にまで落ちるそうです。
もちろんお互いに言い分はあり、黒人コミュニティは、法執行機関には組織的なバイアスと腐敗があると言い、これに対し前ニューヨーク市長のルディー・ジュリアーニは、警察に組織的な人種差別があるという考えを「真っ赤な嘘」だとしました。
このように、自分たちの立場からの主張はあると思いますが、相手の話を聴かなければ事態が改善されないばかりか、火に油を注ぐことにもなります。
こうなってしまうと人種間の緊張が高まり、互いに歩み寄ることが難しくなってしまいます。
ちなみに、みなさんはだったらどのような考えや行動が、このような問題の解決の糸口になると考えるでしょうか。
おそらく、「たった1つの正解」なんてものはないと思いますが、このような問題のとき、私たちはついどちらかの陣営に付いて、相手を攻撃する手段を思いつきます。
しかし、そうしなかった人たちもいます。
その人たちがとった行動とは、同胞に訴えかけることでした。
アフリカ系アメリカ人のフレデリック・ウィルソン2世は2014年にYouTubeに動画をアップし、黒人の仲間に向けたメッセージを配信しています。
この動画で多くのアメリカ人がウィルソンの率直さと、常識への真っ直ぐな訴えかけを称賛しましたが、同じ黒人コミュニティの中から多くの批判も寄せられています。
しかし、その後もウィルソンは引き下がらず自分の意見を発信しています。
また、警察の中にも自分たちの同胞に働きかける人物が現れました。
FBI長官ジェイムズ・コーミーは2015年2月2日にジョージタウン大学で、警察と人種という話題について語っています。
彼は、多数派である白人の多くには無意識の人種的偏見があり、白人と黒人とでは異なった対応をしていることを認め、「警察の人間は、バイアスと偏見をなくす人一倍の努力をしなければならない」と警察の人々に変化を求めています。
しかし、コーミーもまた警察官への行き過ぎた行為だと批判されています。
残念ながらこのように、同胞に訴えかけた結果がどのような結末になるのかまだわかりません。
しかし、お互いに言いたいことだけを言っていても話が進みませんよね。
もしかしたら、今後はこのようなアプローチが必要なのかもしれません。
最後に、
「気分」の話から人種差別へと話が進みましたが、私たちは感情的現実主義によって多くの誤った判断をしているのかもしれません。
たかが「気分」されど「気分」といったところでしょうか。
私たちは、無意識に感じている不快感がどこからきているのかを普通考えることはありませんよね。
しかし、時には”自分が感じている気分がどこからきているのか?”と考えることも大切ではないでしょうか。
そうしなければ、自分の思い込みで「これは悪だ!」と簡単に決めつけ、無実の人を追い込んでしまうことになってしまいます。
人種差別の歴史は長く、なかなか無くならないのが現状です。
しかし、相手を攻撃するのではなく、まず自分たちの意識を変えることが大切だと訴えかける人たちもいます。
自分たちがまず変化し、状況を変えようとする行為は大変長く苦しい道のりかもしれません。
しかし、少しでもいいので進めていくことが大切なのかもしれませんね。
今回はここまで
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それではまた次回お会いしましょう。
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