認識ズレを扱うときの支えは「ニュートラルにとらえる」こと


このnoteでは、子育てや家事について調べたり話を聴いたりしていく中で、僕が理解したことを少しずつ書き留めています。

前回は認識ズレに伴うモヤモヤの扱い方について書き、
ズレていることの認知と、それに伴う感情をそれぞれ扱うということをおつたえしました。

認知と感情をそれぞれ扱うということについて書きたいと思います。


認知と感情をそれぞれに扱わないとどうなるか

「認知と感情は別のものだとわかっている」という方は多いと思います(別の概念であると)。
何が別になっていないかというと「それぞれが発生したことととらえること」。

たとえば、道を歩いているとき、すれ違いざまに肩がぶつかり舌打ちされてイラっとしたとします。
そのとき 
 ・肩がぶつかった。相手が舌打ちをした
というところが、事実の認知。
そして、
 ・イラっとした
が感情。

文面で書くとわかりやすいのですが、渦中にあると曖昧になりやすいと思います。
そうすると、反射的に行動が起きることにつながりやすい。
たとえば、肩がぶつかって舌打ちされてイラっとして「おい!」と声を荒げた、とか。
こうしたケースに該当するかどうかは
 ・反射的に起こした行動が自分にとってしっくりくるかどうか
という感じで捉えるとつかみやすいかと思います。
「おい!」と声を荒げたいわけではないという方、意外と多いのではないでしょうか。


認知と感情がまぜこぜになって取り扱うとモヤモヤしやすい

事実を認知し、感情を捉え、行動を選択する。
このステップがあいまいになっていると、モヤモヤする流れに入りやすくなります。

たとえば、家事でこんな場面があったとします。
 ・家族で夕食していたら、パートナーに仕事の連絡(電話)が入った
 ・パートナーはこちらに気も留めずにそのまま電話に出た(部屋を移った)
 ・パートナーは忙しそうだから、今日は自分自が当番ではないけれど、片付けておいてあげようと思った
 ・洗い物をすべて終えて気持ち良くテーブルに戻った
 ・パートナーは電話を終えて戻ってくると、洗い物に目をやった。
 ・きっと喜んでくれるだろうと思っていたら、やり方がなってないとか言ってきた
 ・「はあ!?」と思ったが、どうせ何を言っても反論されたり、蒸し返されたりするだけだ。
 ・「すいませんでした」といってその場から離れた。
 ・やはり自分が当番のときだけやるべきだった。

僕自身の感覚からすると、「ありがち」と思ってます(し、過去に体験した似たような場面が思い浮かびます)。
そして、「こういうモヤモヤした流れにしたいわけじゃないんだけどなl」とも思います。


関わりの土台になるのは「ニュートラルにとらえる」こと

では、「事実を認知し、感情を捉え、行動を選択する」という流れに沿うとどのようになるか。

上記のケースでいうと、事実を認知するというステップは、たとえばこんな感じ。

 ・家族での夕食後、パートナーに仕事の連絡(電話)が入った
 ・パートナーはそのまま電話に出た(部屋を移った)
 ・今日はパートナーが夕食の片づけをする予定だったが、自分が対応した(お皿を洗った)
 ・パートナーが電話を終えて部屋に戻ってきた
 ・パートナーが洗い終わったお皿をみた
 ・パートナーが自分に「泡が残ってる。きちんとすすいで」と言った

淡々とした表現にみえるかもしれません。
起きたこと(だけ)をそのまま文面にすると、こういう感じになります。

たとえば「忙しそう」とか「やり方がなってないとか」といった部分は、起きたことではなく「解釈(≒思い込み)」を表現したものになります。

なんとなく「つまらない」という感覚がわくかもしれません笑
そして、それくらいが「ニュートラルに捉えている」という基準のひとつのようになると思います。


ニュートラルにとらえることで自分のあり方を選択できる

これくらいニュートラルに捉えると、受け取る側の感情も、より深くとらえやすくなります。

たとえば、僕自身は
 ・さみしい
といった言葉が湧きました。

最初に書いた表現は「はあ!?」なので、イラっとしたという感じでした。
しかし、その奥に「さみしさ」があることを感じました。

さみしさは、どこからきているのか。いま浮かんでいるのは
 ・もともとは、パートナーにとって役に立つ、助けになりたい気持ちだった
 ・そのことについて理解を得たかった。
 ・そして、パートナーにとっては、助けとしては届かなかったところがあった

このように捉えらたとしたら、その場での行動の選択はこんな感じになっていたかもしれません。
 ・泡が残っていたことについて理解を示す
 ・それが「パートナーにとっての期待とズレていると理解した」ことも伝える
 ・本当は助けになりたいと思ってやったということを伝える
 ・残っている泡を落とす

面倒な話になることを避けて「イラっとしつつ我慢する」という選択ではなく、「自分が理解したこと(期待とのズレがあったこと、自分は助けになりたかったことの共有」を選択する。



ある意味、自分に素直になるという感覚と近いかもしれません。
そして、それはとても難しい選択だったりもします。
いろんな抵抗が浮かんでくるので。

このあたり。次回で触れてみたいと思います。

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