自分に素直になることの難しさは「どっちつかずの誘惑」
このnoteでは、子育てや家事について調べたり話を聴いたりしていく中で、僕が理解したことを少しずつ書き留めています。
前回は、湧き上がる抵抗感につながる要素のひとつとして「ワンダウン」があること、そしてそれに対して「降参する」という向き合い方をお伝えしました。それは「自分に素直になるという感覚と近いかもしれない」ということを書きました。
そして、いろんな抵抗が浮かんでくることもよくあるということにも触れました。
今回は、そのあたりについて書いてみたいと思います。
まずは「けどね・・・」があることの認知から
僕自身、いろいろな学びの場で「自分に素直になる」という話に触れたとき、
”そのこと自体は、概念的には理解できる。けどね・・・。”
という言葉が浮かんでいました。
それがよさそうというのは、わかる。直感的に感じるし、論理的にもなんとなくわかる。
ただ、簡単ではないよなぁという感覚がちらつくのもセットという感じでした。
なので、この「けどね・・・」がとても大事だと思っています。
大事に扱いたい、という表現の方がフィットするかも。
背景のひとつは「明確にすると苦しくなりそう」という漠然とした不安
けどね・・・と言いたくなる。その感覚を言葉にすると、僕の場合はこんな感じです。
・本当にそれを選びたいのかどうかわからない
選択肢を挙げきれているのか(他の選択肢を見落としていないか)という懸念的なことも浮かぶし、
自分の本心がよくわからないという感覚もある。
そうした中で選ぶのって、苦しさを伴うよなあ、と。
「自分自身に対する自己理解がまだ十分ではなく、その状態で選択してよいのだろうか?」という感覚。
もう少しいうと、「そういう言い訳を残したままにしておきたい」という感じでした。
僕の場合、これは「明確にすることが怖い」という感覚から来ていました。
明確にすると、「自分にとって、心地よさや都合よい状態を捨てる」という感覚とセットになっていたのです。
「どっちつかず」による安心を手放すかどうか
明確にしない状態にしておくと、常にどっちつかずにできる。
どっちつかずというのは
「何かがあったとき、常に自分によって都合よい方を選べる状態にしている」
ということでもあります。
ものごとが進んでいくとき、状況は揺らぎます。
そのときどきで、ポジティブとネガティブのどちらも味わいます。
しかし、どっちつかずにしておくことで、そのときどきに自分にとって都合よく解釈できるようになります。
なので、「明確にする=どっちつかずを手放す」ということは、不安を伴います。それが、選択に対する抵抗感につながっている。
そんな構造があるという感じです。
実際は、どっちつかずというのは、苦しさを伴う結果につながることが多いと思います。
どっちつかずの状態から選択できることは「ポジティブと思えるようにする(正当化する)」に過ぎないので。
(正当化するというのは「本質的にポジティブに捉えられないから、どうにか説明をつけるために補完している」という行為)
ということで、どっちつかずの状態を維持するよりは、明確に選択するという方が、結果として自分自身をエンパワーメントする効果を得やすくなります。
このあたり、次回にもう少し触れていければと思います。