「地中海世界」(フェルナン・ブローデル編)−夜明け−
今回で3回目の「文化の読書会」。引き続きこちらの本を読み進めています。
【−夜明け−の要約】
放射性炭素年代測定法によって、歴史が大きく動いた農業の発明が紀元前9000年頃から始まって数千年に渡って家畜、果樹、道具、定住が進んだ。それも平野部からではなく家畜動物・稲科植物が元来生息しており、日当たりおよび水も豊かな高原地帯、つまり三日月地帯から始まった。
紀元前7000年頃にはジェリコなどの原始都市が生まれ、エジプトや低地メソポタミアの各都市を結ぶ交通網、そして各地の特産品などが行き来し合う交換経済が生まれた。交通網は川、そして海へ広がり、地中海世界が息づき始めた。
紀元前2000年頃にはレバノンの沿岸とエーゲ海の島嶼という2つの海洋圏が浮かび上がり、原フェニキア人と原ギリシャ人が中心となって経済圏、文明を地中海の半分まで成立させ、国際色豊かな文化、そして国際関係が構築されていった。エーゲ海の覇権は、クレタ文明のあとミュケナイ文明に移行した。
紀元前12世紀に入り、「海洋民族(詳細不明、気候変動とも)」によりヒッタイトやミュケーネの都市は破壊され、地中海の交易は消滅し、エジプトとメソポタミアは自国のことで手一杯になった。
この暗黒の数世紀の間に特に大きな変革として製鉄技術の普及とアルファベット文字の出現があった。そしてフェニキアが台頭しはじめた。
紀元前8世紀からフェニキア人らが西へと交易および勢力圏を拡大し、地中海沿岸に植民都市を建設していった。この地中海航路は3つに分類される。
①北航路
ギリシャ〜キルキューラ(コルフ)島〜メッシーナ海峡〜ティレニア海やシチリア島
②南航路
エジプト〜リビア〜ジブラルタル海峡
③中心航路
キプロス島〜クレタ島〜マルタ島〜シチリア島〜サルディーニャ島〜バレアレス諸島
紀元前7世紀にはこのフェニキア人の植民活動範囲も限界を迎え、エトルリア人やギリシャ人と競合した。またアッシリア人にも屈服した。その騒乱によってフェニキアの中心はカルタゴに移行した。後背地に危険な国がないカルタゴは北アフリカの都市との交易、そしてなにより後進地域である西部と発展地域である東部の要にあるという立地もあって、大きな発展を遂げた。このカルタゴの宗教は、威圧的で人身御供も行われるタニット信仰だった。開放的で国際色豊かな文化・文明が入り交じる経済活動が行われていたにも関わらず、宗教は原始的だった。
【分かったこと】
歴史の変化が加速する「特異点」のようなものが確かに存在する。地中海においては、それはフェニキア人による交易活動だ。農業とそれによる定住化は都市を生むが、定住ゆえに異文化交流は生まれない。フェニキア人による都市間を結ぶ交易の加速に伴って文明と文化の発達速度も上がっていった。一方でそれを止めたのも「大破壊」だった。戦争等によって交易が破壊されると文明・文化は停滞するのは歴史上繰り返されているが、ここでもそうだった。そして再び加速させるのも交易による異文化交流だった。一方で交易に頼り過ぎて土地に根付いた定型活動とのバランスが取れないと瓦解しやすいとも言える。それがフェニキア人の限界だったのではないだろうか。