『中世の秋』ホイジンガ‐Ⅷ愛の様式化、Ⅸ愛の作法
■概要
12−15世紀において、キリスト教の徳目、社会道徳、生活形態のあるべき完全な姿など全てが「恋愛術(アルス・アマンディ)」という体系に組み込まれ、支配層は生活と教養知識をここから学び取った。愛も様々な努力により様式化されていった。情熱のうずきを枠付けしていかないと野蛮に堕すると考えられたからだ。
下層身分の人々の情熱のうずきについては教会が厳しく目を光らせた。
とはいえ愛欲の現場は基本的に粗野であった。馬上槍試合や音楽などの職業用語が性的表現に用いられるのは中世も現代も変わらなかったし、それは教会用語でも同様だった。
このあたりの体系が書かれたのが1230年頃にギヨーム・ド・ロリスが書いた「薔薇物語」であり、当時の人々が頭で考えうる世俗の礼拝式文、教養、伝承などの具体的宝庫であり、百科全書的な恋愛作法の書として多くの人に読まれたという。騎士道精神に溢れた人々は、この本を批判していたが、実態は擁護されていた。
そしてこの本は、異教の物語の体裁を取っている点でルネサンスへの第一歩であった。
そして実際の愛の現場ではどうなっていたか。それは吟遊詩人、そして当時の文学作品が教えてくれる。
ギョーム・ド・マショーの『真実なる物語の書』は1362年を舞台とした上流階級の老人と少女の恋愛がテーマで手紙と詩を組み合わせて描かれ、当時の名誉にかなった愛の形を教えてくれる。
同時代に書かれた『騎士ド・ラ・トゥール・ランドリ、娘教育の書』は真逆の内容であり、ロマンティックな恋の危険から娘を守り「正しい結婚」をさせるための指南書だった。彼にとって恋や愛や結婚とは無関係だった。
宮廷風愛の理想を映す美しい作法と、婚約・結婚の現実がほとんど結びついていなかったという現実ゆえに、洗練された愛の生活に関する遊戯、会話、文章の諸要素は制約なしに展開された。愛の理想、誠実と献身の美しい虚構は、(特に貴族の)結婚につきものの物質的な思惑の局外にあった。そのため、人を魅了し、心を高める「遊び」(馬上槍試合)でしか理想は体現されなかった。
■わかったこと
頭では理想を追い求めるものの、本能的な部分があり、それをなんとか無理して仕組みや社会規範も含めて色々がんばってきたのだな、人間は、というのがまず感想として思った。
本能的な愛の情熱を抑えきることはできないからこそ、命も名誉も懸かっている馬上槍試合という、ほとばしる情熱・非日常空間という意味では共通する場にその理想をぶつけていったのかもしれない。
それで思い出したのが2024年12月に2週間滞在したベルリンでの経験である。20世紀のドイツの歴史は、第一次・第二次世界大戦および東西の分断の歴史であり、その最前線だったベルリンは、冬の曇天以上に重苦しい空気に覆われていた。なにしろどこに行っても民主主義の中から生み出した人類史上最悪級の悲劇という十字架が迫ってくるのである。そういった中で人々は、その情熱をどこにぶつけているのだろうと考えながら街を巡っていて気付いたのが「アート」「テクノ音楽(+クラブ)」「ITビジネス」だった。(ダークサイドに情熱がぶつけられるとネオ◯◯になっていたが)
このあたりのことについては、今後さらに洞察してみたいと思うが、人はやはりどれだけ制約が社会的規範やルールによって定められようが、その情熱をどこかにぶつけることで生きていける生き物であると感じた。
(なお写真はそのベルリン滞在中に訪問したシャルロッテンブルク宮殿の寝室。中世から近代に移っていく頃のプロイセン王が亡き妃のために建てた宮殿であり、まさにここで情熱がぶつけられていたのかと思いを馳せた)