パラレルワールドが好きすぎる件
小さい頃、自分の暮らすこの世界は植物人間で寝ている自分が見ている夢かもしれないと思ったことがある。都市伝説でも、ドラえもんの最終回としてそのような設定が語られたこともあった。
全然話は違うが、当時 ”草食系男子” という言葉がよく使われていた頃、若者と語りたがりのおじさんが草食系男子という意味で「植物系男子」と言っていたことがあって、そりゃもうディストピアですねって返答したら、きょとんとされことがある。
話を戻そう。
パラレルワールドとは、ある時点から分岐した並行世界のことを言う。
言葉で説明してもなかなかわからないと思う。実は、私はパラレルワールドとはこういうことか! と思った体験をしている。
この時私は、母から愛されていない世界から、母から愛されていた世界へ移行したのだと思う。パラレルワールドとは、こんなふうに身近なものなのだろうと信じている。
あの時こうしていたら、あのトラブルがなければ、あの人と結婚していたら…etc. そう思うだけでパラレルワールドは存在するという。
でも、本当にそうだろうか。
存在したとしても、自分という意識がそれを体現していないのなら存在していないのと同じである。
パラレルワールドとは、そんなふうな客観的な存在ではなく、極めて主観的な世界なのではないだろうか。自分が体感した世界が、たったひとつの気付きでガラリと変化してしまうことがある。それはまさに、パラレルワールドへ移行したと言えるのではないか。
私が歌手として駆け出しだった頃、あるライブハウスで初めてジャズの本場出身のアメリカ人と共演したことがある。ライブ終了後、彼は私にこう言ったのだ。
「おめでとう、のりこ。こちらの世界へようこそ。あなたにとって新しい人生が始まったね」
翌朝、目が覚めると、いつもと同じ場所で同じように迎えた一日だったのに、まるで違う世界に来たように感じた。本当に違う世界へ来たのだと思った。それ以降、ライブを重ねる毎に何度もその感覚を体感した。いつもと同じ自分のはずなのに、ライブの翌日は生まれ変わったかのように何もかもが違って感じるのだ。今思い返せば、その時私はどんどん違うパラレルワールドに移行し続けていたのだと思う。
そのうち、ライブを重ねてもその感覚を覚えることはなくなったが、今でも何があったというわけでもないのに、目が覚めると別の世界に来たような感覚になることはある。その感覚だけで、結局何が変わったということもないという時もあるし、味覚が変わる時もある。また、元の世界に戻ったような感覚になる時もある。目覚めた時に限らず、気がついたら違う世界になっていたこともある。そんな時は決まって人の入れ替えがおこる。仲の良かった人と疎遠になったり、疎遠になっていた人と関係が深まったり、新しいコミュニティに仲間入りしたり。
こんなこともあった。
私は毎週のように東京ドームホテルのレストランで弾き語りをしていたのだが、ある時、弾き語っている最中に突然譜面が今まで以上に鮮明に大きく見えてきて、頭の中で音楽以外の雑音が一切なくなる感覚に陥った。とても不思議な感覚だった。これはもしかしたらパラレルワールドではなくて、ゾーンに入った感覚なのかもしれない。でも、それだってある種のパラレルワールドかなとも思う。
私は不思議体験を自分で体感するのが大好きなので、パラレルワールド移行の感覚があると超絶ワクワクする。これはそう、初めての全身麻酔で落ちた時のあのワクワク感とも似ている。私は未知の体験が好きすぎる。あまりにも未知が好きすぎて友人からも「どうしたらそんなことに興味が持てるの?」と聞かれる。歴代の彼氏からは「あなたはなんにでも興味を示すんだね」と言われてきた。きっとそのとおりなのだろう。私は、道端に捨てられたアイスの袋にすら興味を持つ。家の前の道を救急車が過ぎていく音が聞こえたら、すぐさま家の外に出て様子を見に行くし、長靴を履いていれば絶対に水たまりの深さを確認する。
最近、頭の上に薄い膜みたいなものを感じるので、しばらくしたらまた別の世界に行くのではないかと思っている。昔はこの薄皮を突破する方法がわからなくて四苦八苦していたことがあったけど、実はそんなものは破ろうとしなくても、時期が来たらいつの間にかなくなっているのだということに気がついた。それは、昆虫の変態という自然の営みのように。それは、大きな虹がいつの間にか視界から消えてなくなっているかのように。
進むべき方向へ歩いていれば、いつの間にかパラレルワールドに移行している。それは大きな変化なんかではなく、些細な変化かもしれない。
だって、パラレルワールドは無限に分岐し存在する世界なのだから。
#パラレルワールド移行の
#具体的なことはまた今度
#ということで
#パラレルワールド飯を作ろう