バカと雑学の話
「人生はネタ作り」をモットーに生きてきた私には、バカを徹底していた時期がある。様々なバカなことに手を染め、バカな仲間と集い、バカを謳歌した私の青きバカ時代。ああ、今思い出しても強く言える。
バカって超楽。
大人達に「バカ」と言われ「バカでぇぇぇす!!」とペコちゃんみたいに左上に舌をぺろりと出し、GO TO HELLのポーズをキメていたあの頃。
しかしそんな私も、あることがきっかけでバカを辞める決心に至る。
そのきっかけとは、東大法学部を卒業した同い歳の男と飲みに行った時の会話にあった。彼は正直、ダサかった。同じ歳のはずなのに、人生経験はほぼ無いに等しく、勉強ばかりしてきたことは容易に想像できた。
その彼が、当たり前のことのように忠臣蔵について語り始めた時、私はこう相づちを打った。
忠臣蔵って聞いたことあるぅ。年末にやってるやつだよねー。「きんちゃんカッコイイ」って言いながら階段落ちるやつぅー。
その言葉を聞いた彼は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で私を見たあと「違うよ」と優しく微笑んだ。ちょっとガンジーに似てた。
私は自分の無知さを恥じた。
バカという肩書きは、自分の無知さを覆い隠す鎧だった。それも、半紙でこさえた超絶脆い鎧だ。こんなにダサくて未熟な男のはずなのに、私の知らない話を息を吐くように語っているということが、衝撃だった。
この時、ダイエットの神様が、もとい知性の神様が私に舞い降りたのだった。
本を読み漁る
それから私は本を読み漁った。人のことをもっと知ろうと思い、歴史、宗教、心理と分野を広げ、最終的には脳みその話がとっても面白くて、行動心理学と脳科学の話ばかりを好んで読んだ。バカだから、脳に詳しくなれば頭が良くなるかもしれないと本気で信じていたのもある。
凝り性な私は、脳科学についての本を長期にわたってたくさん読んだ。大学で脳科学を研究している友人からも専門的な本を借りて読んだ。
私の雑学のほとんどはこの時期に習得したものばかりかもしれない。
そして私は『恋愛における脳科学』の雑学にたどり着く。
恋愛を科学するスピーカー
歌手になってからも私は雑学を広げる手を緩めなかった。様々なジャンルの人達と雑談をするのに、雑学はあり過ぎても邪魔になることはなかった。
その雑学ぶりが買われてか、ある時、“恋愛講座の講師”をやって欲しいと仕事の依頼があった。もちろん、それはジャズライブの客寄せイベントとしての企画なのだが、とても興味深いので二つ返事で引き受けた。
私は持てる雑学を駆使して、恋のホルモンの代表“PEA”についてや陣痛促進剤が実は「愛着のホルモン」(最近は絆のホルモンと呼ばれている)である等の話を簡単にまとめて資料を作成した。歌った曲目は今となっては何を歌ったか覚えていないが、愚かにもまたもや勝手な男に恋をしてしまう女のスタンダードジャズ“Bewitched”は確実に歌ったと思う。
こんなに面白い情報を揃えた、内容のいいライブなのだから、さぞかし人が集まるだろうと私は内心ほくそ笑んでいた。
確かに人は集まったのだが、実際は来てくださったお客様のほぼ全員が80代のご婦人で、そこに60代の産婦人科の女医先生がお仲間として参加されるという期待の斜め上をいく事態となった。
講座が始まる前に資料を配ると、ご婦人たちがざわめいた。
「恋、恋って書いてあるわよ!」
「やだぁ、懐かしいわ」
楽しげな声を上げるご婦人たちの中に、共演のギタリストのご母堂もいらしてたことは特筆するべきだろうか。切ない。
かくして、私は人生の大ベテランと、その道のプロを前にして恋愛科学のスピーチをするという地獄にも似た稀有な経験をすることとなった。
それから数年後、異業種交流会のスピーカーとして、再び私の元に“恋愛科学について”のスピーチ依頼が入ってきた。今度は男性が中心の会なので、多少突っ込んだ内容の性科学をテーマに資料を作成した。
当日、性科学の資料を引っさげ意気揚々と現場に向かった私を迎えた紳士達に働き盛りの世代はおらず、60代から80代までのほっこり世代の皆さんが穏やかな表情で私を迎えてくれた。
しかしその日のスピーチでは、意外にも激しい質問攻めにあった。皆、なんとか性科学を理解して実践に活かしたい!という熱い思いをぶつけてくる。よぼよぼのおじいさんにそんな機会があるかどうかはともかくとして。
こういうところが腐っても雄(失礼)なんだよなと、その背景にある科学的根拠を思う雑学の泉な私なのであった。