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一揆の原理

30年以上前の作品となりますが、「いっき」というアクションゲームがあります。1人または2人の農民を操作して、襲いくる忍者を鎌を投げつけて倒し、悪代官に立ち向かうという、おそらく唯一無二の世界観のゲームかと思われます。

私も子供の頃に友達の家でプレイしたことがありますが、農民の足は遅いし、鎌は敵になかなか当たらないし、鉄砲隊が潜んでたりするし、道中で竹槍を拾うと真前にしか攻撃できなくなって鎌攻撃よりも弱くなるという、異様な難易度にゲラゲラ笑いながら遊んでいた記憶があります。

このゲームはなんと80万本もの売り上げだったそうですが、ゲーム性としては正直相当な難があり、みうらじゅん氏は「一揆は1人や2人でするものではない」というあまりに正しすぎる評を行ったとされています。

しかし、1人は流石にないが、2人での一揆は歴史上実在したと指摘したのが、「一揆の原理」(ちくま学芸文庫・呉座勇一著)という本で、子供の寝かしつけ中に本書を読んでいた私は大変なショックを受けました。

といっても、本書では「一揆」は単なる暴動や反乱ではなく、「個人間の契約に基づいたデモ活動」というのが実態だったのでは、と論じたものになります。「揆」という字はもともと「計測する」という意味があり、各人の意識の高さを合わせる、ということから「揆を一にする」=「一揆」という言葉が使われたそうです。

「一揆」という用語は南北朝時代前後の中世期から史料に現れ始め、各人が起請文を取り交わして、当時の統治者に共同して申し入れを行う、場合によっては集団で訴える、いわゆる「強訴」を行う形式が多かったようです。国人のような有力者同士が1対1で起請文を取り交わす事例も多数あり、これが「ふたり一揆」が実在した根拠として挙げられています。

一揆というと、「いっき」のゲームのように鎌や竹槍で藩側の人間を殺傷するような暴動のイメージがありますが、そのような一揆は江戸時代では稀で、明治時代の初期に薩長の新体制に対する反乱として起きていたものがイメージに近いといいます。

江戸時代では、何万人もが犠牲となった凄惨な島原の乱のあと、幕府によって一揆は禁止されていたので(もし起こした場合は打首)、農民側はむしろ一揆とみなされないように、あくまでも刀槍や鉄砲といった武器は持たずに代官の屋敷に押しかけたり蔵を打ち壊したりしたというのです。もしくは、農地を捨てる「逃散」、現在でいうストライキを起こしたりしました。すなわち、「一揆」は「強訴」の流れを引き継ぐ面が大きかった、というのが本書の大きな論旨です。

特に、一揆を反体制運動や革命と結びつけて論じる、いわゆる「階級闘争史観」に対しては各章で厳しい批判を行なっています。また、本書は一応学術書ではあるのですが、現在の日本や世界の政治情勢等と絡めた記述があったり、時には皮肉なユーモアが含まれていたり、なんと「いっき」のゲームにも言及していたりします(みうらじゅん氏の評も!)。他にも社会学者の言を引用したりして、一揆と現在のSNSの本質、すなわち「個人間の意識合わせ・団結」に共通点を見い出すなど、なかなかに攻めた内容になっています。

本書の著者の呉座勇一氏は、「応仁の乱」や「陰謀の日本中世史」などのベストセラーを続けざまに出している気鋭の学者で、特に「陰謀の〜」は、とある明智光秀の子孫と称する方が主張する「本能寺の変の真実」を徹底的に批判していて、その子孫氏に違和感を持っていた私は快哉を叫んだものでした。

しかし、Twitter上で繰り返していたある女性の学者への蔑視発言・誹謗中傷が問題となり、せっかく決まっていたNHK大河ドラマの時代考証という大役を降りることになりました。本書でも垣間見える、著者の皮肉さ・辛辣さが悪い方向に出てしまったと思えて残念でなりません。

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