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慣れがいつしか自分になる、という話。

勤務中に「おっと危ない!」と思ったことがありましたので記しておきます。良くも悪くも慣れが人をつくる、習慣によって人がつくられるという話。

本日修正作業を依頼された案件のひとつ。既にフォーマット化されていて必要箇所を書き換えるだけの仕事、いわゆるルーチン。テンションも上がらない、単純作業。そんな中で気が付きました。ずうっと忘れていたけれど、不意に意識が戻った感じ。

力関係によって作られたデザイン

その案件とはチラシでした。デザイナーとして「ユーザーにはこの要素が大事よね」「この数字が気になるよね」なんていうことを絞って配置したものの、欲張りさんな上司の指示で全部乗せになったチラシ。(どうアプローチしても自分の感覚と思いが絶対という方は割と多くいらっしゃいます。)また、作る側としても「折れてはいけない案件」と「納めることが最重要な案件」というのがあります。残念だけどこれが現実、ある程度はしかたなし。そしてこのチラシに関しては後者でした。

いつの間にか気にならなくなっていた

そんな経緯から愛着もないままに手を離れたツールであったので、それ以上ブラッシュアップされることもなく時が過ぎました。お腹いっぱいでもう見るのも嫌になるくらいの案件。なのですっかり記憶と意識の外に追いやっていたのですけれど。最初はそんなスタートであった案件ですが、最近になって担当者が変わり、当初の盛り過ぎ箇所に赤が入って依頼がやってきました。

ハッとしたし、ゾッとした。

「わ!そうなの!この箇所に赤入れてくれてありがとう!気付いてくれてありがとう!」と思ったと同時に、違和感・不快感をすっかり忘れていた自分が怖くなりました。快も不快も、良いも悪いも、刺激に反応しなくなったり目を瞑ったりしながら人は慣れてゆくのだと実感した瞬間。

慣れはいつしか人をつくる

最初はとても違和感を感じ疑問を抱いた部分に対しても、いつしか諦め「これはこういうものか」と感じるようになります。同業者から見れば「ああこれ止むに止まれぬ事情があったのだな、お察しします。」とか「なるほど大人の事情か……ご苦労様。」と気付けるかもしれませんが、一般的には「このデザイナーはこういうセンスなんだな、この程度の技量なのだな。」と思われるものです。仕事なのできっちりと納めはしますが。

しかし、そういう積もり積もった慣れ、「習慣」で人はつくられるのだと怖くなりました。自分の視点でも、第三者の視点でも。自分自身の感性や感覚が鈍くなることも、外側から自分のキャラクターを認識されたり、センス・技量を判断されたりすることも。とはいえ、誰だって興味や好意のない人間にそこまで注意を向けることはないと重々承知の上。だからこそ、他人から見てどうであるかよりも先に「自分が納得できる自分でありたい」と強く思います。

疑うべきは自分の感覚

今回の件は、ドハマりする前に悪い慣れに気付くことが出来たというケースでしたが逆も然り。よい方向の慣れであれば、そりゃあもう大歓迎!ということで。内観や自分の棚卸をする時には、こういった部分まで確認することが必要だと感じましたし、常に自分の感覚を疑うことが何より大切だなと思いました。都度軌道修正しながら、少しずつすこしずつ、誇れる方向へ進むこと。少しずつ積み重ねて意識しなくなったころには自分の一部になっているのだと思うんです。慣れることで自分のものになるなら、習慣にすることによって人間力のアップに繋がるならば、こんなに気負わずにできるトレーニング、他にはないと思うんです。トレーニングも努力も大嫌いな私みたいなタイプには打って付けだと。

リラックスって大事

以上、本日は職場のトイレで思いついたネタ「慣れが人をつくる、習慣によって人がつくられる」という話でした。トイレとかお風呂ってリラックスするから思いつくよねー。じゃあ、お風呂入ってゆるゆるしてきまーす。

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ろこ
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