サラリーマンと永久機関は同じだと気づいた五月病。
「永遠」というものはこの世には存在しないのだ。
そんな当たり前な事を4月に徹底的に叩き込まれた気がした。
限界社畜リーマン、絶賛5月病発症中である。
4月特有のイベントに疲弊
事の発端は4月である。
4月にこんな出来事があった。
4月という年度初めの季節だからこそ起きるイベントが目白押しだ。
「自分の異動」以外はざっくりコンプリートしただろう。
サラリーマンをやっていると当たり前に起きるイベントではあるが、何度経験しても慣れないものだ。
そりゃあ5月病になる。
ちなみに新人が配属された点は喜ばしいことではあるが、なかなかのクセ者だったので別の機会で話すと思う。
同僚の予想外の退職
定時が過ぎ、たまたまオフィスで同僚とすれ違う。
どことなく彼は嬉しそうだったので「何か面白い事があったのか?」と聞いたらこれだ。
「実は…今月末で辞めます。」
辞める気配は全くしていなかった。
あいつはどことなくぼんやりしていて、将来の事も考えていなさそう(かなり失礼)だったから。
本人には明るく「元気でいてくれ」と堂々と門出を祝ったが、内心は「お前までいなくなるのか」と呪っていた。
自分の仕事が増えるではないか…と思う一方で、ずっとこれからも仕事を続けるだろうと思っていた部分を裏切られた気分である。
永久機関とサラリーマンは同じ
この世には永遠なんて存在しないのだ。
数々の天才科学者が永久機関の制作に挑戦したが、完全な永久機関は存在しないのと同じように。
肉眼では分からないところで摩擦が生じ、それがエネルギーを余計に消耗し、やがては枯渇する。
元々あったエネルギーがジリジリと削られていく。
だから永久機関は架空のものだ。
この世にある永久機関は「永久機関だと思われた装置」なのだ。
そういった意味では永久機関(だと思われた装置)もサラリーマンも同じだ。
きっと同僚も上司とのささいな摩擦が生じつづけて、去っていたにちがいない。
ところで、「もしも永遠に人も生活も変わらないなら幸せか?」と問われたら難しい話である。
永遠ということは、ずっと安月給の社畜リーマンを続けることが約束されているわけだ。
それはそれで人生絶望しそうだな…と思う訳だ。