僕の絵の先生たち
デザイナー、クリエイター、画家である私にとって
思い起こせば絵の先生は安野光雅さんと岩崎ちひろさんなのであろう。
と言うのも、振り返ってみれば中学生の頃には一生懸命に水彩画のお手本にして模写した思い出があるのです。
その頃描いた岩崎ちひろさんの絵も残っていて
フレームや額はもう汚れてたりしますが、今も飾っています。
「私淑」と「師叔」
安野光雅さんには小学校の図画工作の教科書が安野さんが編集された教科書だったのです。
記憶に残っているのは内容が奇想天外の様な子供心を創造に駆り立てる感じだった事。
成長してからは、ある絵本を広げて見ると
缶にアルミ箔のようなものを巻いた物を中心に置くと
そこに絵が現れてくるのにはびっくりした思い出があるのです。
毎週、授業の図画工作の時間が楽しみだった。絵を描く事や工作がどんどん好きになって行った。
又岩崎ちひろさんは国語や道徳の教科書の挿絵に絵画が使われていたのも記憶にあるのです。
優しげで子供の表情が良いなって思っていたので
内容よりもこの挿絵に夢中になっていたりした。
図書館で絵本も何冊も借りて読んでいた記憶もある。
このお二人の世界観は水彩画と言う画法で描かれていたのだ。
と、いう事は私にとって水彩画と言うものは安野光雅さんや岩崎ちひろさんの描き方が
お手本となっていたという事なのかとも思う。
知らないうちに、このお二人は僕にとってのかけがえの無い
最初の絵の先生だったのだ。
教えを請ったとはこの事なのかも知れない。
このことを「私淑」「師叔」ということなのだと知るのは
ず~っと先の大人になってからのこと。
まど みちお さん
資生堂デザイナー時代に、ある仕事で毎月、安野光雅さんに表紙のイラスト絵画を描いて頂きたい、
そして絵に添えるコピー(文章)は私の故郷山口県の童話作家でもある
まどみちおさんにお願いしたいと言う案を考えたのです。
まどさんはあの「ぞうさん♪」「一年生になったら♪」の歌の作詞家でも有名な作家さんなのです。
私とまどさんは山口県、安野さんはお隣の島根県出身である。
また安野さんとまどさんは親戚でもあると言うのだ。これは何かの因縁なのではとも思ったのです。
当時、資生堂が依頼する外部作家は一流で無いといけないと言う暗黙のルールがあり、
企画を基に先ずは、まどみちおさんに連絡をとってみたのです。
早速の編集者兼秘書の方からお返事で「まどさんは既に高齢で毎月の仕事には耐えられないだろう。」と言うご丁寧なお断りの連絡を頂いた。
残念だった。
安野さんには、私の思いを伝えるべく、お話も伺ったが、当時は猛烈に多忙で殆ど海外取材旅行で日本には居られず数年先まで他の業務には手が回らない状況をお聞きした。
ラフ案のスケッチもお見せしたところ、「この仕事は中村さんご自身が描いた方が良いよ。」とも言われた。
安野さんは絵描きであると同時に秀でた装丁家でもある。
デザイナーとしても大先輩で印刷を駆使した作品もとても勉強になった。
その他にもアドバイスも頂いたのだ。それは貴重な至福の時であった。
それから、何度も自問自答し本当に私に描けるか⁈と思ってはいたが、安野さんに背中を押していただいた事で毎月自分で描いていったのだ。
お二人に仕事をお願いする事は叶わなかったが、今ではその時の残せた絵画作品ができた事はとても有り難かった
宝物の絵
そうそう。忘れてはいけない先生は以前にもこのnoteにUPした「山下清」さんもである。
授業の切り絵や貼り絵があって、山下さんの作品が教科書に載っていたのも覚えているのです。
先生が「これを作った人は知的障害者の人です」と言われていたが。
子供ながらに驚いた記憶があるのです。
母は子供の頃の僕が作ったものは全て保存していてくれて、リボンで閉じてあるのだ。
その頃の描いた絵や切り絵などは今でもたまに広げてみる
僕の宝物でもあるのです。
その綴られた絵のことは、また後日note.にUPすることにします。
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