なぜ、武術なのか⑶〜武術で学べる人間力
③ 武術とは何か?
武術っていっても、格闘技みたいにトレーニングして体を鍛えてマッチョになり、習ったテクニックをスパーリングとかしながら磨いていくものだと思っていた。
だが実際やってみると、全く違う世界だった。
だって求められるのは、”筋肉を使わない”こと!(この辺の話はどこかでやっていきたい。)
確かに師もトレーニングして筋骨隆々という感じではなく、どっちかというと刃牙に出てくる渋川剛気みたいな感じ。
”筋肉を使わない””渋川剛気”っていうと、知ってる人は「あぁ、合気道ね」ってなるかもしれないが、私が習った武術のベースは空手だ。
そんなこんなで始めたこの武術。
では、そもそも武術とは何なのか?
私が教えられたのは、
” 武術 = 生きる術 ”
であるということ。
現代では、格闘技の試合でも相手を殺してしまえば犯罪であるが、日本も百数十年くらい前までは侍がいて、刀を持って命のやり取りをしていた。
そのため、負けることは『死』を意味した。
だからこそ、生きるためにはやれることは何でもやっただろう。
生きるためにやれることとは、戦いの技術的な部分だけではなく、そもそも戦わないことも、ひとつの選択肢となる。
孫子も
といっている。
戦うというとどうしても、勝敗の優劣をつけることを思い浮かべてしまうが、そもそも戦わないことも選択肢となるのだ。
武術を学ぶ際には、物事に捉われない思考の柔軟性も重要になってくるといえる。
④” 倒して勝つ "のではなく” 生きて勝つ ”
『武術』とは、この生きる術の選択肢や心構えを学んでいくことといえる。
では、武術を学ぶのに必要となるものは何だろうか?
それは、『対話と理解』だ。
相手の求めているものは何か?
相手の守りたいものは何か?
それを対話を通して理解していくことに他ならない。
対話を通して理解していくとは、言ってみれば、『相手の立場に立つ』ことともいえる。
これは、社会生活でも基本だろう。
友達を作るときも、まずは対話から始まる。
相手のことを理解できなければ、以前会ったことのある人程度の関係で終わるか、場合によっては喧嘩してしまう。
これがビジネスであれば、競合他社や顧客と戦うのではなく、共存共栄するために
ニーズを理解
信頼関係を築き価値を提供
できることが重要となる。
もしかしたら、「武術で対話っておかしくない?」「戦いのときに対話なんてあり得ないでしょう」と言われるかもしれない。
しかし、対話とは言葉のやり取りだけではない。
相手と話する際には、その人の表情や仕草・または雰囲気から(無意識にかもしれないが)意味を読み取っているのではないだろうか?
これは、戦いにおいて相対するときにも起こっていることだ。
相手が理解できれば、その相手がしようとしている二の手三の手を封じれる。
つまり機先を制し、相手より優位に立つことができるのだ。
だから、武術を学ぶときに本を読むというのもひとつ重要な要素だと感じている。
本を読み他人の思考や感情を読み解くことは、相手を理解する一歩になるからだ。
そういう意味で、過去に読んだ本の内容は覚えていなくても、この本を読んだ経験が少なからず私の武術の上達に寄与しているとしたら、無駄ではなかったと思いたい。
このように武術を学ぶというのは、一見無関係なような社会生活の基本や心構え・思考法を学ぶことと通じているのだ。