たわごと #013 はびこる、自称オタク。承認欲求。ミーハー受動的性質。第4段
さて、頭の中も整理されてきたところで、オタクというものの本質を見ていこう。
この記事は第4段の記事である。
第1段では、オタクというものの定義について触れた(第1段リンク)。
第2段では、なぜオタクになりたがるのかの要因を列挙した(第2段リンク)。
第3段では、現代のオタクという言葉の使用例を列挙した(第3段リンク)。
ここでいったん、旧来のオタクの事例を見てみる。
この例にはオタクの本質が詰まっている。
最も2008年はもはや旧来のオタクが消えつつあった時代ではあるものの、当時のオタクのステレオタイプなあるあるネタ的な側面もある文章で非常に秀逸である。この文章を書いた人は、オタクオタク、といったところか。
解説は下記の通りである。
一人称が拙者。
へりくだって相手の下手にでるという生来の人格が垣間見えつつ、ネット用語をつい口走ってしまうことを自身で戒めるというオタク特有の早口が想像される。スタンスを明らかにする。
ラノベとしてのハルヒでなくメタSF作品として見ているということでスタンスを明らかにさせつつ、原作をしっかり読んでいることをアピールして作者へのリスペクトを忘れない、かつ、SF作品が好きなことも匂わせることで、相手の知識量を探っている。萌えについて理解している。
現代においてはもはや、萌え=かわいいという図式が成立しているかもしれないが、もともとはパット花開くことの情動を示す意味で使用される借用語であることを忘れてはならない。
萌えのメタファーと言うことで、その当時におけるこれまでの萌えキャラをしっかり踏襲したキャラ付け・キャラデザがされ、萌え要素的視点や自身の萌え属性に対する意識付けの説明を、暗にしている。アニメ化(涼宮ハルヒの憂鬱)した理由を考察できている。
……ポストエヴァのメタファーと商業主義のキッチュさ……。
すなわちエヴァは1995年に放送され、その界隈のみならず、かなりのムーブメントとなったが、ハルヒ(2006年放送)も同様の流れ、すなわちエヴァレベルの流行する作品となるだろうということを予見している。また、キャラに関して言えば、流行り物の商業ベースとして見るべきだという見解である。オタクは蔑称であることを認識している。
拙者これではまるでオタクみたいwww拙者はオタクではござらんのでwww、とオタクであることを否定している。もっとも、自嘲的に自身がオタクであることは認識している。しかし、オタクであるということを他者から言われるのはまだ良いとして、自分でオタクと言ってしまうのは恥ずかしさがある。これは、自らが専門家であるということを自負している、と捉えられかねないからである。
なぜ旧来のオタクが魅力的で、現代の自称オタクが気持ち悪いのか、気色悪いのか、共感性羞恥を感じてしまうのか。このように分析してみると、なんとなく理解できるのではないだろうか。
次、第5段でまとめるか(1600文字)。
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