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幸福の方程式は、意外とシンプル— 当たり前の中にある、特別な幸せ
スーパーの棚にずらりと並ぶ豊富な食材を目にすると、思わず胸が高鳴り、「なんだか幸せだな」と感じる瞬間はありませんか?
もしそう思えるのだとしたら、それは普段は見過ごしがちな“当たり前”に、実はかけがえのない価値を見いだしているからなのかもしれません。
寒空の下で催されていたお祭りを訪れています。屋台で牡蠣を焼く湯気の向こうに人々の笑顔があふれている光景にふと胸が熱くなりました。
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なかでも、普段はあまり日本酒を飲まない妻が(他のはあり得ないくらいに飲むが笑)、熱燗のワンカップを美味しそうに飲んでいる姿を見て、心から「幸せだなぁ」と思ったのです。
仕事柄、これまで多くの方のキャリア相談や組織開発に携わる中で、「幸福」というものがいかに多面的かを痛感してきました。
例えば「飲みニケーション」や「食事をしながらの会合」が業務上でも重宝されるのは、マズローの欲求階層説でいう所の、生理的欲求を通してリラックスし、人間関係を円滑にする効果があるからなのだろう。
一方で、アドラー心理学の中で語られているように「他者との比較」によって幸福度は容易に下がるとされています。SNSにあふれるキラキラした写真を見て、「あの人のほうが幸せそう」「自分はまだまだ」と感じてしまう瞬間が誰にでもあるようです。実際にマーケティングの世界で有名な、あの森岡毅さんも、「個人的意見としては、SNSは人を幸せにしないと思っている」と語っています。
これも、一度“他人の人生”というフィルターを通してしまうと、比較の罠に陥りやすいからなのでしょう。
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イソップ寓話の「ロバを売る親子」が示すように、周囲の声に振り回されるあまり、自分たちの本来の目的(ロバを売る)すら果たせなくなってしまうことがある。組織やチームにおいても、あまりに他人の評価ばかり気にしていると、自分の本質的な強みや価値を見失いがちです。
だからこそ、私は「自分自身の幸せをどこに置くか」を常にブレずにもっているようにしています。それを明確に意識できていれば、どんな状況でも楽しめるし、日々目の前にある小さな幸せを見逃さなくなるから。
では、幸せを見つけるためには何が必要か。個人的な結論としては、
当たり前を当たり前と思わない姿勢
比較ではなく、自分の価値基準を大切にする意識
日々の小さな幸福(食事や家族の笑顔)を素直に味わうこと
こうした土台があれば、スーパーに並ぶ食材を見ただけでも心が踊り、寒空の下でも「熱燗が美味しいね」と喜び合える。一方で、仕事上の人間関係を円滑にし、組織のパフォーマンスを高める要にもなる。個々が自分なりの「幸福の基準」を持ち、他者との関係を「比較」ではなく「共感」でとらえられるようになれば、より健全で生き生きしたチームが育つだろう。
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寒い冬のお祭りで熱燗を美味しそうに飲む妻の姿。それだけで私には十分すぎるほどの幸福である。
マズローもアドラーも森岡毅さんの言葉も、「人はどう生きれば幸福を感じられるか」を示す大切な指針の一つなのではないだろうか。
大切なのは、自分自身が「どんな瞬間に幸福を感じるのか」を知り、周囲の声や情報に惑わされず、その幸せを存分に味わうことが、それぞれの「幸福」なのではないだろうかと考えています。