専業主婦に育てられたけど。
私の母は10年以上付き合った彼と別れて
半年で我が父とスピード婚。
その1年後に生まれたのが私だ。
父は広告代理店勤務で激務。
私が1歳のときに都内から
関東近郊に引っ越しをしたんだけど
周りに親戚もいなかったから、
母は、結局仕事を辞めることを決断をした。
以来、私が大学生になるまで
いわゆる、外でお金を稼ぐという仕事はしていなかった。
最近𝕏のトレンドに専業主婦が上がっている。
何事かと見てみるとあるポストに行き着く。
簡単に言えば、専業主婦と兼業主婦
それぞれの主張がぶつかりあっているのだ。
そのなかで印象的だったのが
「 専業主婦の一番のリスクは子供にとって
働く母親のロールモデルがないことだと思う 」
というポスト。拡散されていることからも
良くも悪くも引っかかる言葉だったのだろう。
私も、まんまと引っかかった1人だ。
話を戻そう。
母文字通り専業主婦だった。
すなわち、我が家には働く母の
ロールモデルはなかったことになる。
しかし、私は迷うことなく
進学を選び、働くことを選択し、今に至る。
前述のポストを真向否定したいわけじゃない。
ただ、なぜロールモデルなき道を
自分が進んだのか、そのことについて
改めて考えてみたくなったのだ。
我が家の父と母は
「 勉強をしろ 」だとか
「 大学に行け 」だとか
そういうことは一切言わない人たちだった。
代わりに
「 仕事と勉強は一生できる遊び 」だとか
「 大学は自由で楽しい 」だとか
自身の経験に基づいた
生の言葉を投げかけてくれる人たちだった。
子どもとは、敏感で繊細で
何よりも野生味がまだ残っている生き物だ。
ウソとホントを見分ける能力に
抜群に長けているとも言える。
私は父と母の生の言葉が
ホントであると察知していたのだろう。
だから迷わず、
勉強をしたし、進学をしたし、仕事をした。
私には働く母のロールモデルはいなかった。
しかし、カッコよく生きる大人のロールモデルは
身近に2人もいたということになる。
何がいいたいかといえば、
父が息子の、母が娘のロールモデルになるのではなく
どちらの親も子のロールモデルになりうるということ。
急に責任が重大になってきて震えるが
きっとこれがリアルだ。
専業主婦、兼業主婦
そんなラベリングが堂々となされているのは
やはり「 女が働くこと 」に対して
まだまだ障害が多くある
日本の現実を表しているようだ。
人間ひとりとしてみれば
いろいろな人生があると言えるのに
女や男と性別にフィーチャーすると
途端に「 こうあるべき 」が発動する。
この裏にあるのは一体、何なのだろう?
結局のところ
専業主婦であろうが
兼業主婦であろうが
本人が良ければそれでいい。
誰ひとり同じ人はいないわけだし
環境も価値観も考え方も違って当然。
他人がとやかく言うことではない。
それでも人は言いたがる。
例に漏れず私も、だ。
わざわざnoteまで書くのだから
相当な言いたがりであることは間違いない。
そんな私がたったひとつ、
確信を持って言えるとするならば
「 専業主婦 」は「 兼業主婦 」の対義語ではないということ。
「 私、専業主婦なんだ 」
そう耳にしたとき
「 仲間じゃない 」と思うのではなく
「 家事の話ができそう 」
そんな共通点を探せる人でありたいものだ。