「麒麟がくる」を見ながら勝手に膨らんでいる妄想いろいろ
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。
コロナ禍の影響を受けて、越年して放送されていますが、残り3回となり、「本能寺の変」がどのように描かれるのか、とても楽しみになってきました。
信長や秀吉の側からではなく、謀反人と言われる明智光秀の側から見た「本能寺の変」を扱ったドラマは今までなかったように思います。
斎藤道三、朝倉義景、足利義昭、そして、織田信長。
明智光秀が仕えた(関係した)と言われる人物たちです。
「上司−部下」の関係で見れば、多少嫌いな所はあっても、「この人についていけば、自分の夢も叶うのではないか」と思って部下が頑張るのは戦国時代も現代も同じです。
しかしながら、人が違えば、価値観も異なり、考え方ややり方も違ってきます。このため、「この人の下で働くのは無理」と思ったり、「Aさんでなく、 Bさんの方が自分のことをより理解してくれる」と感じたりしたら、今ならまず転職を考えます。
そして、自分のやりたいことがあったり、自分の能力に自信があったりしたら、転職ではなく、独立起業を考える人もいます。
明智光秀は「本能寺の変」を起こした理由については様々な諸説があります。しかしながら、「上司–部下」という観点からすると、光秀の場合は、「途中までは転職を繰り返していたが、最後は独立起業した」という見方もできます。
私は起業して今年で15年目になりますが、必ずしも人に独立起業をお勧めする考えはありません。
やはり、人には得手不得手があり、独立するよりも、企業の中で働いた方がより力を発揮できる人はたくさんおられるからです。
ここ15年間で、様々な社長さんとお会いしてきましたが、
「この人は大企業でその能力を活かした方がもっと価値を上げられるのに」
と感じた人も何人かおられました。
では、私の場合はどうかと言えば、起業したのは
「もう、上司に振り回されるのは嫌だ」
というのが一番のきっかけでした。
そして、自分に対して何か絶対的な自信があった訳ではなく、
「まぁ、何とかなるだろう」
くらいの軽い気持ちで起業したのです(汗)。
実は、このことが長年私にとっては一つのコンプレックスでした。
「本当に自分は起業に向いているのだろうか?」
という思いが、いつも頭の片隅にあったのです。
けれども、自分の価値判断基準である「コアコンセプト」が分かった時に
「自分にとって『起業』は必然だった」
ことが腹にストンと落ちました。
仕事の能力面で、企業の中で働いた方が良いかどうかというよりも、仮に、その時点で起業する能力に欠けていたとしても、いつかは独立起業することが決まっていたことが理解できたのです。
このため、私の場合は、起業してから、起業して事業を続けていくために必要な知識やノウハウを必死で身につけています(苦笑)。
こういう観点から「麒麟がくる」を見ていると、ドラマの大きなテーマとしては「戦争のない平和な世の中を作る」という大きな大義を果たすために、明智光秀は上司である織田信長を討つというストーリーが見て取れます。
一方で、残念ながら、戦争のない平和な世の中を作るという目的を光秀では達成できませんでした。これは、光秀の能力の限界だったのか、時の運だったのか、はたまた、誰かの陰謀だったのかについて、私は分かりません。
ただ、私が一つ妄想しているのは、「本能寺の変」を起こす前に、もし、弊社で光秀をプロファイリングすることができたら、
「その大義のためだったら、謀反は起こさない方が良い」
「あなたの価値観からすれば、成功の可否に関係なくやるしかないでしょう」
とアドバイスできたのでは、ということです。
15年前の私がもし、弊社に相談に来たら、その当時の私には
「起業してこれを絶対に成し遂げたい」
というものがなかったので、
「その大義のためなら・・・」
というアドバイスはできません。
けれども、私の大切にしている価値観からすると
「あなたの価値観からすれば、いつかは起業するしかないでしょう」
とは伝えられるのではないかと考えています。
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