「名選手必ずしも名監督ならず」以上に、個人としての実績と管理職としての能力は比例しない
今年読んだ本の中で面白かったのは、監督時代の落合博満さんについて書かれたノンフィクション「嫌われた監督」。落合監督は8年間でリーグ優勝4回、日本一も一度達成という素晴らしい結果を残されています。
落合さんは日本を代表する名選手&名監督のお一人だと思いますが、「名選手必ずしも名監督ならず」とよく言われます。
「名選手とはそもそもどういう選手か」、「名監督の定義とは」、という議論は今回脇におくと、名選手かつ名監督となっているケースには3つのパターンがあると思います。
1.絶対的オーラ型
これは誰もが名前を知っており、みんながあこがれている選手が監督に就任した場合で、圧倒的な実績、オーラによって選手を引っ張るタイプです。
日本のプロ野球で言えば、長嶋茂雄さんのようなケース。また、名監督と言えるかどうかは微妙ですが、サッカーのW杯のマラドーナ監督もこの分類に入ると思われます。
これらのスーパースターはその一言、二言で選手を奮い立たせます。選手は監督のオーラを感じとって、いつも以上の力を発揮することもあります。
2.理論型
緻密な理論や考え方で選手を掌握するタイプ。
プロ野球で言えば野村監督、サッカーで言えばオシム元日本代表監督など。野村さんのID野球、オシムさんの走るサッカーなど、豊富な実績と分析によって裏づけされた理論は選手にとっても非常に魅力的でした。
3.挫折経験型
以前の苦い経験や失敗を乗り越えて、選手を指導するタイプ。
プロ野球で言えば、巨人監督の事実上の解任という経験を経て日本代表をWBCで優勝に導いた原監督、前評判の低さをはねのけて南アフリカW杯でベスト16を達成した岡田元日本代表監督もこのタイプに当てはまります。
以前の挫折を克服することで監督の人間の幅が大きくなり、それがピンチに陥った時の我慢強さ、粘り強さにつながり、成果に結びついているような気がします。
もちろん、これらはきっちり3つに分かれるのではなく、1と3両方に当てはまる人、全部に該当する人もおられることと思います。落合監督の場合は1&2という感じでしょうか。
いずれにせよ、選手と監督とは全く違う仕事。名選手が即、名監督になれる訳ではありません。そして、これらの監督はそれぞれ独自の努力、方法でその壁を越えてこられたのです。
ところで、会社の場合はどうでしょうか。
多くの場合、社員として実績を上げた人が昇進・昇格して部長、そして、やがては役員になっていきます。
大手企業などで、社内の人事制度や教育制度がきっちりと確立できているところは、社員としては◎であっても、管理職として×な人は自然と淘汰されていきます。
しかしながら、中小・中堅企業などで社内制度がそこまで出来ていない場合、管理職としての見識、経験に欠ける人が将来性のある社員の芽を摘んでいるケースも時々見受けられます。この場合、社内に人材が少ないこともあり、経営陣も分っていても必要な手を打てていないことも多いのではないでしょうか。
個人として実績を上げる社員=会社に貢献できる管理職ではないという事実。
通常の仕事の場合はOJTで学ぶ事ができますが、管理者としての仕事は本人だけでなく、周りの社員をも巻き込むことになります。
担当者として素晴らしい営業成績を上げても、その営業のやり方を別の人がそのまま実践できるとは限りません。また、持っている理論は正しくても、その理論が実践で役立たないこともあります。そして、そもそも途中で大きく挫折している人は、その会社では管理職になれない可能性もあります。
したがって、スポーツの世界以上に、会社においては「名選手必ずしも名監督ならず」的な要素が大きいように感じます。
管理職に求められるのは、自分を薄めて、部下が力を発揮するために、知力を絞って、いろいろな仕掛けができること。
「感情→思考→行動」のプロセスに沿って、部下の言葉の真意を読み取り、結果につなげる行動を促せるかどうか。
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