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海外ノマドが考える今より少し豊かに生きる考え方【前編】「一歩先を考えられれば世界が広がる②」

私は「海外ノマド」と言っているが、数年ごとに国を移動しながら生活をし、又他の国に移動をするような、そんな「ノマド生活」を送っている。

そんな生活をしながら、少しだけ視野を広げ、そして少し別の世界が見えてきた。SNSのお陰で色んな情報が簡単に手に入る時代になった。けれど、そのお陰でもしかしたら人は考えることを怠けているのではないかと感じている。

情報社会において、今は受身の情報が多い。自分で調べることも多いが、やはりネットで簡単に調べて、その一歩先まで調べていないような気がする。
一歩先、というのは、誰かが呟いたことを、そのまま信用してしまうのではなくて、それ以上考える、調べるということだ。

何か得た情報に対して、「なぜそうなんだろう?」という疑問を持つということはとても大事なことだ。

インターネット、SNSのお陰で世の中は便利になったが、決して生きやすい世の中ではないようにも感じる。

そんな時代、一歩先を行く考え方を身に着けて、今よりほんの少しだけ、幸せに、豊かに、平和に、気が楽に…過ごせる(かもしれない)方法を、書こうと思う。


②「豊か」に生きる考え方

②‐1幸せはお金で買えるのか

「お金持ちなりたいか、なりたくないか」、と言われたら「なりたくない」と言う人はいないかもしれない。例えばそれが
「愛とお金どちらを取るか?」みたいに二者択一であれば、その答えが「お金」でない人はいるかもしれないが、無条件に「お金が欲しいか」と言われれば、「いらない」と言う人はいないだろう。

では「お金で幸せは買えるのか。」という問いもあるが、答えは「ある程度の幸せは買える」と言えるだろう。お金で買えるものは多いし、お金を払えばストレスなくできることもある。だからお金があればできることは多いのも事実だ。ということはある程度の幸せはお金で買えると言えてしまう。

しかし、年収と幸せの関係というのを見ると、ある一定までは年収の上昇と幸せは比例するのだが、それ以降はあまり変わらなくなる、そうだ。
それは日本円にして年収800万円が幸福度の限界点という調査結果が出ている。

★【2015年にノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のアンガス・ディートン教授による年収と幸福度の関係の研究によると、年収が7.5万ドル(約800万円)を超えるとそれ以降は、年収と幸福度の相関があまり見られないそうだ。これは年収800万円までは年収の上昇に従い幸福度が上昇するが、それ以降は年収が増えても幸福度はあまり変わらないという結果だった。】

年収800万円と言えばかなり高い年収でもある。けれど、1000万円、2000万円、1億円…と稼ぐ人もいるが、幸せとの関連性を考えるなら、800万円までを目標にしていればいいのかもしれない。でも、それでもそれ以上稼ぎたいと思う人もいるし、いくらでも稼ぎたいと思う人もいるだろう。
けれど、幸せになるための年収に上限がある、と思えれば、それが1つの目標になり、上限が見えている方が楽になる気がする。お金があれば幸せになれるが、お金で買えない幸せもある。

そして、お金で買える幸せと買えない幸せがあり、これも自分の考え方によって、幸せの感じ方が変わるのだ。
あるYOUTUBE動画で

ンコモさんは
動画の中で言ってお金で買えるものと買えないものについて話している

【お金で家は買えます。しかし安らぐ場所は買えない。
お金で時計は買えます。しかし時間は買えない。
お金でベッドは買えます。しかし睡眠は買えません。
お金で食べ物は買えます。しかし食欲は買えない。
お金で医者に支払いは出来ても、健康そのものは買えません。
お金で保険は買えます。しかし安全は買えない。

暮らしの中で忘れがちになりますが、世の中には
物的な豊かさでは買えない物があるのです。】

人生においてどちらが大事か…実は買えないものは本当に大切なものなのかもしれない。それを知っているだけでも、そう考えることができるだけでも、例えお金がなくても、幸せを感じることができるのかも、しれない。

もちろん、何度も言うがお金で買える幸せはあるし、年収と幸せは比例する。お金は生活を楽にしてくれる道具であることは確かだ。けれど、お金を使うことによって、得る何かがあり、お金そのものが自分を幸せにはしてくれない。ただ、そう思えるだけでも、今よりも少し、幸せでいられたり、する気がするのだ。

お金がなくても、自由があり、安らげる場所で、寝る時間も十分あり、健康で時間もたくさんある環境にいられるだけで、実はなによりも幸せなことなのかもしれない。
そう思えれば、何でもない毎日でも、日々時間を持て余してしまう日々でも、健康で安全に暮らしているだけで、実は幸せなのかもしれないのだ。

②‐2 「お金持ちになる」系セミナーは本当にお金が稼げるのか

ある一定の額までは、収入と幸せは比例すると言うことが分かった。ということはお金持ちになることは、幸せになる方法の1つでもある。ではどうやってお金持ちになればいいのだろうか。

お金を増やす3つのルール、というのがある。

資産形成=(収入─支出)+(資産×運用利回り)

そこから考えるとお金持ちになるには、次の3つの方法しかない。

① 収入を増やす。
② 支出を減らす。
③ 運用利回りを上げる。

そんな世の中で、多くの「お金持ちになる」「お金を稼ぐ」みたいなセミナーや、本も多く出ている。では実際、こういった系のセミナーに参加したり、本を買えば本当にお金が稼げるのだろうか…。

インターネットを見ていると、「お金持ちになる方法」みたいな記事などがたくさんある。「月100万稼ぐ」とか「月50万稼ぐ」とか、そんなことが書かれている記事や本などもある。

では実際にそういうセミナーに参加したり、そういう本を買えば、本当にそれだけ稼げるのだろうか?動画でも「これだけやって月XX円稼げるようになりました。」なんていう動画があるが、本当に同じようにすれば自分の稼げるようになるのだろうか?

でも、少しだけ考えてみると

①まず、ノウハウを読んで理解することから始まるが、それを読んで理解する人は何人いるだろう?
②もしそのようなノウハウを読んで、理解して、実践する人はどれくらいいるのだろう?
③実践したからと言って、本当に実践すれば誰でも同じように成功するのだろうか?

実は、私はSNSでお金をかけず、誰の手もかけず、インターネットで無料で閲覧できるフォロワーを増やす方法をいくつか読んで、実践してみて、自分のSNSのフォロワーなどを少しずつ増やしている。それを実行し始めても、それを継続しなければいけない。
自分が実践したやり方を(無償で)周囲にも教えることがあるが、それを実行する人は少ない。そして実践してみても、継続しないこともある。

では、実際のセミナーなどはどうかというと、私は参加したことがないが、実は、ここでちょっと考えた方が良い。そんな簡単にお金を稼げるわけがない…。こういうセミナーは参加者がお金を稼ぐセミナーではなく、主催者がお金を稼ぐセミナーである。と思うのだ。

もしくは、「お金持ちの習慣」みたいな本なども多くあるが、同じことをしたからと言って、決して同じようにお金持ちになることはない。というより、お金持ちの人の習慣だけを真似したところで、同じようにお金を稼げるようにはならないと思うのだ。けれど、その本を買ってしまうことで、その本を書いた人がお金持ちになっている…のかもしれない。

また、「お金を稼ぐ」と言う方法の中で、毎日あくせく働かず、不労所得を得よう、とか書かれていたりすることがある。要は権利収入みたいなものだ。著作権などもそうだし、何か1つ当たれば、一生暮らしていけるお金が手に入ることもある。けれど、実際そういうレベルに達することはお金なんて、実はそんな簡単に稼げない、ということをまず知っておくことは大切だ。

それを夢見てちゃんと働かなくなってしまえば、逆に、先ほどの
① 収入を増やす。
という、働いて、お金を稼ぐ、というお金を増やす方法の1つをしなくなってしまうということになる。

動画制作、SNS投稿、アフリエイト…世の中には簡単に稼げそうな方法がたくさんある…ように思う。けれど、仕事なんてそんな簡単なものじゃない。シンプルに考えれば、一生懸命働いて、その対価をもらって、ちゃんと稼ぐという姿は、人のあるべき姿のような気も、するのだ。

②‐3 あくせく働くことは幸せなことではないのか?


時給で働くこと

私は本業はアテンド通訳、日本語講師なのだが、時給という概念で考えれば、ぶどう収穫よりももっとちゃんと稼げる仕事だ。私の周りでも「日本人だから」ということで、日本語講師をしている人もいるし、何年も海外に住んでいるから、「通訳」をする人もいる。そして、インターネットなどを調べて、通訳の給料、通訳料金を調べて、平気で料金を書いている人もいる。
「すごい稼げる」と思うかもしれない、けれど実際は1時間の給料は1時間の仕事ではない。

https://imitsu.jp/cost/interpretation/


https://imitsu.jp/cost/interpretation/

最低料金を見ると、1日2万円、8時間労働なら時給2500円ほど、と考えたら、日本の東京の最低賃金の2倍以上、とも考えらえる。けれど、通訳の時は例えば通訳する前に資料を読んだり、色々調べたり、仕事の日が1日でも、その前に色々連絡を取り合って、中には通訳する場所のアポ取とか、ホテルなどの予約や確認、電車や飛行機のチケットを取る、なんて作業も発生することがある。(そういうことを別料金にする人もいるが…)
アテンド通訳、なんて、お客様が朝起きてどこかに行く時にはホテルのレセプションで待ち合わせ、会食などもお付き合いすると終了は22時、23時なんてこともある。場所によっては同じホテルに滞在することもある。
休憩というのは昼食の時間、という規定もあるが、逆にこの時間帯にお客様が他の人とと雑談的にお話することも多いので、ゆっくりできないことも多い。だから、「1日8時間労働」なんていう就労規定などとは程遠い仕事だったりもする。(それに、そういうことにこだわって仕事はしていない)

また、この価格帯が通訳会社の価格帯であって、通訳者がもらえる金額ではない。通訳会社はコミッションとして20~30%ほど、多ければ40%ほど取る。だから、実際に受け取る料金は少ない。要は一番難しいのは自分で顧客を探すことでもあるからだ。
日本語講師も1時間20€、30€、50€… 2000円、3000円、5000円、それ以上、なんて料金を提示している人もいる。
日本語講師も、教えるその時間だけではなく、
その1時間のために1時間準備、1時間宿題など、採点など1時間のクラスに3時間の労働

という計算だと思う。だから、もちろん最低賃金を考えたら、1時間20~30€くらいになるのかもしれない。ただ、これは大学で教えていても1時間の待遇は同じくらいだったりもするのだ。

けれど、経験がなくても、こういうサイトなどで料金を調べて、そのままの料金で請ける人も、もちろんいる。私も学生の時には1日10000円、1日100€、1日50€、時給1000円、などまずは経験を積んで知識や能力を得るために数年仕事をしながら、少しずつ待遇が上がる仕事ができるようになった。
時給が高そうな仕事でも、高給をもらうためには経験も積んで、これも手に職として1人前にならないといけないと思う。そして、1人前になるには5年~10年はかかると思っている。
職種によって、国家資格など、長時間勉強したり、研修したりするような職種だと給料も高いし、1時間お願いするとかなり料金が高いこともある。けれど、それはそれまでの経験や知識、その職に就いて1人前として仕事をするまでにかけた費用や時間が関係していると思う。
どんな仕事でも、その対価を支払う方にしても、支払ってもらう方も、それなりに時間やお金を「自己投資」をして得た知識や能力、経験があるからこそ、得る金額なんだと思う。

逆に、ぶどう収穫は仕事時間に畑に行って、そこから仕事をして、終われば終わる。残業などもない。ぶどう収穫そのものは、慣れている人や収穫が早かったり、切り方が綺麗だったり、という差は出る。

結局はどんな仕事でも楽して稼ぐのはなかなか難しいということで、不労所得を得るためにも、ある程度の蓄えが必要になってしまう。でも誰かのために、1時間いくら、ではないが、きちんと働くことというのは大切なことだと思う。

お金は決して楽して稼げない。

私はあくせく働くことはかっこいいと思うのだ。ちゃんと働いて、その対価をもらうことが人のあるべき姿でもあるし、ある程度のお金があれば、それ以上働き過ぎず、自分の時間も大事にして生きていければ、楽ではないが充実した生活ができるんじゃないかと思う。それはどんな仕事でも、給料が高い仕事でも、そして、給料が高い仕事でも、仕事をしている時間は実は通常の勤務時間以上働いている人も多くいる。どんな仕事も、人の見えないところであくせく働いているからこそ、お金を稼ぐことができるんだと思う。

けれど…もちろん、悲しいかな世の中は決して平等じゃないし、お金持ちがさらにお金を稼げるシステムが出来上がっている。

ただ、この不平等を、不平等だからとそれで諦めるのか、そんな環境でも頑張るのか、頑張った分だけ、例え時間がかかっても自分のやりたいことがあれば、いつかそれを達成できると思っている。自分のやりたいことがあって、それに向かって進んで行ける環境であれば、それはそれでなんと幸せなことだろうと思うのだ。

世の中は、お金がある人が更にお金を稼げるシステムになっているが、お金があっても、時間がない、自由がない、色んな理由で自分のやりたいことができない、しない環境もある。どんな不平等の中でも、不条理な環境でも、お金そのもに捕らわれなければ豊かな生活を送ることはできるんじゃないかなって思うのだ。


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