自分に都合よく生きる
誰かに合わせる生き方は好きか
はっきりと自分は誰かに合わせて生きることが苦手
集団行動にストレスを感じる
誰かと話すことは嫌いではないし集団でいることが嫌だというわけではない
集団行動の多数決が嫌なのだと思う
自分の納得感が置いてけぼりになるのが嫌なのだろう
別に平気な時もあるから
結局は個の集まりである以上、個の意見を統一するのは時間がかかる
時間制限があるときに多数決となる
そんな決め方ってないなぁって思う
ややこしい性格だ
集団が嫌いなのではない
集団行動が嫌いなのだ
集団行動による多数決が嫌いなのだ
予定調和で決まることが不自然に感じて
深掘りすることをせずに
いつまでも、納得できないことを納得したように決定されることに
やはり違和感しかない
最後の晩餐になにを食べる
さて何を食べようか
夕飯のメニューに悩む
最後に食べるものを決められることに奇跡を感じる
想像でもいいじゃいか
いつでも思いは自由だから
食べることは意識しないと空気になる
何を食べても味を覚えていない
そんな日々を送ってしまう
やはり
食は大事だ
今まで食べてきたもので記憶に残っているのは
美味しかったことではなく
どこで、誰と食べて、その雰囲気を覚えている
カツ丼が好きでも
確かに美味しいカツ丼があっても
なぜか思い出すのは
祖父と行った国道脇のドライブスルーの定食屋
今にして思えば
さほど美味しくはなかったが
祖父が嬉しそうに「これ好きだべ」と頼んでくれるカツ丼が
とても記憶に残っていて
それは大事な大切な食の記憶
今はもう祖父はいないけど
定食屋もなくなったけど
ちゃんと記憶に残っている
最後の晩餐は祖父とカツ丼が食べたいな
いや
ここは妻と味噌汁を
と言うべきだろう
きっともう少し歳をとって最後が近づいてきたら
最後の晩餐も変わっているかもしれない
レンタルなんもしない人を観て
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