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学舎 まなびや

25日に離退任式がありました。私にとっては二度目の定年退職となります。

一度目は何もありませんでした。ただ再任用になり、同じ勤務校で新年度になっただけ。でも、30年前に勤務した時の卒業生たちが花束を持ってきてくれました。

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60歳は送別会もなく粛々と過ぎていきました。

ひがんでいるわけではありません。ただ定年退職をする先生のご苦労さん会を何度も見たり主催したりしてきた自分が、いざ自分の時には・・・

何も無し?! やっぱりひがんでるかもww

そして5年。再任用として働き、本当の意味で定年退職を迎えました。働き続ける私にとっては、大変爽やかな日でした。

ご苦労さん会など、5年も経過してしまえば、誰も気づかないし、自分も望まないからです。

ところが。大きな花束が懇意にしていた先生から学校へ届いたんです。

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メッセージ無し。国語の先生だからいい言葉書けるだろうになぁ。

このメッセージ無しってところが妙に気に入りました。「こぷた先生の好きなはなむけの言葉をつけてください。」って感じでね。

「おー!つけてやるゼ。”70歳まで頑張れ”だな。」などと思いつつ、急に嬉しさが込み上げてきました。気にしてくれる人がいるじゃん。私にも。

60歳の日と65歳のこの日と比べたら、今日は最高のしめくくりだと実感したわけです。

お別れの挨拶は、コロナで不十分だった「校歌」の上手な歌い方のレクチャーをしました。

教務の先生から「最後まで音楽の授業やっちゃったね」と言われました。

校歌の歌詞に「学舎(まなびや)」があります。

私は、この言葉が大好きです。

まなびや。時間と空間とを子供たちに与える学校で、いろいろな体験をして育っていきなさい。先生が助けてあげるから。それが、まなびや。

コロナ禍で”まなびや”は大打撃を受けました。それに負けてはいけないと、日本中の先生たちは、何とかして平常に近づけようと努力しました。

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球技大会。やっと体育館内の競技も再開しました。

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掃除。床を直に拭く日本独特のw掃除は、もうできないかもしれません。

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給食。班ではなく、全員が正面を向いて”黙食”です。その分、昼の放送内容は充実しましたが。

合唱コンクール。私の学校では2年間中止でした。3年間しか在籍しない中学校で、この行事を体験しない生徒が、4月に最高学年となります。

コロナ禍で、中学校では1回でも中止にするデメリットは大きいのです。

私は音楽を教えていますから、授業は特に大変でした。マスクをつけて歌う、笛の後手を洗う・・・

最後の2年間、授業で十分な学習ができなかったのが残念でなりません。

リモートでの自宅学習なども導入されて、体育館に全校生徒が集まらなくとも、教室で話を聞ける便利なツールが使われるようになりました。

でも、学舎=まなびやの表わすところは、一緒にいることなのです。

子供たちと先生たちが一緒に顔を見て活動する場所なのです。

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学校の仲間だから部活動も意義があります。

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地域の一員だから先生や子供に声をかけてくれます。

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マスクのない授業がしたい。再任用一年目のように。

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笑い合い、唾飛ばしておしゃべりするのが”まなびや”です。

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そんな”まなびや”をここできっぱり終わりにはできません。

もう少しだけ、コロナ禍がすっかりなくなるまで音楽を教えていきたい。そう考えています。

走り抜けるように仕事はしなくちゃ。4月からは非常勤です。

生徒が「非常勤って何ですか?」と聞きました。私は、

「音楽の授業だけをする先生のこと」と答えました。

「よかった。同じってことですね。」




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