第3回THE NEW COOL NOTER賞文芸部門~7/8講評(一奥分)
第3回THE NEW COOL NOTER賞文芸部門へご参加いただいている皆様。
7月度文芸部門に応募された作品について、期間のこり一週間を残すところ、33作品にのぼりました。
これだけの応募をいただき、さらに応募数が伸びていることに、皆様が当コンテストを楽しんでいただいていることへの深い感謝の念がつきません。
これらのうち、本日は、一奥より数作品の講評をさせていただきます。
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<講評>
当たり前のようでいて、実は一つ一つが異なる「りんご」。
よく哲学というものを、それに初めて触れる人に説明する時に「りんご」は説明材料として使われます。
曰く、みなが「りんご」と認識するものは本当に「りんご」であるか――「赤い」とか「丸い」とか、そういう定義というのはどういう意味か――。
これらは、話者によってそれぞれ道程は異なりますが、いずれも、今自分が当たり前だと認識している何事か事物に対して、そもそもそれはどこから来たのか、ということを問わんとするものです。
ひいては、そういうものは、己の認識を経て経験、そして己自身、広がり翻って社会全体へ向かいますね。
本作は、主人公が想いを寄せる少女に対して、自分自身が想像していた世界が一変してしまったことを、そうしたりんごに仮託し重ねた描写を試みたものと理解します。
ありふれた哲学話のようでいて、それが一気に日常に通じるという意味において、目をみはる着眼点ですが、ショートショートとしては、もっとショッキングに主人公とヒロインを描写した方が良いかもしれません。
たとえば、次の3行を冒頭に持ってきてはいかがでしょうか。
塾に通う最後の日、僕は帰ろうとする彼女を呼び止め、こう言ったのだ——好きです、付き合ってください、と。
『私、カノジョがいるんだけど』
横井美里は、すると困ったように笑った。
(本文より一奥が抜粋)
想いを寄せる女の子に意を決して、告白したところ、
「彼氏がいるんだ、ごめんね」
ならともかく、
『カノジョがいる』
と返される。
ここに強烈な非日常が発生し、また物語が生まれ、読者の「なぜ?」という先に読み進めようという興味が一気に惹きつけられます。
黒澤伊織さんが、描こうとされるのが、そういう主人公である「僕」の心象ならば、こういう出だしの方がよいのではないかと一奥は感じました。
「りんご」の絵画を通して哲学的な思考を想起させる、少なくともそれを冒頭に持ってくる必然性は、現状ではやや弱いです。
あるいは、お昼休みにおやつを食べる時間などという設定として、ヒロインである横井美里が
りんごをかじる
描写をするのも良いかもしれません。
小説における「描写」において最も大切な、繊細なレベルでの意味的・認識的な「対比」において、主人公にとっての驚きと非日常である「好きな子に<カノジョ>がいる」という衝撃に対して、セザンヌのりんごの絵を対比とする必然性が、まだ弱い。
目をみはる着眼点であるだけに、そこが惜しく感じられました。
しかし、逆に言えば、その部分をつなぐ描写(上の一奥の太字はその一例)が入るだけで、ぐっと変わり、化けるのではないか。
そんな風にも感じられました。
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<講評>
ラムネとビール。
幼い日の自分にとって、思い出深い味わいがあったように、嗅覚と並んで味覚は人間にとって記憶を保存する大切な感覚なのかもしれません。
普段の、目の前の日常に向けることに多大なエネルギーを使う視覚と聴覚が、ややもすると、そういう大切な記憶を保持するのが苦手であることを保持しているかのようです。
この短編小説では、ビールの味と叔父の記憶が対比されています。
ビールを飲んで、叔父を思い出し、そして主人公にとって大切な人であったろう、叔父さんが今はもういないことが示されている。
叔父さんがどんな想いで生き、そしてどんな想いで命を断ったのかに、想いを馳せることが示されている。
親しい人の死、それも自分自身の人格や物事を考えるものさしの形成に多大な影響を与えた存在は、誰しも人生で一人か二人は出会うものですが、それだけにこういう意味での別離は普遍的なことです。
読む者もまた、自分にとっての「誰か」を思い出しながら読むでしょう。
ただ本作において惜しいなと感じるのは、短編の限られた文量の中で、その「共感」を叔父さんその人に置くのか、それとも叔父さんの思い出に気持ちを馳せる「僕」に置くのかが、ブレているところではないかと感じました。
1 叔父さんが自殺した、その理由やどんな葛藤があったのだろう、という部分に注目させたいのか。
2 それとも、叔父さんの思いがわからず、しかし、それに近づきたいと願う「僕」の気持ちの変化に注目させたいのか。
一つの手法ですが、本作全体を2色のラインマーカーで、上の2点どちらを描写した文章であるかを塗り分けてみる、という方法があります。
本作においては、それが、悪い意味で半々になってしまっていることに気づくかもしれません。
そこに、作者として描き出したい世界と、実際には文字だけからしか情報を得られない読者の中に与えられる情報量との乖離が生じます。
叔父さんへの感情移入と、「僕」への感情移入がどっちつかずになってしまって、読者としてはどちらに心を寄せたらよいのか、すぐにわからなくなってしまい、だからいったのにさんが導こうとしている境地へすんなりたどりつかなくなってしまっているところが、惜しい。
たとえば一奥であれば、
1の場合ならば、
叔父が死んだのは3年前だ。自殺だったらしい。
2の場合ならば、
叔父が死んだのは3年前だ。自殺だったらしい。
――どちらも、この一文を冒頭に持ってきたいです。
そこから、どうしてそうなったのかというところを描写するにあたり、ビールを経て、ラムネに至るならば2が強くなっていくことでしょう。
1であるならば、ビールの部分と叔父の言葉に関する回想を増やして、読者にはより叔父の人となりを示す意味で、「僕」は視点としての役割を強める書き方も考えられるかな、と感じました。
きっと、だからいったのにさんには、こういう言い方で伝わるのではないかと感じます。
作者として、読者に見せたい、読者をつれていきたい境地はすでにわかっている。
あとは、道案内をどうすればよいのか。
情報の出し方と、順番と、そして<出さない情報>の選び方が、小説という苦行における一つの髄ではないか、と思う次第です。
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応募期間の締め切りまで、残り1週間を切りました。
事務局アカウントでは、過去の記事とKindleで、これまで小説を書いたことが無い、という方でも、始められるようなコツなどをまとめさせていただいています。
どうぞ、ふるってご参加ください。
皆さんとともに、このコンテストを盛り上げ一緒に楽しんでいくことができることを臨んでいます。
*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。
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◆応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。
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