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第3回THE NEW COOL NOTER賞文芸部門~7/26講評

第3回THE NEW COOL NOTER賞文芸部門へご参加いただいている皆様。

ご応募いただいた全57作品。
講評も最後となりました。本日は、一奥より計4作品の講評をさせていただきます。どうぞ、お楽しみください。

今後、7月末の文芸部門授賞発表に向けて、審査委員協議を開始いたします。
どうぞ、楽しみにお待ち下さい。

また、現在8月度のエッセイ部門も先行募集中となっています。
7月に参加した皆様でも、別記事であれば、他部門への参加が可能ですので、どうぞふるってご参加いただければと思います!

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<講評>

れおぽんさん、このたびはご応募いただき、ありがとうございます。
このたび、記事を改めて講評のため拝見させていただいたところ、みこちゃんによる講評をご希望であるとの趣旨のことが、書かれていらっしゃいました。

事務局長である自分が、集計時にご希望を見落としてしまい、みこちゃんにこのことについて伝達できておりません。
講評は一奥に割り振らせていただいており、最終日現在、みこちゃんに改めて講評を依頼することはこんなんです。

まことに、申し訳ありませんでした。
一奥より、心からの講評をさせていただければ幸いです。

   ***

インターネット世界は、本作に記されている通り、0と1の羅列からなります。全か無か、有るのか無いのか。押すか引くか……etc そんな単純な構造が、しかし巨大な集まりとなって、その中に複雑な流れが生まれます。

それは時に、色鮮やかに見えることでしょう。
聞いたこともない、高揚するような旋律が折り重なり彩られていることでしょう――そして、すでに先人達が集まって、そうした様々なものを創り上げる様を見る時、私達はまるで、道の脇でじっと様子をうかがう黒猫のように、あこがれとおっかなびっくりを交えた状態なのかもしれません。

読ませていただいて感じたのは、そうした邂逅を経て、そして意気投合して仲間となっていく。そんな出会いと、それぞれの経験・人生・感性の重なりという形で、様々な色合いが生み出されていくことだな、ということです。
影に光が差す。あるいは、道の脇から現れた影が、光を帯びて徐々に新しい輪郭を象っていく。
それが記事や、絵や、その他の創作物の形で積み重なっていくことで、無機質ではない、人工的でもない、自然発生的なまるで生き物のような「街」が築き上げられていく。

そこに、非人間的な意味での都市計画は必要ない。
故にこそ、その表現としてのルールを知り、また教え教えられる中で、現れてくるものは「心」を、それぞれの視点から切り取ったものであろうと感じます。

THE NEW COOL NOTERコンテストの理念もまた、そういうものでして、誰かの作品に触れて、それを評する人の、まさにその評する言葉それ自体がまた新しい作品となる。
この意味においては、記事は記事それ自体で完結することはなく、時にコメント欄でのリアルタイムのやり取りや連載性、そしてnoteの特長としては、他の方の記事を引用表示する形で紹介する文化という文脈の中で、次々と新しい展開を内在するものであると気づきます。

終わりが次の始まりとなり、その始まりの中にはさらに次の始まりがすでに存在している。そこに、この心の世界と私達の日常、日々の生活との連なりがあり、そうした邂逅と交流が連続して存在している。

黒猫の「黒」を、様々な色や光が混じった原初の色であるとするならば、我々は皆黒猫としてこの「街」を訪れ、そしてその中から自らの「光や色」を描き出し、編みだす術を得ていくのでしょう。

幻想的な雰囲気の中で、私達が日々noteを通して交流している様を、描かれた作品であると感じます。

THE NEW COOL NOTER賞もまた、そのように、このコンテストを通して新しい出会いと邂逅、縁の紡ぎのあらんことを願うものです。

このたびは、素敵な作品のご応募、重ねてありがとうございました。

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<講評>

幼き日の、まるで幻楼のようでいて、しかし確かにそこにあった追憶が描かれた短編小説です。
小さな子どもにとっては、住んでいる家の外はそれだけである種の異郷であり、外界への期待をはらみつつも、圧倒されんばかりに感じてしまう。
冒険心をいだきながらも、億劫になってしまう。
そんな揺れ動く心と、手紙を通して知り合った、異国の友との少しずつの距離感の変遷が、本作のキモであると感じます。

この点、一奥の気づいたところとして、「私」と「おじちゃん」の関係性と「私」と「キム君」の関係性をさらに対比し、整理していくと、透明度が増していくのではないかと気づきました。

「おじちゃん」はとても魅力的な人物です。
ただその魅力を表現する文章が、もう少しだけあったらさらによかったな、とも思いました。

「合点承知の助」と期待に答えるひょうきんさと、おおらかで優しく頼りになる雰囲気の描写が少しだけ飛んでいる部分があり、そこをさらに言葉でつなげることで、おじちゃんの胸中もまた「私」の目を通して読者に気づかせることができるのではないか、と感じます。

また同様に「キムくん」について、本作の”仕掛け”として、kozaruさんがなされた構成が一奥の想像通りならば(ネタバレを避けて具体的には言いませんが)、「おじちゃん」と「キムくん」の関係について、さらに印象的な示唆を深めてもよいなと感じました。

そして、その上で、

気付いた頃には、郵便の配達員がおじちゃんからおじいちゃんに変わっていた。
届けられない理由がわかった気がした。

このドキッとするようなラストの一文が、さらに印象的な意味を持つようになるものと感じます。

この度は、ご参加いただきありがとうございました。
この講評が、ご参考になれば幸いです。

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<講評>

生活と日々を重ねるほど、私達は多くの記憶を抱えます。
それはまるで降り積もる雪のように、層となって、私達の心の深い部分に折り重なっていく。
しかしそれは透明な雪片であるので――時に浮かび上がり、透けて見えることがある。

過去と現在が、重なります。
自分自身の過去と出会うのです。
記憶をたどる時、また、ふと思い出す時に、まるで昨日のことのようににおいまでも含めて思い出すことのできる、そんな「瞬間」が誰にでもある。

それをとらえようとする時に、まるでデジャヴュのように、残像となって私達の経験の中に、白昼夢のようにそれは重なって現れる。

過去に起きた事実は変えられない。
過ぎた出来事は、変わることはない。
しかし、そこにどんな意味があったのか、それを経て今の自分がどうあるのかを決めるのは、今の自分自身です。

たとえつらい経験であったとしても、それが今の己を象っているのであるならば、過去とは「変えられる」ものである。
それは自分自身が「変わる」ということでもあるのかもしれません。

残像が残響をともなって、蘇るその時は、誰にとっても自分の人生を変える、そんな瞬間なのかもしれません。
セキグチヒサシさん、素敵な詩をありがとうございました。

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<講評>

生きることへのまっすぐな思いが、すっと心に入り込んでくる言葉です。
時代の先行きが見えない世の中であるからこそ、目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまいがちな現代社会ですが、だからこそ、生きることを諦めてはいけないのかもしれません。

詩とは、エールであり、言葉の欠片に作者の感情を乗せて読者へ届けるもの。それが読者の人生を変えて、そこに新しいうねりと流れが起きるものであることを、再確認されます。

時に言葉を飾る必要は無いのかもしれない。
誰にとっても当たり前で、当たり前だからこそありふれた、普通の言葉を、でも普段の生活の中では言う機会があまりなくなってしまったそんな言葉をこそ、私達は求めているのかもしれません。

奇をてらう必要もない。
鬱々と自分を慰める必要もない。

生きていること。
そこに立ち戻ることで、また、新しい言葉や思いが読者の中から生まれでてくる。
THE NEW COOL NOTERコンテストの理念とする、批評もまた、そうした作品が作品を生み出すことです。

最後に本作の講評で締めくくることができて、嬉しく思います。
ゆうゆうさん、このたびはご参加、まことにありがとうございました。

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事務局アカウントでは、過去の記事とKindleで、これまで小説を書いたことが無い、という方でも、始められるようなコツなどをまとめさせていただいています。

どうぞ、ふるってご参加ください。
皆さんとともに、このコンテストを盛り上げ一緒に楽しんでいくことができることを臨んでいます。

*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

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応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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