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何が大切なのか?泳ぎなから考えたこと
私は子どものことについて考えることが好き。子どもが育っていく過程や子どもの感覚とか大人や社会と子どもの関係とか。自分の育ってきた環境や人生の転換点だったこと。自分の子どものこと。同じ親から生まれて同じDNAを持っている。性別も同じで環境もそれほど違いはないはずなのにまったく違う性格と考え方。まったく違う人生を歩んでいる。それが不思議でならない。
自分の体験と子どもと共に過ごした日々の体験、そして親子関係をなんとかしたくて40代からいろいろ勉強しまくり親が亡くなる前に解消しておきたくて心理学的な知識や脳科学的な知見を総合したコーチングを仕事にして今に至っている。
これまで自分の子どもではない子と彼らの感覚や行動について一緒に考えた。一回しか会ったことのない子と海外で一か月以上も一緒に暮らした。電話だけでも述べ3500人以上の子どもと話しをした。生き辛さを感じながら健気に生きる子どもたちからたくさんのことを学ばせてもらった。
私たちには誰もがこの世に生まれ、子ども時代を経て大きくなった。どんな人もみんなそれぞれの子ども時代を経験して今に至っている。子どもの時にどんなふうに事象を捉えていたか。子どもの頃にどんな人と出会いどんな経験をしてどんなことを考えてどんな行動をしたか。それが私たちの屋台骨となる。成長過程でどんな土台を築いたのかどんな建て方をしたのか後の人生を左右するのだと思う。
土台といえば我が家の土蔵の土台に驚かされた。その土蔵は築120年を越える明治中期に建造された。大黒柱は巨木で大人の両手が届かないほど太い。地面から一階の床、2階床を貫通して屋根まで堂々とそびえ立っている。だから強固なのだと思ったが、蔵の修繕で床を剥いだら大黒柱の土台は地面に大きな石が置いてあるだけ。「土の上に石が一個」拍子抜けだった。その平たい大きい石の上に太い柱がのっていた。固定されていない。法隆寺と同じで心柱と各階も接続されていない。建物を支えているのは木組み工法なのだそうだ。建物全体で揺れを吸収する仕組みになっていた。1964年(昭和39年)マグニチュード(M)7.5の大地震で被災したが壁が少し落ちただけだったことが頷けた。
さしずめ、地面の揺れは自分ではコントロールできないネガティブな事象。生きていればネガティブな事象は大なり小なり必ず起こるだろう。事象の強度にもよるが自然発生的なネガティブな事象をうまく吸収してかわすことができたら。
と、ここまで考えて、さて何が大切かって言われたら。
一つは生きていること。身もふたもないがそもそも生きているからこんなこと考えてしまうのだ。生きていることが何にもまして重要なんだ。
次に、土台があること。地面に直接立っていると地面の影響をまともにくらってしまう。それが良いこともあるかもしれないが水に浸かったり腐ったり倒れる危険性を常にはらんでいる。災害から身を守るためにも土台石があると便利だ。
今日はここまで。
組み方も重要な要素になるが、まずは生きていることと土台石があることが大切だと考えた今日の午後。