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楽に幸せに生きるための考え方(欲求を自分軸と他人軸に分けて考える)

マズローの欲求5段階説と言うものがある。僕も社会人生活を送る中で随分とお世話になった考え方だ。自己啓発や社内研修における必修項目として学び、後進に教えたりもしたものだ。

ただ、現在の僕のフラットな感覚で、僕の個人的な問題や様々な社会問題を頭の中に並べて整理してみると、マズローの説がこの令和時代の日本に、そして、人生100年時代と言われる世界にそぐわなくなってきているのではないか、そんな疑問を持つに至った。今日はそんなテーマでつれづれしてみよう。珈琲とCAMELをお供にね(笑)

マズローの欲求5段階説

マズローの説の詳細についての説明は割愛する。
最近、ピラミッドの先っちょに「超越的な自己実現の欲求」ってまた新たな欲求が生み出されてるけど、「これは何やねん(笑)悟りの境地か!」と…まあ、それは置いといて。。。(これこそ「足し算思考」だね)

僕がどん底にいる時に、多くのYoutuber氏から教わったキーワードが「自分軸」。この言葉がいつ頃から発生したのか僕は存じ上げない。ただ現在、自己啓発界隈においては「自分軸ブーム」なんじゃないかと僕は勝手に思っている。とは言え、流行り事に無関心な僕でも、今の時代を生きる上では「自分軸を持って生きる」という考え方に全く異存はない。そしておよそ、悩みや不安を抱えて苦しみながら生きる人の多くは、次の2つの問題を持っている。(当然僕も例に漏れず)
①自分と他者とを比べてしまう(他者比較)
②自分が他者から認められたいと思う(承認欲求)

ただ、ここで一つネックになってくる絶対に揺るがない真理がある。それは、「他者を変えることはできない」ということだ。

ここでもう一度、マズローの画を見直してみると気づくことがある。それは、第3段階目「所属と愛の欲求」と第4段階目「承認欲求」だ。この2つの欲求に限って「他者」が介在する。
思うに…僕が抱えていた苦しみは、マズローの説の刷り込みと「他者を変えたい(どうしても他者に譲ることができない)」というジレンマだったのではないか…ということだ。ある意味で(我儘だと言われようが)高次へと成長したいと思えば思うほど、「所属と愛の欲求」や「承認欲求」が自分の心に邪魔をする、そういう事だったのであろう。(ちなみに画だけを見ると、第5段階目「自己実現の欲求」に至る為には、第4段階目「承認欲求」をクリアしないと到達出来ないように見える。これも見せ方として難ありな気がするなぁ…)
そんな思いに至った時、マズローの説は令和時代の日本を生きていく上では調整(再構成)が必要な時期にきているのではなかろうか、と言うのが現時点での僕の見解である。

ただ、一つだけお断りしておきたいことがある。それは「所属と愛の欲求」と「承認欲求」を否定するわけではない、ということだ。こうした欲求を持っていたからこそ、僕はこれまで変化し成長し、一方では我慢や引くことを覚え、家族や友人に恵まれて生きてこられたのは紛れもない事実なのだから。だから、引き続き「所属と愛の欲求」と「承認欲求」は愛すべき自分の感情として大切に持っておきたいと思っている。

さて、ここからが本題なのだが、マズローの説を僕なりに再構成するにあたっては、以下の点がポイントだと考えた。
・「所属と愛の欲求」と「承認欲求」をいったん横に置いておく。
・「自分軸」と「他人軸」の観点を加味する。
・もはや「欠乏」という概念はなく、生まれた以上「成長」しかない。
・「成長の目的」を定義する。
上記を踏まえ、マズローの画を以下の通り整理しなおしてみた。

令和時代の欲求段階説(仮)

左側「自分軸の欲求4段階」では、各欲求を自分軸(自分の興味・関心事)に限定しているため、欲求を満たそうとするエネルギーを、自分でコントロール可能な感情領域に全振りできる。そう考えれば、少しは生きづらさの軽減に繋がるマインドセットにならないだろうか。さらに加えて言えば、その成長の目的は「幸せに生きること」だ。
一方、右側「他人軸の欲求2段階」では、他者との関係性において満たされうる欲求であり、その最たるものはやはり「承認欲求」である。これはこれで必要で、例えば「イイねが欲しい」といったライトなものから、「いい学校・会社に入りたい」「出世したい」「結婚したい」「お金持ちになりたい」「尊敬されたい」…最終的にはそういった欲求を満たす為の動機付けになる。そしてその成長の目的は「社会的に成功すること(俗に言う「勝ち組」)」である。
「社会的に成功すること」がすなわち「幸せに生きること」に直結しないということに、もはや皆が気づいてしまっている今日、どうあることを目指し、どのように生きるかはその人の価値観次第で、どちらが「あるべき」というものではない。それこそ個々の価値観によってバランスよく自身の欲求をコントロールする(「お付き合いする」くらいの気軽さの方が丁度良いかもしれない)、というのが令和時代の日本における上手な生き方なのかもしれないな、と思った次第である。

最後に僕の立場から述べるなら、戦後から経済成長を経てバブルが崩壊してからの失われた20年だか30年だか40年だか知らないけれど(←ゴメンナサイ、氷河期世代のヤサグレ感です笑)、それを踏まえた令和時代の日本において「生きやすく暮らすにはどう考えたらよいか」という問いに対して、多くの日本人にとっては、左側の自分軸のマインドセットである方が確実に生きやすいと思うし、楽だし幸せなんじゃないかな…と思う。


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