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なぜ少女マンガは政治を描けるのか? ー『ベルサイユのばら』を観ながら考えた
はじめに
『ベルサイユのばら』の映画版が公開されています。
映画館に行く前に、テレビアニメ版を観ています。
やっぱり名作であることは変わらないのですが、あらためて感じた事があります。
それは、「なぜ少年マンガよりも少女マンガの方が政治を描くことに成功しているのか」という事です。
『ベルサイユのばら』だって、政治がテーマですが、とても魅力的な作品になっています。
これは非常に興味深いテーマです。
マンガやアニメに限らず、私小説的と言われる日本の作品は政治を描く事を不得意としていると言えるでしょう。
ただ、「ベルばら」をはじめとして、少女マンガは違うのかも?と、テレビアニメ版を観ながら思うようになりました。
少女マンガが政治を描くことに成功している理由を考える際、以下の点が挙げられます。
1. 人間ドラマを重視する少女マンガの特性
少女マンガは、登場人物の内面の葛藤や成長を丁寧に描くことに長けています。政治は単なる制度や権力闘争だけでなく、人間同士の駆け引きや感情のぶつかり合いが重要な要素です。
『ベルサイユのばら』では、フランス革命という歴史的な大事件を背景に、オスカルやマリー・アントワネットといった人物の心情の変化が細やかに描かれています。
このように個人の視点を軸にした政治描写が、少女マンガのスタイルと親和性が高いのです。
2. 政治を「関係性」の問題として描く
少年マンガでは、政治はしばしば「権力を持つ者 vs. 持たざる者」「正義 vs. 悪」といった単純な対立軸で描かれがちです。一方で少女マンガは、より複雑な人間関係を描くのが得意です。
例えば、『大奥』(よしながふみ)は、男女逆転の歴史改変を行いながら、権力闘争を人間ドラマとして描いています。
こうした「関係性」に重点を置いた描写が、政治をエモーショナルに、かつリアリティをもって伝えることにつながっています。
3. 少女マンガの「語り」が社会変革と相性が良い
政治とは、社会の変革や価値観の転換を伴うものです。少女マンガは、歴史的に「女性の生き方」や「社会の変化」に敏感であり、それを物語の核として描いてきました。
例えば、『風と木の詩』(竹宮惠子)や『日出処の天子』(山岸涼子)は、それまでの価値観を揺るがすような作品でした。
政治は「社会のルールをどう変えるか」を考えるものですが、少女マンガの多くは個人の成長と社会の変化を並行して描くため、政治的なテーマと相性が良いのです。
4. キャラクターの造形の自由度
少年マンガでは、主人公が「バトルを通じて成長するヒーロー」であることが多く、政治がストーリーの軸になりにくい傾向があります。しかし、少女マンガでは、「リーダーとしての成長」「社会の矛盾との対峙」などが物語の核になりやすく、キャラクターに政治的な役割を持たせることができます。
オスカル(『ベルサイユのばら』)や、阿佐ヶ谷姉妹(『あさきゆめみし』)のように、女性キャラクターが政治の場面で主体的に活躍する物語が作られやすいのも、少女マンガの特徴です。
5. 「政治」を「権力闘争」ではなく「生き方」として描く
少年マンガにおける政治描写は、しばしば「王道 vs. 反逆者」「国家 vs. 革命軍」といった対立構造で描かれます。
一方で少女マンガは、政治を個人の「生き方」や「選択」として描くことが多いです。
例えば『はいからさんが通る』(大和和紀)では、大正デモクラシーの時代背景を軸にしながら、主人公がどのように人生を選択するのかが描かれています。
結論
少女マンガが政治を描くことに成功しているのは、「政治」を単なる権力闘争ではなく、個人の生き方や関係性の問題として描くことができるからです。
人間ドラマと社会の変化をリンクさせる物語構造が、少女マンガの強みであり、それが政治を描く際にも魅力的な作品になる要因なのではないでしょうか。
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