【1話】人生を変えた、一杯のラーメンとの出会い
1992年11月、日本人宇宙飛行士 毛利さんが宇宙で飛び立った年。
本間は『レッドロブスター』のスーパーバイザーを務め、自分がマネジメントしている13店舗を毎日毎日せわしなく飛び回っていました。
当時の仕事量は毎月350時間を超えるのが当たり前。朝から晩まで働き詰めでヘトヘトになりながら仕事をしていました。
その当時も、六本木店舗の訪問を終え、西麻布に向かってなだらかな坂を降りていた時、夜中なのに行列の絶えない「赤のれん」という博多ラーメン屋さんがありました。
最初は、特に気にかけることもなく一度は店の前を通り過ぎたのですが、どうしても気になり、引き返して並んで食べました。
「美味いッ!!!」
実に感動しました。
本間は高校卒業後すぐ和食の板前として飲食業界に入り、10年間の料理人修行を経験しており、美味しいものを何度も食べていましたが感動をしたことはそう多くはありませんでした。
一杯600円のそのラーメンは、スープが三層に分かれていてミルクのような甘い香りがし、博多ラーメン独特の獣臭さが全くありませんでした。
一見ギトギトの脂に見えましたが、実は上質なコラーゲンの層と、きめ細かい肉片が浮く層、そして最後に飲み口すっきりと尚且つ濃厚な良質のスープの層がありました。
「これは冷凍原料ではなく、生原料を使用しないと出来ない味だ!!」
ただ、当時の本間に分かるのはそこまででした。
どうしても作り方を知りたくなり、翌日求人も出していないお店に雇って欲しいと、お店に乗り込みました。
結果は、
「何をしにきた!味を盗みに来たのか!!」
と門前払い。
本間は諦めきれず翌日もまたお店に赴き、再度懇願しましたが結果は同じでした。
やはり、そう簡単には入れてくれなかった・・・。
「なぜだ…。きっと、毎日来るからいけないんだ!来週また行ってみよう。」
そう思い、翌週も訪問すると親父さんの機嫌は悪くなる一方。本間がこのお店に入るのはほぼ絶望的な状況でした。
しかし、幸か不幸か楽観的とも言える本間が考えついたのは、
「同じ月じゃダメだ!来月親父さんが忘れた頃もう一回来てみよう」
との答えでした。
そして、翌月めげずにお願いしに行ったところ、親父さんが根負けしたのか、たまたまバイトが辞めて人手不足だったのか、「時給800円の洗い場ならやらせてやる」と言っていただき、本間は1992年12月4日からラーメンの世界に入ることとなるのでした。当時本間35歳の出来事でした。
しかし、憧れのラーメン店に入社出来たのはいいものの、まだ時給800円の仕事を始めたことを家族には伝えていませんでした。
年収800万円超えのスーパープレイヤーだった本間が、時給800円のアルバイトになるということは、家族にとっては大事件だったはずです。
でも当の本人である本間は、あまり深く考えずに仕事を辞め、アルバイトを始めてしまうのでした。
・
・
・
・
・・・つづく
*この物語は、ラーメン屋の代わりに“クロコ”としてスープ作りに命を燃やす男たちのストーリーです。今では当たり前となったラーメン屋のスープ外注を請け負う「業務用ラーメンスープ」ですが、それがどうやって生み出されていくのかの誕生秘話です。
*本記事はクックピットSTORYから抜粋したものです。
URL:https://cookpit.jp/story/
【会社情報】
クックピット株式会社
『ラーメンを健康にする唯一のスープメーカー』
【執筆】
取締役副社長 外薗史明