外園史明@cookpit

スープ製造・販売のクックピット株式会社(https://cookpit.jp/

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マガジン

  • 【実話】業務用ラーメンスープはどうやって誕生したのか?

    現在ラーメン店の多くの店は自店でスープを炊いていません。その代わり業者にスープ製造を外注化することで全国のラーメン展開を可能としています。 これは営業12時間という過酷な飲食店業界の中でも、仕込みに8時間以上必要となるラーメンスープ作りはラーメン店主にとっては死活問題でした。 それが今では業務用スープとして外注化することで、営業負担を軽減し、安定した美味しいラーメンを全国で提供できるようになっているのです。 このお話は、そんな業務用ラーメンスープがどう創り上げて行かれたのかを漫画を使いながらまとめていったSTORY記事になります。

最近の記事

【4話】最初の壁〜如何にして安定した美味いスープを大量生産するか【最初の壁】如何にして安定した美味いスープを大量生産するか〜

マルハの関連会社からの出資を受け、翌年平成6年2月に会社を設立しました。 この時の役割は、「味は親父さん」、「店舗運営は本間」、「ファイナンスは出資会社」の三本柱で経営することとなったのです。 そして、会社設立時の挨拶の時もよく覚えていることがあります。 当時、中部さんの上司にあたる小宮社長と初めてご挨拶をしたときの事です。 「本間くん、今日から頼むな。今後ビジネスで困ったことがあったらいつでも相談しなさい」 「それでは…、一つお願いがあります。」 「ほぅ…」

    • 【3話】夢の実現に向けて、資金調達の戦い

      親父さんの言われるままに電話して、アポイントを取った先は、魚肉ソーセージなどで有名な大企業の「マルハ」。しかも相手は、財閥の御曹司、中部由朗常務でした。 忙しい店舗での仕事の合間を縫って、手書きの事業計画書、資金計画書を持って、いざ売り込みに行きました。 本間の計画は、「赤のれん」の旗を全国ではためかせたい!全国200店舗を出したい!その熱い想いだけでした。 初めてお会いしたのは六本木の喫茶店。 企画書を広げながら、「赤のれん」の他店舗展開の夢を熱く語りました。 し

      • 【2話】ラーメン屋での野望

        家族に内緒でラーメン屋のアルバイトを始めて早6ヶ月。 「誰にも負けない!」をモットーに飲食業界で戦い続けてきた本間ですが、ラーメン屋で初めての敗北を味わうことになります。 日本料理の板前での10年間の修行を積んできたので体力だけは自信があり、長時間労働は苦になりませんでした。 また、レッドロブスターでのスーパーバイザー8年の経験をしていたので、オペレーションのスペシャリストとしても負ける気がしなかったのですが、唯一負けたのがありました。 それは、スピードでした。 た

        • 【1話】人生を変えた、一杯のラーメンとの出会い

          1992年11月、日本人宇宙飛行士 毛利さんが宇宙で飛び立った年。 本間は『レッドロブスター』のスーパーバイザーを務め、自分がマネジメントしている13店舗を毎日毎日せわしなく飛び回っていました。 当時の仕事量は毎月350時間を超えるのが当たり前。朝から晩まで働き詰めでヘトヘトになりながら仕事をしていました。 その当時も、六本木店舗の訪問を終え、西麻布に向かってなだらかな坂を降りていた時、夜中なのに行列の絶えない「赤のれん」という博多ラーメン屋さんがありました。 最初は、

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