美容が評価されるのは“比較”が日常に存在するから
おはようございます。
美容メインの鍼灸師、クッキーです。
前回の後半で少し書いた“比較のクセ”について今回お話しします。私たちはさまざまな比較をし、また比較されながら生きています。比較が日常にあることで美容は評価されるのです。
美容の評価は記憶との照らし合わせ
例を挙げましょう。あなたは地球外生命体だとします。たまたま地球へ来て、30歳の男性を初めて見ました。そのとき、あなたはその男性が30歳より若く見えるか、老けて見えるか、年相応か、判断がつくでしょうか?むしろ、30歳はこんな容姿なんだなと認識を持つことでしょう。その後、別の30歳男性に出会った際、この人30歳にしては若いなという意識が生じます。つまり、容姿の評価は記憶との照らし合わせなのです。少し気がかりになりませんか?世の中、すべての人が実年齢より若々しく肌のハリ艶が良くなったら、見た目年齢が引き下がってしまうのでは?そうしたら、美容を頑張っても評価されない時代が来るのでは...?
時代が流れても美容の価値は変わらない
結論、私の予想ではちゃんと評価されると思います。すべての人が何歳になっても若々しく生きられる社会なんて素敵ですよね!そんな時代が来ることを願いますが、私が知る限り歴史上、全世界の人が一斉に同じことをした記録はありません。美容に取り組む人の割合は多くなるかもしれませんが、ちゃんと続ける人が埋もれてしまうなんてことはないでしょう。美容の価値は生き続けます。なぜ、そう言い切れるかというと...
美容は地道に続けた人が勝つ
それは、続ける人が少ないからです。以前の投稿でお話ししたように、美容とは非常に地味で地道な行為なのです。ゲームをしたり、漫画を読んだり、他の楽しみに使っていた時間。それを少しとはいえ、即評価されたり数値で認識しづらいものに使い続けるのは容易ではありません。仕事で疲れていたり、気分が落ちていて動きたくないときもあると思います。「今日くらい、まぁいいか」という悪魔のささやきに負けてしまう人が多いです。完璧を常に求めると息苦しくなると思います。100点でなくていいのですが、0点にするのはいけません。一度0点にすると、その後も必ず0点を繰り返し、最終的に美容への取り組み自体をやめてしまいます。「今日はクレンジング抜きで洗顔だけやろう」「クリームで保湿だけはやって寝よう」と、一部でも続けた人が勝つのです。「今日もやったぞ!」と自分にマルをつける日々を過ごしましょう。