自分の選択を「正しかった」と思える選択にするしかない。
「選択」には、正解と不正解があるように思われがちでしょうか。
周りの影響もありながら、最終的には自分の意思で、「選択」しているのだから、
自分にとって良かった、と思える方を選びたい。
だから、良かったと思えたものが、正解と名乗られる選択になるのでしょうか。
私は数年前、朝井リョウさんの「武道館」という本に出会いました。
本の内容は割愛しますが…
この本をきっかけに、自分が生きている中でしていく無数の「選択」とどのように向き合うのかを考えることができるようになったと思います。
それは、
自分の選んだ選択を
「正しい選択だった」と思えるようにしていくしかない。
結局これに尽きるのかと思います。
正解と思えるようにするのではなくて、
正解だった選択も、やめといたら良かった不正解に属する選択も、その全ての選択が
「正しかった選択」
になっている。それを感じる力を蓄えたらいいのかと思うようになったのです。
物理的な正誤ではなく、捉え方を鍛えたらいいと感じたのです。
「自分で自分を正しかったと思えるようにすること」を頭の片隅に置きながら、私は自分の意志で物事を選び過ごしています。
して良かったと思うことも沢山あります。
中学、高校で選んだ部活動。
前髪を金髪にしてみたこと。
海外初心者の友達と2人で旅行に行ったこと。
それと同じぐらい、しなくて良かったと思うことも沢山あります。
すぐに辞めたアルバイト。
就活の時焦って自己分析の本を買ったこと。
楽しみじゃない遊びを断れなかったこと。
要らなかったことも溢れている日常だけれど、
それらが無いと、しなくても良かった、と気がつくことも出来ない。自分の適性を見つけられない。
自分には「合わない」ことを見つけられたのだから、
それは自分の知らなかったことを知れるようになったということ。
自分をまたひとつ掴むことに成功したということ。
不必要なとこ1つ1つが、これからの私の小さな選択にも大きな選択にも活きてくるということ。
今まで自分が生きてきた軌跡を
「正しかったもの」
として、自分を愛してあげる。
その気持ちを、自分が上手くいかなけりゃいかない時ほど、忘れずに念頭に置いて持っておく努力をしています。
最後まで読んでくださりありがとうございます♪