多辺田政弘「自由則と禁止則の経済学―市場・政府・そしてコモンズ」『循環の経済学―持続可能な社会の条件』学陽書房、1995 pp.49-146
経済学者ニコラス・ジョージェスク=レーゲンは、経済の過程もエントロピー増大則にしたがっており、閉鎖系である地球も最終的にはエントロピー最大の状態である熱的死に至るほかはないと考えていた1。しかし、玉野井芳郎は、地球は定常開放系であり、熱は大気と水の循環によって処理され、物質はさまざまに循環していくという物質循環論を唱えた。この物質循環論は、ジョージェスク=レーゲンのような悲観的観測ではなく、また、手つかずの自然を残すという立場の自然保護論でもなく、生命系の責任主体としての人間、あるいは人間社会にそれぞれの地域で生命系の物質循環を豊かにすることにたいして積極的にかかわることを要請するものである。
ところで、玉野井芳郎は市場経済を対象としてきた従来の経済学を「狭義の経済学」とし、生命系や非市場経済をも含めた「広義の経済学」を模索していた2。玉野井は市場社会から抜け出すことを目指したが、槌田は玉野井の「広義の経済学」に対して、市場経済もまた重要であることを主張する3。そうすると環境問題の原因は、市場メカニズムそのものではなく、市場が自然の物質循環を破壊させないように制御するにはどうすればよいかということになる。こうした問題意識に基づいて、本稿では、市場・政府・コモンズの 3 つの領域の役割について考察する。
これまで、「狭義の経済学」では、公害や環境汚染を「外部不経済」としてとらえ、市場システムを通じてその内部化が可能であり、それによって解決が可能であるとしてきた。CO2の排出権取引はその代表的な例としてあげられる。しかし、そのような対応は対症療法的であり、根本的な解決には至らない。この問題を多辺田は、「経済行為としての自由則を尊重しながら、どうやって経済行為が自滅の道に至らないように、どのような『禁止則』を導入できるだろうか、という人間社会のルールづくりの問題を提起している」ととらえた4。
経済活動においてエントロピー則は禁止則を示し、市場経済は自由則を基本原理としているとすれば、市場経済はエントロピー則にしたがって、そのなかで自由に行われてよいということになる。玉野井は、市場経済よりも非市場経済を重視していたが、槌田敦のいうように市場経済もまた重要なのである。しかし、市場経済では、環境問題は外部不経済としてしか対処できない。市場の領域で扱いきれなかった環境という領域を扱うためには、公的領域である政府と、共的領域であるコモンズの役割が重要となる。
まず、政府の役割について検討していく。これまでの市場社会における政府の役割は、時代とともに変遷している。かつては小さな政府があったが、ケインズ主義的な経済の下では、政府の役割は経済成長を促進して行く大きな政府であった。それによってエントロピーは増大し、物質循環に混乱をきたす事態となった。1980 年代以降の新自由主義の台頭によって、経済活動における政府の規制はますます小さくなり、経済活動に大幅な自由を与えることとなった。
今後は、生命系の更新の責任主体のひとつとして、政府が果たすべき役割を市場経済との補完・対抗関係のなかで再検討する必要がある。政府の役割は、自由則を生命系の破壊から救うための禁止則の設定である。多辺田は、政府の役割を経済政策への介入を最小限にとどめ、市場に対する制約を課すのみにとどめるべきであるという「小さな政府」を推奨するが、定常状態の経済において個人の生活水準を社会的にどのように保障していくかが明確にされていない。また、多辺田は、物質循環を回復するために政府の設定する禁止則を法的手段、経済的手段、国際間にわけて論じているが、経済活動によるエントロピーの増大を一定の規模に留めるという視点が欠けているように思われる。
この課題については、ハーマン・デイリーがエントロピー経済学をマクロ経済学に援用し、環境マクロ経済学として体系化している。彼は、生態系の開かれた下位システムとして経済を位置づけ、生態系に対する経済の最適規模を規定し、格差についても富の公正な分配によって縮小するべきであると述べている5。
しかし、デイリーは本稿の課題である物質循環の維持をどのようにしていくのかを明確にしていない。また、地球規模や国家レベルでは定常状態の経済が成立していたとしても、それよりも小さなミクロのレベルでは、物質循環が機能していないという場合もありうる。
そこで必要になってくるのがコモンズの領域である。地域の生態系に根差して、地域のなかで生活する人々によって地域空間や地域資源の利用を管理していくことが求められる。また、地域に存在する自然は、土や水などのエントロピーを処理し、低エントロピーを維持する機能を持っているという点も重要である6。
ただし、地域といった場合に、中央に対する地方といった位置づけではなく、固有の生態系や地理的・歴史的な個性を持ったひとつのまとまりとして地域をとらえることが重要である。また、地域というものを考える際に問題となるのが、地域をどのように区切るのかという問題である。もちろん、人口や資源、地理的・歴史的背景等によって地域にはさまざまな区分があるが、物質循環を中心に見た場合、エントロピーの処理機構として重要な水の流れ、つまり河川の流域ごとに地域を設定するのが適切ではないかと思われる。このように考えると、物質循環を維持するための地域経済の自立の重要性がより明確になる。
市場経済の下での物質循環の社会過程は、モノやサービスと貨幣との交換の繰り返しによって成り立っている。市場経済をコモンズの経済と共生しうるものにするためには、物とサービスの地域内循環とそれを媒介する貨幣の地域内での循環を高めていくことが目指される。そのひとつの方法として、地域通貨の利用が有効であると考えられる。このように考えた場合、地域通貨
利用は市場経済の役割や政府の活動を全否定するものではなく、むしろ、市場と政府の役割にたいして対抗・補完するという位置づけになる。
1 ニコラス・ジョージェスク=レーゲン『経済学の神話』
2 玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』みすず書房、1978
3 多辺田政弘他『循環の経済学』学陽書房、1995 p.296
4 同上、p.60
5 ハーマン・E・デイリー『持続可能な発展の経済学』みすず書房、1995 p.70
6 玉野井芳郎『地域主義の思想』農山漁村文化協会、1977
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