SUGA Agust D TOUR ‘D-DAY’ in Japan 周りを気にせず'遊ぶ' それも解禁であり Speak Myselfじゃないかって話(前)
◆まさかのネガティブフィードバック
2023年6月2日に始まったBTSシュガのワールドツアー、横浜3days。
1日目の最後のMCで彼はこんなことを言ったという。
翌2日目はこうだ。
これは、ライブ中にハイテンションで煽る「もっと!」ではなく、毒舌がウリのアーティスト(わかりやすくいえば綾小路きみまろw)による実質的なファンサービスでもない。
ライブの最後に言われた、いわば「今日の総括」。アーティスト側からそんなガチなネガティブフィードバックがあるとは‥‥と、観客は驚いた。
はっきりいうと、SNSが荒れたw
「ショック」「がっかりした」はもちろん、「今日でファンをやめる」という声すら。
(もちろん、そういう声ばかりではなく、反論や擁護、別の意見もたくさんあるので荒れるのですが。)
◆「日本の観客はおとなしい」は単なる文化の違いの話か?
そもそも、海外のアーティストやそのファンの間では「日本のコンサート盛り上がらない問題」がある。K-popが流行りだすよりずっと前からのテーマだ。
みなさんも、誰かのライブに行って、
「近くの席の客がずーっと歌ったり叫んだりするから集中できなかった~」
「客の歌を聴きにいってるわけじゃないのに‥‥」
と思ったことがあるかもしれない。
海外では逆で、「なんでせっかくライブに来たのに黙ってるの?」である。
これはアーティスト側も同じで、よほどアンプラグドでバラードをやるでもない限り、客がしーんと聴いてる中で歌うのはとてもやりにくいらしい。
日本人からすると「曲の終わりには拍手もするし歓声も上げるし、十分盛り上がってるやん?」という雰囲気でも、海外の人は「すげー静か‥‥」と感じるらしい。
ま、向こうのアーティストも日本のコンサートとはそういうものだ、とわかっていて「日本のファンは熱心に聞いてくれる」「全員にじっと見つめられるのはとてもロマンチック」と好意的にとらえていてくれたりもする。
そして、日本のファンはそれを妙に喜ぶ(喜びすぎる?)傾向にある気もする。そこには「日本スゴイ問題」とのリンクも感じるが、別の話になるのでここでは措いておく。
私なんかは、「おとなしい日本の観客への称賛」の半分はリップサービスだろうと思ったりするけどね。
向こうだって仕事なんだから、日本のメディアの取材に対して、あからさまに不満はいわないだろうし。
もちろん、これは「文化の違い」という話でもある。
欧米や韓国のファンが陽キャで、日本のファンがおとなしく聞くからといって、愛に差があるわけじゃない。
日本のファンは、ステージを見ることに集中し、まわりに迷惑をかけない範囲内で盛り上がるのがマナーだと思っているだけだ。文化の違いに優劣はない。
シュガもそれを熟知している人だ。
BTSは2014年の日本デビュー以来、小さなハコに始まりドームツアーに至るまで相当な数のコンサートをこなしており、シュガ自身、「日本は聞く文化」と過去に何度も発言している。
それなのに、なぜ今回は敢えて「明日はもっと叫んで」と要求したのか?
そこには何か理由があるはずだ。
◆とらわれている私たち
けれど、SNSにはこんな声が上がり、たくさんの「いいね」がついていた。
「がんばって歌詞を覚えて歌ったのに、そんなにダメだと思われたなんて」
「もっとファンの気持ちに寄り添ってくれる人だと思ってた」
「そもそも、こっちが客で楽しませてもらう立場なのに、なぜ要求されなきゃいけない?」
「喉の調子が悪くて客にマイクを向けるのはプロ意識が低い」
これらを見て私が感じたことは大きく3つだ。
① 他者からの評価が中心になっている
別に、ライブ初日がお通夜のようだったはずはなく、日本の基準では十分盛り上がっていた(らしい)。ただ、シュガ(異文化の人)の基準に少し足りなかっただけだ。実際、彼も、「もっと歌って跳んで…」と要求する前に「本当に楽しかった」旨も話している。
プラチナチケットを手に入れ、初日のひどい嵐の中会場までたどりついたファンはうれしかったはず。生のシュガが見られて、そのすばらしいパフォーマンスや演出に感動したはずで、自分のその気持ちを何よりも大事にしたらいいのに、他者からの評価ひとつでぺしゃんこになってしまう‥‥
もちろん、ただの他者ではなく「推し」だからなのだけれど、推しにそこまで自我を委ねてしまう推し活の危うさというか‥‥。
一般的にいって、他者の評価を気にしすぎるのは、自分に自信がないからだろう。
② 楽しみ方を知らない
もともと、シュガは今回のツアーについて「たくさん歌って、跳んで踊って楽しく遊びましょう」と呼びかけていた。あらゆるところで、何度も。
なので、どの国のファンたちも「歌詞を覚えよう」「掛け声(チャント、コールみたいなもの)で盛り上げよう」と張り切っていて、日本でも歌詞に「かなルビ」をつけた動画やドキュメントをファンが善意で作成し、シェアする動きがたくさんあった。
(こういう、見返りを求めないファンパワーは本当にすごいものがある)
そうやって、同じように「準備していた」ファンだが開演すると各国に違いがあって、日本のファンは
「覚えた歌詞(たとえばサビ部分)を歌う」
「リズムに合わせてペンライトを振る」
という、規則正しい動きを見せるんである。
海外のファンはそれを見て
「ワオ! 日本のペンライトめちゃくちゃそろってる」
「歌声もそろっててかわいい」
「本当のARMYみたいに規律がしっかりしてる」(※BTSのファン集団をARMYというんです)
と目を丸くし、日本のファンは
「そう、日本のファンは特別だから」
「こんなこと、他の国ではできないでしょう?」
と胸を張りがち。
確かにそれは日本の文化の良い面でもあるが、別の視点もあるんじゃないだろうか?
1万人の客がリズムに合わせてペンライトを振り、同じところで同じように歌うのは、「それしかできない」ってことなんじゃないだろうか? ってこと。
ほんとは、ペンライトなんて持っても持たなくてもいい。
ペンライト振るより踊りたい人もいるだろうし、歌詞なんかうろ覚えでもとにかくそれっぽく歌いたい~コーラスつけたい~みたいな人がいてもいい。アメリカの動画を見るとごちゃごちゃしているのは、そうやってみんなが好きに楽しんでいるからなんだろう。カオスに見えるが、その分、熱量はすごい。
日本では、教育の中心に「規律」がある。
幼児保育時から机に座らせたり、マーチングバンドをやったり。運動会のプログラムはぎっしりで(コロナ前ね)、自然教室(林間学校)に行ってもウォークラリーのようにお膳立てされたプログラムがあり、放課後は習い事か塾か部活で埋め尽くされ、
子どものころから、
「あらかじめ時間割やルールを決められている」
「所定のメニューから選ぶ」
ことに慣れきっている。
「みんながそろっている美しさ」にかけては群を抜いているけど、いざ「自由にやってね」と言われたとき体が動かないことも、文化なんだろうか? 私たちはその文化で何を得ているんだろうか?
ちなみに私は日本史オタクだが、歴史や民俗学をひもとけば、昔の日本人は割にパーティーピープル。歌って踊って野合して、は庶民の性だったと思う。
③ 「消費者」「お客様」意識の強さ
「お金を払ってるのはこっちなのに、なぜ要求されなきゃいけない?」
「喉の調子が悪くて客にマイクを向けるのはプロ意識が低い」
日本のあらゆるところで見られる「お客様は神様」マインドですね。
別に一から十まで要求されたわけでも、耳をふさぐほど喉がガラガラだったわけでもなく、BTSよりよっぽど音痴で声量もない歌手がいくらでもテレビに出ていることを思えば、多少調子が悪くても十分高水準なパフォーマンスだったはずだが(現に私も3日目に参加して超感動した)、
ちょっとイヤなことを言われ傷つけられたと感じたら、”金を払う側、もらう側”という力関係を持ち出すのは何だか寂しいなと思う。
昨今、バスの運転手や災害救助に入った自衛隊員が制服で飲食する姿にもクレームが入るとかいうのと似た話なんだろうけれど、
これって、裏を返せば、自分が労働者である時間は、そうやって耐えに耐えてお客様に尽くしてるってことなのかもなと思う。
人は、自分が耐えていることは他人も耐えるべきだと思ってしまうもの。
でも本来、労働者側、お金をもらう側がそこまで卑下する必要はないはずななのだ。
私は、アイドルが「自分のコンサートではこうしてほしい」と求めることを傲慢だと思うなら、逆にその人はふだん過剰に自分を律し、自分を殺しているんじゃないかと思ってしまう。
自分の人権(尊厳)に気づけないと、他者のの人権(尊厳)も大事にできない。
だから、結局はBTSがこれまでずっと掲げてきた
「Love Yourself、Speak yourself」
まず自分を愛し受容し、自分の言葉を話すことが大事なのだ。
シュガが、日本の文化を知った上で、敢えて 「もっと歌って踊って楽しみましょう」と促したのも、その流れの上にあるんじゃないかと私は思う。
今回のツアータイトルにもなっているアルバム名 "D-DAY"や、そのタイトル曲「해금(解禁)」も、そういう話なんじゃないかと。
(後編に続く)