「古楽の日」によせて
先週の3月21日は「古楽の日 Early Music Day」でした。
こうした形で大々的に祝われるようになったのは、ちょうど10年前からです。
主導しているのは、REMAという欧州全体にまたがる古楽の振興団体。
REMAには、欧州内の代表的な古楽の教育機関の多くが参加していて、定期的に会合を開いて、各方面の研究結果の発表や、教育現場のことに関する意見交換などを行っています。
ですから「古楽の日」は、当該団体のプロモーション活動の側面も非常に大きいと言えます。
それはそうとして、「古楽って何?」という質問に対して、簡潔に説明するのは意外と難しいのです。
自分は古楽が専門、あるいは古楽器が専門ですとこれまで散々書いておきながら、肝心の「古楽」が何であるかの言及についてはこれまで避けてきたのは、そうした事情があります。
とりあえず、最初にご紹介したEarly Music Day 2022のサイトには、「古楽」がどのようなものとしてプレゼンされているのでしょうか。
まずはそこから見ていきましょう。下は私による試訳です。
Early music is a central part of the cultural heritage shared by Europeans, closely connected with other artistic expressions such as dance, theatre, and architecture. It spans more than 1000 years of music, written down or transmitted by oral tradition, from the Middle Ages to the end of the 18th century. While some of the composers of these eras are widely known, there is a large repertoire still to be re-discovered by today’s audiences. The Early Music Day aims to increase awareness of the music from the medieval, renaissance and baroque periods and bring it to the attention of a wider audience.
【試訳】
古楽(Early music)はヨーロッパの人々によって共有される文化的遺産の中心的な部分をなしていて、舞踏・演劇・建築などといった他の芸術表現とも密接な関わりを持っています。またそれは、中世からはじまって18世紀の終わりに至るまで、(楽譜として)書き残された、あるいは口頭伝承によって伝えられてきた、1000年以上の範囲にわたる音楽です。 これらの時代の作曲家のうち何人かは、幅広く一般に知られているものの、現代の聴衆にはまだ再発見されていない大量のレパートリーが存在します。 「古楽の日」の目的は、中世・ルネサンス・バロック時代の音楽への認知度を高め、もっと多くの聴衆の注目を集めることです。
上記のREMAの「公式見解」を、古楽の定義としてそのまま用いることは、
ここではしないでおきたいと思います。
しかしながら、現在「古楽が何か」に関して一般的に共有されている認識、ということでなら、それほど誤りはないでしょう。
この中からいくつかのキーワードを取り出すとすれば、
「ヨーロッパの人たちによって共有される文化的遺産」
「他の芸術表現とも密接な関わり」
「書き残された」
「口頭伝承」
「中世からはじまって18世紀の終わりまで」
「再発見」
あたりがそうなるでしょうか。
これを読んで「すっきりした!」という方も、
反対に「もやもやする~」という方も、
とりあえずは上の声明文を、今後の議論のたたき台としましょう。
だいたい、なぜ「古楽の日」が3月21日なのか?という疑問があります。
別にこれは、語呂合わせではありません・・だいたい、語呂合わせで各種記念日を決めるのは、かなり日本に特有の現象のようですね。
勘の良い方ならば、この日がヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)の誕生日だということに気づかれるでしょう。
「音楽の父」バッハの誕生日ではなくて、「音楽の母」ヘンデルでも良いではないか!という意見があるとすれば(両者を「音楽の父と母」になぞらえる見方は、さすがに過去のものとなりつつありますけども)、これをヘンデルにするとちょっと具合が悪いのです。
どういうことかと言えば、両作曲家の没後の、作品の受容の在り方を比べてみると良く分かります。
つまりヘンデルは生前から大変有名で、没後も一貫してその音楽が大衆の間でも評価されていたのに対して、バッハは、彼の弟子筋やごく一部の好事家を除くと、一旦はその音楽がほとんど忘れ去られてしまったという事実があるからです。
そんなバッハも、今ではほぼ誰もが知っています!
(しばしば、バッハの真作ではないはずの音楽が、本人の代表曲として紹介されるのは残念なこととしても・・)
どうしてでしょうか?それは、「一度滅んだ古い音楽を、いままた同時代の人々に向けて蘇らせる」というムーブメントが、かつてバッハの音楽をその主な対象として起こったからです。
その運動の中心人物の一人こそ、バッハから120年以上経ってからこの世に生を受けた、フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)でした。
早熟の天才作曲家として有名なメンデルスゾーンは、バッハの宗教音楽の超大作である『マタイ受難曲』を、初演後ちょうど100年目の復活上演と銘打って、ベルリンにおいて1829年に上演しました。
彼は10代前半で既に、家族から『マタイ受難曲』の筆写譜をもらったというのですから、その意味も極めて特別な環境です。
戦後の研究により、『マタイ受難曲』の初演は1727年と判明し、結果としてこれは「102年目」の上演となったのですが、もはやそれはメンデルスゾーン本人はあずかり知らぬこと。
復活上演を目指したという事実そのものが、この際は重要だと言えます。
ちなみに、このときメンデルスゾーンはピアノを弾きながら指揮しました。
生前のバッハによる上演では、一度も使われなかった、というよりその時代に同じタイプのものは存在していなかった楽器です。
その他にも、メンデルスゾーンの時代には楽器そのものが使われなくなっていたり、楽器は残っていても演奏の伝統がほぼ絶えたために、奏者の手配がつかなかったりしたケースがあり、それらは当時における「現代楽器」によって代用されました。
また、声楽のパートも、バッハの指示によるものからは離れて、その当時の趣味や歌手の声域などに合わせて改変されました。
ただし、決して消極的な動機で「やむなく楽器の代用や音楽の改変」をしたのではなく、これらはメンデルスゾーンにとって同時代の人たちに向けてバッハの音楽を生き生きと響かせるための、最良の手段であったのです。
その一方で、「せっかくならもっと、初演当時の響きに近づけたい!」という欲求もだんだんと出てきます。
そこで、特に戦後から本格化したヨーロッパの古楽の運動は、一度は顧みられなくなった、演奏習慣/実践(performance practice)の研究や、各地に残る古い楽器の復元・修復などの作業を基に、過去のレパートリーの復活上演の積み重ねという形をとりながら、地道に進められていきました。
その際、LPやCDといった新興の録音媒体が果たした役割は、途方もなく大きいものでした。
戦後の古楽運動のパイオニアの一人である、ニコラウス・アーノンクール(1929~2016)の著書は、邦訳された際に『古楽とは何か』というタイトルが付けられました。
アーノンクールが没してもう6年になりますが、今なお新鮮な内容をたくさん含んでいますので、古楽に興味を持たれた方には是非一読をお勧めします。版を重ねて広く読まれているので、既にご存知の方も多いでしょう。
記述の随所に、「闘う古楽奏者」であった在りし日のアーノンクールの姿が、はっきりと浮かび上がります。
次に紹介するのも古楽に関わる本で、こちらは近々邦訳が出版されることがアナウンスされたもの。
著者のブルース・ヘインズ(1942~2011)は、古いオーボエの研究と演奏に生涯の大半を費やした、この分野における第一人者。
(実写版プラトン、ではないですよ!)
彼の演奏家・製作家・そして音楽学者としての長年の経験をもとに、集大成として書き上げたのがこの本です。
「古楽の終焉 The End of Early Music」というタイトルで2007年に出版され、古楽の分野に従事する当事者でなくとも、センセーショナルなものとして受け入れられました。
「Historically informed performance (歴史的な知識に基づいた演奏)」の略語としての「HIP」が、欧米を中心に幅広く使われるようになったのも、おそらくはこの本の影響が大きいでしょう。
こちらも是非、実際に読んでいただきたいので、記事内で細かい内容について書くのは控えますが、とにかく現代の古楽演奏の立ち位置、あるいは行きつくであろう未来について、ヘインズは鋭い指摘・提言を行っています。
著者のブルース・ヘインズが実際に演奏する様子を、お聴きいただきましょう。彼が長年オーボエ奏者として参加していた、往年の「レオンハルト・コンソート」でのバッハの教会カンタータ集から。
そう、指揮者のグスタフ・レオンハルトは以前、こちらの記事でも紹介した「私の憧れの人」です!
なんと甘い、オーボエの音でしょうか!
出だしから幸せな気持ちになります。
オーボエの紡ぐ音色が、後から入ってくるボーイ・ソプラノに見事に溶け合っています。
これは決して、片方が片方を支えるという関係ではありません。
基本的に両者はほとんど対等な立場で、片方は時に後ろに回り、時に率先して、手を取り合うようにして音楽が進んでいくのです。
もう一曲、バッハの教会カンタータからのアリアで、先ほどのオーボエよりも全体的に音が低いオーボエ・ダモーレを使っての演奏をどうぞ。
変声期直前の少年の声です。
この演奏では、どちらが声でどちらが楽器か分からない瞬間さえあるような気がします。
バッハが、数々の自作品でオーボエに託した役割とは、まさしくこれだったのではないでしょうか。
オーボエが「木の楽器」であったこと、そしてバッハのカンタータのソプラノは多くの場合少年によって歌われたことは、こうした「HIP」による古楽演奏によって、「耳で」納得することができ、私たちは改めてその良さに気づくのです。
昔は当たり前だった、でも今は当たり前でなくなったことを、新鮮な気持ちで聴く。
その際の驚きや感動とともに、そこに好奇心や知的興味が絡むのが、いわゆる「古楽」の面白さであり、また奥深さであると、私は思います。
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いやはや、とても「古楽とは何か」について、一本の記事では書ききれません。もとより無謀というものです。
実は、古楽に関わるテーマで大学の卒業論文を書いたことがあります。
そこでは自分なりに「古楽」の定義を試みたり、その先の(卒論を執筆したのはもう15年近く前になりますが)「古楽」の現場はどうなっていくのだろうか、といったことについてあれこれ思索をめぐらしました。
その後、一度は離れていた古楽の現場にまた積極的に関わるようになり、留学後ヨーロッパを拠点にしてから、「古楽」に対する考えが改まったこともありますし、それとは逆に、当時の考えはあながち間違ってなかったのだなあ、と再確認できたこともあります。
今後も、様々な角度から「古楽」について考察していきたいと思います。