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自分はハルキストかもしれないしそうではないかもしれない。/どちらかといえば、村上春樹の方がひみつのダイアリストである可能性もある。という弁解
わたしは本が好き
赤毛のアンシリーズを全て読んだのでモンゴメリがすき
ほぼ全ての本を読んだので三島由紀夫がすき
心模様と生活の折り合いがとてもいいので江國香織がすき
生活と活字がかなり密接な関係であり、本が読めないと世界は灰色に本が読めるとその生活への満足度はかなり高くなる。
そんなこんなで人生24年、ずっと本と共に生きてこたがしかし村上春樹は避けていた。
なんかこう、すげえファンがいっぱいいて古参じゃないとしんどそう とか (追伸:すげえファンの皆様はもうこれ以上読むのをやめて、画面を閉じてください…。怖いので…。すいません…。)
文章がめっちゃ周りくどくてやばそう とか
当時好きだったSEKAINOOWARIのラジオでさおりちゃんがハマっていたと小耳に挟み、1Q84を読みたいと母に言ったら、「まだ対象年齢じゃないと思うよ」と中学校2年の夏休みに言われたから とか。(じゃあいつが対象年齢やねんという感じで永遠に読めなかった/いつでも自分は若すぎる気がしてしまう) それとも12歳で読んだ「はじめての文学」シリーズの村上春樹に出てきた“ドーナツ化現象”がかなり怖かったから なのか。
一方で、私にはハタチそこそこで形成された揺るぎのない生活哲学というものがある。
まず、浪人時代に「食べるのが面倒なので食べない・あんまり寝ずに勉強・趣味は音楽のディグリ(というかピンクフロイドとNIRVANA)」という(精神と肉体にとって)極悪非道も非道みたいな生活を送っていた。
そして、案の定、なにもかもがうまくいいってなかった。上手くいかないので、眠らずに頑張ろうとして頑張ると時間がなくて食事に手を抜いてしまい、結局 rape meを聴くはめになる。
悩んだ末に、大学生×コロナのロックダウン時代という暇になったタイミングで、「十分な暇があるから」という理由で自分の生活の”全て“を記録し始めるようになった。(←これは、村上春樹の「風の歌を聴け」で主人公が全てを数値化できずにはいられなくなり全てを数値化してしまうのであるが、その頃にはまだ村上春樹に出会っておらず、もちろん全くの無縁であり、わたしのオリジナル・思いつきである。)
睡眠時間、食事の内容、トイレの回数(時には尿の量までも測ったりしていた)、運動時間と内容、体温、天気、気温、出来事、そしてそれに対する感情や精神状態をこと細やかに記録する。
これを毎日毎日繰り返す。繰り返して、1週間・1ヶ月ごとに見返す。法則や関連がありそうなものがないかよく見ておく。
3ヶ月続けて、「睡眠時間が足りないと明らかにおかしいことを考えて、言ってしまっている」「食べていないと力が出ないらしい」「運動を続けると精神状態が負に傾くことはない」「お菓子・砂糖・お酒・小麦を食べすぎると肌に良くない」「個人的なことであるが、かなり頻尿である」これを感じたのである。
それ以降、基本的には「早寝・早起き」をモットーに21時から22時までに就寝し朝は5時台で起きるようにしている。運動もなるべく行う、いけそうなら走る・走るが無理ならたくさん歩く・ストレッチを行う___それも毎日、毎晩、念入りに。
お酒は絶対に飲まない(←お酒は全ての悪だと思う。飲み会の後とか1人反省会で眠れなくなるし。)、大人数で外食は行かない(←普通にしんどいので)・定期的に食事をとって血糖値を並に維持しつづける。
最後に、ざっくりになるが、生活は基本的に丁寧に所作を行い(齧った程度のアーユルヴェーダでは、所作を丁寧に行うとヴァータ←合ってる?が少なくなるので良いらしい)、一手間を絶対に惜しまず(←その一手間を惜しむことで価格が上がる場合がある:一手間を行うと積み重ね的に節約となる場合が多い)、元来掃除洗濯入浴が大好きなため、惜しみなく掃除洗濯入浴を楽しませてもらう。
以上がわたしの既に完成された生活哲学である。
そしてまた、一方では、中高の吹奏楽部はやたらクラシックによった選曲をしてしまいがちで(リヒャルト・シュトラウスの組曲「薔薇の騎士」とかね←騎士団長殺し)、大学で「ジャズ研」たるものと「オケ部」たるものを掛け持ちし、年がら年中休みなくあっちやこっちやでコントラバスを弾いているうちに、4年間でジャズやクラシックにものすごく強くなってしまったわけである。
村上春樹に出会う前から、早寝早起きに運動に掃除洗濯入浴、そしてジャズとクラシック という村上春樹作品と被る何かがそこにはあるのがお分かりだろう。
きっかけは覚えていない。なんかわかんないけど、大学4年の冬に大学の友達にノルウェーの森を借りて読み、(そして多分向田邦子を貸した)
その半年後に海辺のカフカを手に取ったのだ。
去年の夏に海辺のカフカを読み始めてから今年の今まで1年間、本のメインは村上春樹で、ものすごい量の村上春樹を読んでいるのが現状だ。長編、短編、エッセイ色々読んだ。
短期間であっちゅー間に魅力の沼へとわたしがつかってしまったわけだが、早寝早起きに掃除洗濯入浴への共感や音楽のディテールまでもわかってしまうので、どんどこどんどこ転がり込んでいってしまった。共感しまくりな描写が多く、本当に細かい音楽の選曲などの表現で「あーーはいはい。(わたしはわかるけど、皆さんはわかるのかな?)」となるわけだ。そういう経験があると、何だか特別な本になってしまう。「アフターダーク」も見た瞬間にファイブスポットアフターダークという意味では?この前セッションしたな〜となり、即座に頭の中でテーマのサックスが再生された。なんだか特別な思いを持ってしまう。
村上春樹の小説の良さは、清潔感と健全な魂の元に書かれているという点であり、その言葉の組み合わせであり、独特な世界観だろうと思う。そういう本を読むとこちらの生活哲学にも磨きがかかってしまう。読み終わった後は、世界が自分に馴染んでいる感じがしなく、わたしがまだそちらの世界に引っ張られている限り、こちらの世界にも反映される可能性を感じる、、、そういうところが好きって思う。
今年の夏、「ほんとに最近村上春樹しか読めなくなってるんだよなあ、あとは江国香織かなーなんなんだろうねー」と友達と電話した時にふわっと話したら、「わーw ハルキストだ!」と冗談まじりに言われた。
何もかもに疎いわたしは(←ちなみにこれは誇りだと思っています)、ハルキストという言葉をそこで知ったわけだが、すぐに検索をかけた。
ハルキストは村上春樹のファンである、という意味らしいが、とあるブログには、「彼の著作から、考え方や生活スタイル、つまり生き方を学んでいる人、そういう人を“いわゆるハルキスト”と呼ぶのだ。」と書いてあり、なるほどー…となったのだ。
ファンというか、普通に好きで読んでいるから自分にファンの意識はないし、別に誰かとソレを通して集いたいなんて思ってもいないし。彼の本に出てくる生活は、こちらの生活哲学を磨きにかけてくれるような作品が多いので確かに何らかの影響を受けているのではないか と思いました。
ただ、わたしは本を読んで影響を受けてハルキストになったわけではなく、もともとそういう素質があったので結果的にハルキストとして分類されるだけです。そして別にそういう自意識はありません。
土台は自分のオリジナルである部分がほとんどであり、逆に村上春樹がひみつのダイアリストである可能性もあるくらいに、自然発生的ハルキストに近しい・普通に村上春樹の本が好きで読んでいる一読者であること、ご承知おきください。
帰り道にそういう話をしたところ、自称・幸田文派の恋人には、なんでもいいけど僕ハルキスト嫌いやねんみたいなことを言われて全てを一蹴されました。
おわり