制御不能
時速190km超で交通事故を起こしても、「制御可能だった」としているニュース、どうにも腑に落ちなかったけれども、頭の悪い私はさんざん考え続けた挙句、やっと自分なりに納得のいく理由が見つかった。
いわゆる計測工学、制御工学で「制御可能」と言えば、ターゲットを想定した通りに動かすことを意味するし、「思い通りに動かせなければ、制御不能」だと、私は認識していた。
その発想で言えば、時速194kmで運転していても「制御可能」だったのなら、自動車を意図した通りにコントロールできていて、それでも交通事故を起こした、つまり、交通事故は回避しようと思えばできていたけれども、意図して回避しなかったから起きたのだ、と考えられる。なぜならば、制御可能だったのだから、回避しようと思えばできたのだというのが弁護側の主張であり、できたけれどもしなかった、つまり意図的にその事故を起こしたのだ、ということになる。
だとしたら、これは「危険運転致死」ではなく「未必の故意による殺人」であって、(ぶつかったら死ぬだろうな、だけどいいや、ぶつけちゃえ)という意図のある行為だったということになる、と思う。
少なくとも、計測工学とか制御工学に関係している人間の感覚で言えば、もし弁護側の主張の通り「制御可能だった」のなら、これは殺人罪の適用jになると私は思った。これが制御不能だったから事故に至った、ということならそれは「危険運転致死」かも知れないけれども、というのが、私自身の「釈然としなさ」の最大の理由だったな、と思って、勝手に納得してしまった。
被告側が「制御可能」を主張するのなら、それに乗っかって、「殺人罪」に切り替えたらいいんじゃないか?と私は思うのだが、間違ってるだろうか?だって「避けようと思えば避けられたけど、あえてぶつけた」と自分で言っているのだから。
一般に、事故は計測系(外界がどうなっているか、認知する)部分の不備か、制御系(思い通りにコントロールできているか)のどちらかの不具合で発生すると思う。計測系の不具合、に該当するのは、「脇見運転」みたいに、そこに人がいるのがわかっていなかった、とか、路面の状態を認識できなかった、とかだろうと思う。制御不能の方は、だいたいスピードの出し過ぎ、だろうか。ブレーキとアクセルを間違えて踏み込んだ、としたら、これは「運転者自身の劣化」による制御不能になるのかな?
単純素朴に考えて、もし「制御可能」だったのなら、意図したのでない限り事故は起きないんじゃないかな?と思った。
「事故」になった時点で「制御不能」だったことを証明しているような気がする。そうでなければ、殺人罪になると思う。