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OTGに捧ぐ~君はそのうち死ぬだろう~

検屍官と市役所は
君が死んだなんて言うのさ
明日また楽屋で会おう
新しいギターを見せてあげる

RCサクセション「ヒッピーに捧ぐ」

時に西暦2000年━━。

のちに『CONTINUE』と呼ばれることとなる雑誌プロジェクトを当時の社長からムチャ振りされた翌日、忘れもしない「オタク学叢書」で『ダンバイン』を作ろう! という話でOTGと中野ブロードウェイで資料探しの約束をしていた。資料探しの合間に1階のカフェ・ミヤマで「なんか、会社の命令でゲーム雑誌やることになっちゃってさー」という話をして「いまさらゲーム雑誌!? 絶対売れないっしょ!」「だよねー」みたいな話にはなりつつ、そのとき、いまでも鮮明に覚えてる言葉があって、

「でも、雑誌は世の中の景色を変えることができるから、ハヤシさんは雑誌をやるべきだ」

それで『CONTINUE』というプロジェクトは、ぼくとOTGという最小単位でスタート、雑誌のコンセプト、スタッフィング、タイトルまで、ふたりで一緒に考えた。OTGは、ぼくよりも雑誌寄りの編集だったから、台割とかラフの切り方とか、ほぼほぼヤツから教わった。いまでも毎号やってるサムネイル━━ぼくの中ではラフとほぼほぼ同義なんだけど━━そういったものが雑誌編集の現場で運用されている、ということもOTGから実地で教わったような気がする。そのノウハウでいまでも雑誌を作ってるし、それが歴代編集部員にも継承されていたわけだから、そもそもで言うと『CONTINUE』はOTGのスタイルで作られている媒体である、と言って言えないこともない。

その後、ちっちゃいトラブルはありつつ、何やかや7年くらいは蜜月の関係が続いて、これはOTGと仕事をした編集者の全員が思うことだけど、ぼくはぼくで「OTGと一番いい仕事をしている編集者は自分だ」と思っていて、それは、いまでも確信してたりもする。

でも、たぶん、ぼくとOTGの間で決定的に違っていたのは、OTGはOTGで「自分は編集者として他の誰にも負けない」と思っていた、ということ。そのパワーバランスが決定的に壊れたのは、たぶん、OTGが小学館で『グレンラガン』のムックを作ったこと。OTGは、あの本を作ったことでぼく━━20代後半で『20年目のザンボット3』という名著を世に送り出した編集者━━を、どっかで見限ったんじゃないかな、という気がしてる。

とはいえ、ぼくはぼくで『グレンラガン』の本を読んで「これは『20年目のザンボット3』以来の名著だなあ」「これでOTGも"20代のオレ"に並んだじゃん」くらいには偉そうなことを思ってたから、まあ、どっちもどっちではあるんだけど、たぶん、そのあたりから急速に関係性が壊れていった。

そして、いまとなっては原因も思い出せないようなトラブルで決裂、その後、OTGが『CONTINUE』に関わることは二度となかった━━。

『CONTINUE』をやめた後に一度、人を介して「そろそろ手打ちをしないか?」という話をしたことがあって、そのとき間に入ってくれた人いわく「本人まんざらでもなさそうだ」みたいなことも聞いていた。だけど、そのときのぼくは編集者として最高潮に凹んでいたし、子どもも小さかったから、なんとなくウヤムヤになってるうちに「OTGがアタマを打って死にかけた」というウワサを聞いた。

OTGが復活後の『CONTINUE』をSNSでディスっている、という話は複数ルートから耳に入ってきたけど、それはショックでもなんでもなくて「そんなとこでウダウダやってないで、何か新しいこと始めればいいじゃん」と思っていた。「お前、間違いなく天才なんだからさ」って。でも、いろんな人から話を聞いて、それは、もう、絶対に無理なんだろうな、ということもわかっていた。だから、平成から令和になった直後に「OTGが死んだ」という話を聞いたときも、驚くくらいショックはなくて「まあ、そりゃそうだよな」くらいにしか思わなかった。

『CONTINUE』が一度終わってから少し経った頃、とある血気盛んな若手ライターから「OTGさんと『CONTINUE』の魂は僕が引き継ぎます!」みたいな鼻息荒いメールが来たことがあった。そのとき、すでにOTGとは完全に決裂していたにもかかわらず「大きなお世話だ」「お前なんかにそんなことを言われる筋合いはない」って、かなりストレートな口調でマジレスしたことを思い出す。直接仕事したことないくせに、知ったような口利くなよバカ。

このあいだOTGについて長く話す機会があったとき、わりと真面目に「OTGに捧げる曲はRCの『君はそのうち死ぬだろう』」って話をしたら、わりと本気でドン引きをされた。でも、ちょっと調べたらわかるけど、この曲は言葉通りの「お前はもう死んでいる」みたいなものではない。むしろ――。

君はそのうち死ぬだろう
このままいけば死ぬだろう
だから何とかしておくれ
君が死んだら迷惑だから

君はもうすぐ死ぬだろう
誰かが発見するだろう
しばらく誰もが泣くだろう
僕らも泣き真似してあげる

RCサクセション「君はそのうち死ぬだろう」

このアンビバレントな感じというか、ヤツの天才性を最後まで生かせなかった責任の一端は確実にぼくにはある。でも、その反面、同じくらいの強度で「あんなヤツとはマトモに最後まで付き合い切れねーよな」とも思う。でも、いま、なんの因果か、ぼくは50を過ぎて『CONTINUE』を作ってるわけだから、あの日、中野ブロードウェイでOTGから言われた、

「雑誌は世の中の景色を変えることができるから、林さんは雑誌をやるべきだ」

という言葉に、いまでも支配されてるのかもしれないな、と思う。そして最後に、ひとつだけ、OTGに伝えることがあるとしたら、

「でも、やっぱり、編集者としては、大塚さんよりぼくのほうが才能あると思うよ。だって、ぼく、いまだに『CONTINUE』を作り続けてるんだから」

反論は、今度会ったときにでも。


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