
実家を終うまで きっかけは母の認知症
始まりは父が亡くなった2019年にさかのぼる。
銀行のATMの使い方も知らない父だった。
お金周りのこと、家業にしてきた木型工場の経理のことなどは全て母に任せっきり。請求書や手形の発行、青色申告も全部母がしていた。
ただ、自動車保険や火災保険などの損害保険などについて母は父に任せっきり。
なんだかよくわからない役割分担ができているというか、そんな両親だった。
ある日、父は足の浮腫が引かないからと病院へ行き、検査入院から2か月たたないうちに旅立ってしまった。
末期の肝臓がんだった。
入院する少し前に、父は車で接触事故を起こしていたらしく、保険金の請求や窓口の方のお名前などをメモした手帳を、病院のベッドで私に託してからすぐのことだった。
82歳。
毎日が普通に過ぎていた母にとっては、信じられないくらいあっという間の別れだっと思う。
「もう、今夜が山だからご家族様は病院にいらしてください。」
そんな連絡を受けて、家族は父の病室に集まった。
始めは会話もできた父だったが、時間が経つにつれてだんだんと朦朧としてきた。
話もできなくなった。目も開けなくなった。
それでも呼吸はしているし、心臓も動いている。
そんな状況にいる時に母の言動がおかしくなった。
まだ生きている父の前で、お葬式や喪服の準備のことなど、状況からしたら考えられないことを何度も言ってくるのである。
私と息子で何度も制した。
母にかなりの違和感を感じた。
後で思えば、あれは一種のせん妄状態だったのかもしれない。
翌朝父が亡くなってから数日間は、諸手続きや葬儀の準備などで慌ただしい時間が流れたが、なんとなく落ち着いてきた頃、母の物忘れがひどくなったような感覚があった。
父が亡くなったことからのショックがきっかけになったようにも思えた。
そういう何かのはざまの時に年寄りは転んで大腿骨を折ったりするのである。
よく聞くケースに母もはまっていた。
金具を入れる手術をすることになった。
病院から老健施設などを転々とし、自宅に戻ってきた母は行動範囲が特段に狭くなっていた。
できることも少なくなっていた。
私とは離れて暮らしていたので、地域の包括センターに相談してケアマネージャーさんの指導を受け、ヘルパーさんに入ってもらうことになった。
2年ほど自宅で生活をしていた中で、牛乳の配達や新聞を言われるがままに契約をしてしまったり、パン焼きトースターでプラスチックカップを溶かしてしまうことがあって、一人で住まわせることに限界を感じてきた。
そこで考えることは、介護施設への入所。
施設の費用のこと。
さてどうするか。
まず、どんな施設がいいのか、ケアマネージャーさんに相談し、いくつか候補を挙げていただいた。
そこで大体の費用感が見えてきた。
費用の捻出のために実家を手放すことを考えた。
土地は母の名義になっている。建物は父の名義がそのままになっていた。
こんな状態で売却できるのだろうか。
まずは専門家に相談し意思決定能力があるか判断をいただくことにした。
その時点で母は、まだ自分のことがちゃんとわかる状態だったので、必要な手続きを準備していただいた。
不動産会社も何件かにお願いをして物件を見ていただいた。
築50年近くの木造住宅はもう、上物の価値などなく土地だけの価格になるのはもちろんわかっていたので、解体や不用品の片付けに関する時間と費用面からも比較をした。
「売り物件にします」と一度決めると、物件情報が業界に出るようで、お願いしていない不動産会社からも散々、DMや直筆のお手紙が届いた。
相見積もりを取り始めてから約半年、お願いするところが決まり、契約。
そうこうしている間に母の認知も進んできたなと感じた時に、たまたま自宅から少し離れた場所にあるグループホームの空きが出て、入所が決まる。
不動産会社の方から売却の頭金が入ったタイミングで本当にタイムリーだった。
母が入居をする日、私は母が家を出るのを見送りたくなくて主人に頼んで車で母を施設まで送り届けてもらった。
私は施設に先回りして入り、母を迎え入れた。
あの日、母を送り出していたらその背中が頭から一生離れなくなっていたと思う。
母が入所してから約半年、片づけなどをして実家を不動産会社に手渡した。
自分たちである程度、不用品の選定をした後は業者に入ってもらった。
何日かかけて家財道具などを運び出してもらったのだけど、その経過も寂しくて見たくなかった。
父が築いたお城。
そこを壊して手離していく。
子供の頃は夢のようだった場所。
初めてもらった自分の部屋。
初めて座った勉強机。
母の手料理。
嬉しそうにビールを飲む父の顔。
わがままを言って喧嘩した居間。
離婚して帰ってきた日。
たくさん悩んで泣いた部屋。
幸せだった場所。
そこを私が壊していく。
お父さん、お母さんごめんなさい。
ものすごい罪悪感だった。
ただ、母を守るにはこれしかなかった。
母が入所して2年半。
今では面会に行くたびに、私を妹だと勘違いしている。
5分ごとに同じ質問をする。
祖父や祖母(母の両親)がまだ生きていると思っていたり、時間の感覚がごちゃごちゃになっている。
認知症はびっくりするほど早く進んだり、またしっかりすることもあったり、その日その日で波があるが、確実に進んでいる事には変わりない。
それでもこの件で良かったなと思ったのは、早めに「ものわすれ科」に受診するようになって主治医がいたことで入所の時に診断書をすぐに書いていただけたこと、親身になってくれる司法書士さんに巡り合えたこと、それから会社の「締切日」ということで契約を急がせたりしない不動産会社にお願いできたことなど。
「え?何言ってるの?」という疑問が親に出始めたら、「もしや?」と思った方がいいと思う。
財産や認知のことは話し合いにくいことだけど、私自身この経験の歯車が一つでも外れたら、ここまでストレートに事が運ばなかったと思っている。
50代、早かれ遅かれ考えることになる親の問題。
少しでも参考になればありがたい。