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振り向けば銀座、もっと言えばグランスタ

仕事を辞めて1年、あまり街中へ出なくなった。
今年は三浦の生活も始まったこともあるけれど、
東京へ帰ってきてもそれほど電車で出かける機会が減ったこの頃。
先日、久々に東京駅方面に出かける機会があって、このエリアで働いていた頃を思い出した。

あの頃出会っていた試練を暖かく包んで癒やしてくれたもの、こと。
それが東京駅や銀座にたくさんあった。

思えばいろいろと仕事をしてきたが、このエリアには、自身の人生の中でも豚骨スープのようにに凝縮されたエキスが(煮)詰まっている。

一つ一つを思い出しながら再び歩くこのエリアへの思いを、かなり奥の方に蓄積されたカメラロールの写真を引っ張り出してが重ね合わせてみた。

東京駅には「グランスタ」という商業が設が駅の構内外に広がっている。
飲食店、お菓子などのお土産品の店、アパレル、雑貨などたくさんのお店が軒を連ねる。
私はこのグランスタの活気が大好きだ。
色々な地域や国から訪れる人々が、いろんな思いで東京駅で買い物や食事をしている。

普段から雑貨や食料品が好きでよく商業施設に入っている店舗はパトロールしているが、さすがにこの東京駅と新宿伊勢丹のセンスはピカピカでさすがである。
見せ方、包装、形状など、いつもピシャっという刺激があり、故猪木さんに平手打ち頂いた気持ちになる(ひきしまる)。

そんなグランスタは私にとって、とても居心地が良いところであった。
過去のアルバムにはいくつものおいしい写真が残っていた。

まずはEATALY

愛するEATALY

EATALYは私の第2の故郷(と言いたいだけ)のイタリア食材のお店。
カフェスペースやレストランも併設している。
「よくやった日」のご褒美にはここのカフェスペースでよくジェラートを食べたっけ。

そして果実園リーベル

果実園リーベルのパフェ

パフェ巡りにはまったことがあって、休みの度にパフェ巡りをした。(休みの日にもこの辺にいたのか!)
東京駅で気になっていた果実園リーベルさんのパフェを一人黙々と食べた。

築地すし好

築地よし好のカウンター

一人カウンター寿司は私に「寿司はカウンター」を教えてくれた父をいつも思いながら食べた。

越後そば

越後そばのかき揚げそば

ある時期に勤めていた会社で、1時間に1本くらいしか電車が来ない地域に1日のうちに3件は商談に行っていた事があり、その時は時間との勝負から立ちそばを極めたいと思ったことがあった。
たまたまだったのか、この越後そばのかき揚げが「超」揚げ立てで、おいしくておいしくて感動して涙が出そうになったのを覚えている。
あの頃、辛かったんだね。
おなかの底から温まった。ありがとう。

またある時期にコスメ関連のお店で働いた時ことがあり、その店舗がグランスタに出店することになったのでそちらに行ってくれないか、という流れになり願ってもない機会に小躍りした。
商業施設に入るとその施設ごとの決まりがあり、いろいろと大変なことはたくさんあったものの、めったに見られない駅の中のバックヤードに入れたことはとても思い出深い。

毎日グランスタの閉店間際にごみ捨てに行くのだが、東京駅の中のゴミ捨て場には、ノラ猫ちゃんがいた。しかも1匹だけでなく何匹も。
どこから入ってくるのやら、どうやって見つからないように入ってくるのやら、いつもそこにいるのが普通で、その子たちに会いたくてごみ捨てを請け負った。

外の風が吹き込んで寒い。
ダンボールにいたずらしてる

2024年の年末にこんなことを思い出しながらあの頃働いていた店舗の前を通りかかると、駆け出しだったそのブランドは、今ではハイクオリティブランド(のように)なっていて、ちょっと近づきがたいショップになっていた。
嬉しいような、ちょっと寂しいような。


グランスタを後にして丸の内側に出ると行幸通りに出る。
ここから日比谷までの道は考え事があると何度も何度も歩いた道。とてもいい気が流れているようで浄化されるのを感じる場所だ。

夜の丸の内口
皇居からの一本道。エネルギーを強く感じるパワースポットだと思う。

さて、東京駅を離れ次は有楽町へ。
有楽町駅周辺は、飲食店に勤務していたころの思い出が詰まっている。
店が終わるのは23時過ぎの時が多く、遅くなると駅に向かう途中でWAKOの0時の鐘を聞いた。
へとへとになりながら銀座の風情を感じた。

エルメスのビルに満月

銀座はいろいろな経験をくれた。

若いころ、8丁目にあったスナックでアルバイトした事がある。
そこに来ていたお客様はかなりビッグな方々で、どうしてこんな場末のぼろぼろのビルの地下のひそかなスナックのお客様なのか、いつも不思議でならなかった。
そんな方々に伺ったお話や、食べさせていただいたものなどは今でも心に残る。

そして先の飲食店ではテレビでお見掛けする様々なジャンルの方々にお料理を出したり、
海外からのお客様に提供するために英語を習ったり、今までこのかた、飲んだことも触ったことも見たこともない高価なワインのお残りをいただいたり。

もう、すべての仕事を離れて過去を思い出すと、
その時は辛いことがたくさんあったし、泣いたことも数えきれないくらいあった。
それが今では一つ一つがありがたく大切な経験であることを感じられる。
今の自分の血となり、骨となっている。
今までかかわってくれたすべての方々へ感謝を忘れる事はできない。

経験は噓をつかない。
2025年は今までの経験の一つ一つの伏線を回収していく年にしたいと思う。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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